「え?」 その錯覚は、氷上シュンの思い過ごしではなかった。 太田加奈子が名倉由依の姿を整えている間、彼はプールの設備がある建物の入り口にて待機をしていた。 この場所ならば、もし中で危険があってもすぐ駆けつけることが可能であろう。 また外敵を確認するにも、目の前の開けた景色を見渡せるその場所は好都合だった。 入り口の奥まった箇所にて周囲に対し気を張り詰めていたシュンであるが、彼が予想していた以上に加奈子と由依の戻りというのは遅かった。 何かあったのかと気にはなるシュンであるが、そこは男児が立ち入ってはいけない領域である。 シュンには待ち続ける以外の、選択肢は用意されていなかった。 そんな彼の耳に、ふと聞き覚えのない少女の声が届く。 思わずシュンが反応を声として零してしまったのが、冒頭のそれだ。 誰かに呼ばれた気のしたシュンは、顔を少し出し広い中庭に目をやった。 田舎の学校らしい自然の多いそこには、特別目立ったものはない。 スペースが広く取られた花壇に、学園長か創設者であろう少し薄汚れた石造が一つ。 人気がないことを確信した上で、シュンはまず花壇の方向へと近づいていった。 特別植物に詳しいわけでもないシュンには、彩り鮮やか花々の細かな違いなど分からない。 (こっちの方向ではなかったのかな……) 再度声が上がるようであれば、また確かめなおすこともできただろう。 しかし一度声を上げてから声の主は、依然と沈黙を守り続けていた。 と、何かないかと細かく視線を動かすシュンの目に、ふと不自然な物が飛び込んでくる。 そこは、花壇の隅だった。 少し盛り上がった土の部分は、つい最近掘り起こされたという事実を浮かび上がらせている。 花壇である敷地のはずなのに花がないことから、それはシュンも瞬時に判断できただろう。 では、何のために掘られたのか。 土の上には、この島に放り込まれた人物なら誰でも持っているはずのデイバッグが置かれている。 勿論、今もシュンが肩から提げている物と同じだ。 ……言葉が出ない歯がゆさを、シュンは眉間の皺で語る。 簡易的に作られた墓を表す目の前の光景に痛む胸、吹く風は朝の爽やかさを伴っているのに、シュンの心は暗く沈んでいく。 デイバッグをそっと開けると、シュンの鞄にも入っていたような支給品が顔を覗かせてくる。 ペットボトルに入った水は、満タンだった。 食料が僅かに減っていることから、水のみ途中で中を足したのかもしれない。 シュンはその鞄の持ち主を知りたい一心で、デイバッグの中身を漁り続けた。 だが結局、そのような情報が一切見えてくることはなかった。 さすがのシュンも、墓を掘り起こすといった無粋な考えは起こさない。 土の中で眠る誰かと、こうしてわざわざ墓を拵えた誰かの気持ちを思えば、当たり前のことだろう。 本当は、デイバッグもそのままにすべきなのかもしれない。 しかし今、シュンの肩にかけられているデイバッグの重みは確かに増したものになっている。 今後のことを考えると、限りのある食料等は十分に持っておきたいという気持ちがシュンの中では強かった。 中身のみ抜き取るという行為が蝕む罪悪感を胸に、シュンはぎゅっと拳を握りこむ。 またその中には、シュンの持ち物には入っていなかった気になる小さなパーツもあった。 フラッシュメモリ。 きっと、それがこの鞄の持ち主に与えられた支給品なのだろう。 何か今後の役に立てばと思いながら、シュンは小さく手を合わせるとそっと花壇に背を向けた。 次にシュンは、気になっていたもう一つのオブジェである石造に近づいた。 凛々しい顔立ちのロマンスグレーの胸には、青い石があしらわれた見た目にも豪勢なタイピンが光っていた。 シュンが像に見入っていたこの時にも、日の光を反射し青い石は我の強い主張を行っていた。 古ぼけた校舎を持つこの学校には、あいまみえるような派手さだった。 見るものを魅了する宝石のようなそれ、シュンが見入っている時……彼の求めていたあの声が、シュンの鼓膜を振動させる。 『こんにちは。やっとみつけてくれた』 声。その声は、シュンが探して少女のものに違いないだろう。 殺し合わなければいけない状況に巻き込まれているにも関わらず、その声色には緊張感が含まれた様子がなかった。 警戒を覚えたシュンは、いまだ姿を表さない相手の出方を慎重に窺おうとする。 