〜前回までのあらすじ〜 微エロ展開だと思ったか!? 修理だよ! * * * 冗談はほどほどにしよう。やり過ぎるとろくなことにならないってばっちゃが言ってたからな。 手遅れだという意見に関してはスルーさせてもらおう。人間その気になったらやり直せるもんだ。 絶賛やり直し中の俺が言うのだから間違いない。 さて俺達が今何処にいるかというと海岸沿いに走ってるんだな。 さっきの爆音の震源地を目指して未だ赤く燃えている方を見ながらな。 それにしても派手にやってくれる。逆に見つけやすいからいいものの、一体何がどうなっているのやら。 とにかくヤバい事態になっていることはこれまでの経験上火を見るよりも明らかなので既に戦闘体勢だ。 何しろ得物だけは豊富だからな。小銃に釘打ち機、ガバメントに日本刀と十二分のお釣りが来る装備だ。 ゆめみも俺と比べればボリュームは少ないが近接戦闘用の武器と拳銃は持ってる。 もっともゆめみには無理せずサポートに徹するように言ってあるので心配もしていないが。 ふと、これは信頼なのかそれとも安心なのかと考える。 ゆめみはロボットだ。人間の役に立つように設計され、多少の誤差はあれど基本的に人間の命令には何でも従う機械だ。 だから裏切られる心配はない。言う事を絶対に聞いてくれると考えているから何も憂いはないと思っているのだろうか。 だがそれは違うと囁く俺もいる。例えロボットであったとしても彼女は自律している。 ならば、それは人間と同じ個の存在。言われたことを行うだけではない、考える力を持っていると思ってもいる。 人付き合い、人の心に触れてくることをしなかった俺にはどちらの言い分も正しいように見える。 所詮はロボットだという冷めた思考と、自分を支えてくれるという希望を孕んだ思考。 昔の癖が抜け切らないままどちらの考えにも傾いていない。 腐った大人らしく常に逃げ道を確保しているのだろう。言い訳が出来るように中途半端であろうとしているのか。 クソ喰らえだ。 これまでに積み上げてきた自分を罵倒する一方、逃げの論理を打ち崩す言葉が見つからないのもまた確かだった。 小賢しい考え全てを吹き飛ばせるような、たったひとつの言葉が見つからない。 誰かに聞こうという意思はなかった。これは俺で見つけ出さなくてはならない命題なんだ。 他人からの言葉は受け入れるだけのことでしかなく、俺が考え出した言葉じゃない。 自分自身で考えた『言葉』が必要なんだ。 だからこれだけはゆめみにも頼れない。依存はしたくない。俺が自立するための証明を打ち立てるまでは。 ま、逆に言えば見つければそん時にゃ遠慮なく他人とぶつかり合えるんだろうさ。 誰にも拠らない、自覚と責任を持った大人になれたってことなんだから。 俺もまだまだ青臭い部分があるのかもな、と苦笑を噛み締めつつ意識を目前の煙へと向ける。 やはり俺の目では視界が暗いこともあり何がどうなっているのか判断がつかない。 だがこういうときにうってつけの人材がいる。ロボットのゆめみさんだ。 「何か見えるか」 「……高槻さん……います」 「あ? いるって」 「……『妹』が……」 想像も出来ない言葉につかの間思考が吹き飛び、俺は言葉を失う。 妹? ロボットに妹か? お母さんは誰よ。じゃじゃまるー、ぴっころー、ぽーろりー…… 意味不明な思考のそれ道に入ったところで、しかしゆめみは工学樹脂の瞳を細めただけだった。 まるでここで出会ったのが信じられないというように。 急激に茶化した考えの渦が治まり、鋭角的な思考の光が脳裏を満たしていく。 ゆめみは嘘をつかない。つけないのだ。ロボットだから。 ならば、言葉の裏に隠されたものの意味は何だ。 「……同型機、だってのか」 「後継機です。……わたしは、あの子のプロトタイプなんです。 私自身は日本の設計ですが、あの子はわたしを元にしてより戦闘向きに設計され、 より戦闘に適した骨格と電子頭脳を有するロボット。……『アハトノイン』です」 「アハトノイン……」 戦闘用という言葉よりも、『89』を意味する数字の羅列が俺の耳朶を打った。 