『どこ見てるの?』 「君がどこにいるのか、探しているつもりなんだけど」 『目の前だよ』 「……?」 シュンの前には、例の石造しかない。 試しに石造の周りを一周してみるシュンだが、勿論誰かがいる訳でもなく。 『違う。ここ』 端的な言葉は石造の正面から発せらているように感じられ、シュンは再び先程の位置にゆっくり戻る。 まさか、この厳つい石造がこの愛らしい声を出しているのだろうかと、シュンの額に冷や汗が浮かんだ。 「僕に話しかけているのは……えっと、あなた、ですか?」 『半分は正解』 「……まさか」 シュンの視線が、タイピンについている青い石で固定される。 『正解』 この石に見える何かは機械を模倣して声を出しているという想像が、シュンの頭に浮かび上がった。 あまりにも肉声に近い少女の声を考えると、なかなかの精度を誇るだろう。 「君も、参加者なのかい?」 『さんか?』 「……この島で、殺し合いを強要されている訳ではないのかな?」 『違う。そこには、いない』 まさか外部の人間がコンタクトを図ってくるとは、シュンも予想だにしていなかった。 言葉を詰まらせ、シュンは次に何を発しなければいけないかを懸命に探そうとする。 その隙にと、今度は少女がシュンに声をかけてきた。 『お兄さんに聞きたいことがあるの』 「何かな」 『お兄さんは、大事な人のためなら人を殺すことが出来る?』 少女の口調は、決して軽いものではない。しかし重厚さも感じられない。 初対面の人間相手に口にする類のものではない問いかけに、シュンは思わず唖然となった。 その質問の意図が分からず口ごもるシュンに対し、声はじっとシュンの出方を待っているようである。 「……どうして、それが聞きたいのかい?」 『知りたいから』 「それは何故?」 『いいから答えて』 他に話すことなどないというような、それはまるで明らかな拒否を表しているかのようにも思えるはっきりとした物言いだった。 少女の声から察するに、シュンは相手がは年端も行かないくらい幼い子供だと思っていのだろう。 シュンの中に想像という形で勝手に組まれていた、見えない相手の相貌が崩れていく。 声の主の目的が、シュンには全く読み取ることができなかった。 そもそもだ。 この不可思議な形態をとったやり取り自体が、おかしいのかもしれない。 姿の見えない相手と、ただの石のように見える実際は機械の類を通し会話しているということ。 しかも相手は、この島にはいない人間ではない。 何のためにシュンにコンタクトをとってきたのかも分からない。 何も、分からなかった。 ほんの少しの間瞼を伏せた後、ゆっくりと顔を上げたシュンは少女の問いに答える決意をする。 少女の素性は分からない、しかしきっと聞いた所で彼女が素直に答えることはないだろうとシュンは考えていた。 「何故だろうね。それでも敵意が感じられないから、不思議になるよ」 小さな笑みを浮かべながら、シュンは肩の力を抜いた。 「殺さないよ」 『ん……?』 「人を殺すかっていう、質問だったよね。答えはノーってことさ」 笑みをたたえたままのシュンの口調は、その様子からは量れないしっかりとしている。 傍から見たら、一人語り以外の何物でもないだろう。 シュンは気にせず青い石の向こうに繋がっている相手に向けて、言葉を放った。 「そんなことよりも、僕は僕にできることをしたいと思ってる。僕に残された時間は、余り多くないからね」 『どういうこと?』 「体がね、もたないと思うんだ」 きゅっと、軽く胸元を握り締めながらシュンは少しだけ俯いた。 セーターを脱いだそこに伝わる体温は、シュン自身でも分かるくらい高い。 運動量だけで考えたとしても、普段のシュンに比べたら既に倍以上行っているのだ。 与えられた薬の量も限られていることから、シュンはこの時点で自分の限界を自覚している。 「だからこそ、今できることをしたいと思ってる。人に危害を加えている余裕なんてないし、それこそ僕の行動に矛盾が出る」 『矛盾?』 「ここに無理やり連れ込まれた人は、みんなこれからも普通に生を満喫できるはずだったと思うんだ。 確かに殺し合いは行われているけれど、それでも誰もが被害者なんだ。 きっと、そうして他人を傷つけている人の中には、君の言う大事な人を守るために行動を起こしている人もいるだろうね。 でも、それでは何の解決にもならない。争いは争いしか生まない」 緩く首を振り姿勢を正すシュン、何かを悟っているかのような少年の声は控えめなものだった。 シュンの言葉は正論である、しかし。 まるでこの島で起こっている殺し合いを傍観しているかのような、空虚さがそこにはあった。 それは彼が、自ら先頭に立ち事を運ぼうとしていないからかもしれない。 「僕には人を動かす力はない。だから僕は、僕ができることをしたい。 生き残ることができたはずの、みんなの思いを伝えることで残していきたいんだ。 それが今、僕がここにいる理由だよ」 『ねえ。それじゃあ、一緒にいるお姉ちゃんが死んだらどうするの?』 「……ごめん。分からないとしか言えないかな」 こんな自分を慕ってくれて、協力を申し出てくれた香奈子の存在はシュンにとっても大きいものだろう。 シュンの精神的な安定は、そんな仲間がいることで保たれている部分がある。 それでもシュンは、想像ができなかった。 何度も描いた覚えのある自分の命が朽ちる場面ならまだしも、仲間である彼女を失う可能性をシュンは具体的に考えることができなかった。 靄がかかったように見えなくなっている心の奥には、シュンでも開けられない蓋が被さっている。 その意味すらも自身で上手く把握できていないシュンは、軽い苦笑いを浮かべることぐらいしかできなかった。 「あ、そうだ」 気を取り直した様子のシュンが、再びあの彼の頬に張り付いているかのような微笑みを作る。 「与えられた命の意味が、誰にでもあるってこと。 彼がいたから僕は無気力になることなく、こうしてやりがいを見つけることができたんだ。 それを僕が改めて感じることができたのは彼のおかげで、そんな彼はまだ生きている。 これは、ちょっとした支えかもしれないね。ふと、そう思ったよ」 そう言って爽やかな笑みを浮かべるシュンに、死の色は見えない。 シュンにとって唯一の友人と呼べる彼と、シュンはこの島に来てまだ再会していなかった。 特別合流したいという思いが、シュンの中にある訳ではない。 彼には彼のできることがあり、それがマイナスに働くことはないだろうとシュンも鼻を括っている。 それだけの信用と可能性を、シュンは彼に期待の意味も込め持っていた。 「そうだね。君は、僕ではなく彼に会うべきだったのかもしれない。 僕の答えじゃ、君を満足させることはできなかっただろうからね」 『ううん、上出来』 「え?」 シュンの自嘲染みた言葉を打ち消したのは、辺りに広がる眩い光だった。 と、同時に焼け付くような熱がシュンの左手に押し付けられる。 『信念がある人は、好き。パパもそういう人は信用に値するって言ってたよ』 痛みで麻痺しかけた感覚の中、少女の声だけがシュンの頭の中に響き渡る。 何が起こったのか見定めようと瞳をこじ開けたシュンの視界には、一面の青が広がっていた。 と、さらなる痛烈が左手に走り、きつく目を閉じたシュンが再び瞼を開けた時には既に、世界は平常なものへと戻っていた。 「……夢、だったのかな」 少女の気配が掻き消えたことにより、ただでさえ人気のなかった中庭は本当に閑散としているとしか言いようがなかった。 光が晴れた先には、シュンにとって見慣れてしまった朝の風景が戻ってきただけである。 ふと。 その中で、二点だけ変化が起きていたことにシュンはすぐ様気がつくことができた。 一つ。 シュンの目の前に佇んでいた石造に嵌められていたはずの、アクセントになっていた青の石が消えていたこと。 二つ。 石造に備え付けられていたはずの青の輝きは、今何故かシュンの左手の甲に埋め込まれているということ。 血の滴りはないけれど、肉に食い込んでいるらしい石は、シュンが少し手を動かすだけでも僅かに痛覚を刺激してくる。 結局シュンは、声の主に対し質疑を問う時間を与えられなかった。 機械だと思っていたこの石の正体を、彼が知る術は今や皆無である。 氷上シュン 【時間:2日目午前7時40分】 【場所:D−6・鎌石小中学校・中庭】 【所持品:ドラグノフ(残弾10/10)、救急箱、ロープ、他支給品一式】 【状態 :香奈子と由依を待っている。祐一、秋子、貴明の探し人を探す】 【状態2:左手の甲に青い宝石が埋め込まれている】 - BACK