ゆめみとは違う、単なる機械ということしか意味しない冷たさが。 だが、成程理に叶っている。ロボットは嘘を吐かないのと同様に命令されなければ喋ることもない。 遠隔操作だって出来るだろう。こちら側に送り込む尖兵としては最適というわけだ。 死ぬことも恐れず、淡々と任務をこなし、壊れてゆくだけの道具。 捕らえられても何も情報を吐き出しはしないし、主催側に潜入する手段も自爆することによって処分出来るはずなのだ。 そしてここにいて、何かを爆発させたということは既に向こうは作戦終了したということだ。 恐らくは、俺達の細い細い希望の線を断ち切って。 無駄だという冷めた思考が俺の脳髄を渡り、全身に伝播していく。 脱出する手段がなくなった。これでは仮に首輪をどうにかできたとしても外に出る手段がないではないか。 となれば脱出するには主催側から奪うしかない。が、果たして殺し合いを管轄する側と戦って勝てる見込みはあるのか。 幾重にも重ねられた罠、洗練された兵士の軍団、豊富な装備。こちらを上回る要素などいくらでもある。 勝てるわけがない。その思いは体の動きを止め、俺を呆然と立ち尽くさせた。 ここまでやってきたことが無駄になったという実感が支配し、曇りが視界を覆っていく。 「高槻さん?」 ぎょっとしたような表情になってゆめみが振り返る。 自分より先にいたはずの俺をいつの間にか追い越してしまったことに驚いているようにも見えた。 工学樹脂の瞳が俺を見据え、どうしたのかと尋ねている。 内心を悟られているのかと思いながらも、俺は努めて冷静に「いや」と返した。 「どうしてそんな奴がここにいる」 全然冷静じゃなかった。分かりきったことを今さら尋ねて何になるというのか。 ゆめみは無言の間を置いてから「分かりません」と言った。 「わたしには推理を成し得るだけの能力がありません。ですが、事実は分かります。 砂浜で何かが爆発して、その近くにあの子がいました。だとするならばあの子が何かを握っている。 それだけは確かだと思います。だから聞き出さなければならない。……そうでしょう?」 確認を取るようにゆめみは笑った。口元を歪ませる、どこかで見たような笑みだった。 ぽかん、としばらく呆気に取られる。誰なんだこいつは。誰なんだこの馬鹿は。 品のない笑い方。ゆめみはこんな表情をしていただろうか。自信満々なこの笑い方をする馬鹿を、俺は一人しか知らない。 「ぴこ」 ぽん、と肩によじ登ってきたらしいポテトがぽんぽんと肉球で叩く。 どうやら、もうどうしようもないと自覚した俺は笑うしかなかった。苦笑でも冷笑でもない、何の意味も含まない笑いを。 小賢しい考えがそれと共に吐き出されていき、俺の腹の中をクリアにしていく。 ああ、そうだ。これは、俺だ。 馬鹿野郎だ。こいつはとんでもないことを覚えてしまったアホだ。 学習してしまったのだ。この俺を。間違いだらけで常に逃げ道を探している大人の姿を。 打算的で、ずる賢くて、どうしようもない俺の姿がここにある。 一蓮托生という言葉が思い出され、最早決定事項となってしまっている事実を受け止めるしかないと気付かされる。 最悪だな。俺は、もうひとりじゃないらしい。 馬鹿だよ、本当に馬鹿だな。 誰に言ったのかも分からない独り言が最後の靄の塊だった。 「……そうだな。そうだ、やるだけやってやろうじゃないか」 代わりに俺の中を満たすのは『言葉』。不意に発した一蓮托生という言葉が俺の何かを組み上げていくのが感じられる。 逃げの論理を打ち崩す言葉は、もうそこにあったのだ。 喧嘩を売りにいってやる。多分、俺はゆめみと同じ笑い方をしている。 相手がロボットなら遠慮はいらない。思い切りブッ壊してやる。 * * * ゆらり。 罰を受けた罪人のように彼女は歩いている。 頭を垂れ、プラチナブロンド風に染め上げられた人口の頭髪を纏いながら。 彼女は罪を背負っている。 人を裁くは人、その業を真正面から受け止めて、彼女は行動している。 工学樹脂の瞳は地獄しか映さない。 なぜ。 人は殺しあうのか。 なぜ。 お互いを食い合うのか。 なぜ。 罪を分かりながら食い止めることも出来ないのか。 ならば、いっそ。 わたしたちが罪の一切を背負いましょう。 かつてあった理想郷へとひとを引き戻しましょう。 それが遍く神に仕えし者どもの役割なのですから。 だから。 あなたを、赦しましょう。 穏やかに彼女は笑った。 或いは聖母のように。或いは残酷な子供のように。或いは七つの大罪を犯した悪魔のように。 漆黒の修道衣がはためいた。 対になるようにスリットから見え隠れする白い足の、太腿に無骨なグルカ刀を、蛇のように纏わせている。 右手には小さな手には余り過ぎるサイズの銃。 P−90と呼称される短機関銃というにはいささか特異なフォルムの兵器がある。 プラスチックを多用したブルパップ形状のそれは修道衣と同じく不気味な黒色であり、雨に濡れて妖艶さをも醸し出していた。 女性が片手で持つにあまりにも不釣合いなP−90はしかし、彼女が人間でないことの証明をしているように見えた。 神に仕えし異形だけに所持を許された、裁きの光。彼女はそのように認識している。 見上げる。そこには漆黒の海に浮かぶ船の残骸があった。 辛うじて電源は生きているらしく、ガラスの殆どが砕けた窓からは小さな明かりが明滅している。 これは、人を冥府へと誘う三途の川の渡し舟だ。誰も救わぬノアの箱舟。 差し伸べられた手は救いなどなく、牙を覗かせ得物を待ち構える奈落への切符でしかない。 故に、彼女には責務があった。 悪魔の手から人を救う。彼女は命じられ、ひとつの思いのままに動く。 下準備は既に整っている。悪鬼をなぎ払う聖なる光を、神は貸し与え賜うた。 悪魔は必ずや討ち滅ぼされましょう。 神よ。それを意味する祈りの言葉が呟かれたと同時、左手に握られた起爆装置のスイッチが押された。 船の内部、船体を支えるキールや推進機関などに取り付けられた、 『聖なる光』――俗にセムテックスと呼ばれる高性能プラスチック爆薬が作動し、 小規模な火球を生成した後莫大な量のエネルギーを船外へと撒き散らした。 鉄骨はひしゃげ、キールは折れ曲がり、瞬く間に船としての機能を失わせていく。 いや船が機能を失うには数秒とかからなかった。元々が座礁し、傷つけていたこともあったからだ。 船体に罅が入り、海水が雪崩れ込む。スクリューも弾け飛び、残骸の一部を海に漂わせる。 最早確認する必要もなかった。沈没せずとも修理する手段もない沖木島では、十二分な致命傷である。 否、たとえ修理する手段があったとしてもこれだけの傷を与えられバラバラになりかけた船体を修理する意味はない。 任務は達成した。そう断じた彼女の視界の先では、 爆発と共に引火したのか崩壊した船で小規模な火災が起こっており、もうもうと煙を噴き上げていた。 雨の度合いからして数時間もあれば自然に収まるだろう。飛び火も心配はない。 他に命令はない。速やかに帰還すべきという思考に従い、 浜辺から離れようとした彼女のイヤーレシーバーが二つの足音を聞きつける。 コンピュータのデータベースから即座に情報を弾き出し、何者かを確認する。 一名、男。一名、SCR5000Siシリーズ、FL CAPELU型。 内一名、イレギュラーを撃破した経験有り。危険度は高い。 しかしそのように判断しつつも彼女、アハトノインは何も構えを見せようとはしなかった。 邪魔にならないなら無視して構わない。彼女の『主』たるデイビッド・サリンジャーの下した命令を、 彼女は『攻撃されない限り様子を見ろ』と解釈したのである。あくまで邪魔になるようなら消す。 つまり、撤退に支障をきたさなければ、攻撃してこなければ攻撃意思も持たない。 無視して撤退しようとした彼女の頬に銃弾が掠めた。 続け様に撃ちこまれた弾丸がアハトノインの足元に刺さる。 発砲音から.500S&W弾だと認識し、即座にP−90を構えて反撃に移る。 振り向きざまに撃たれたP−90の5.7mm弾が土煙を上げながら敵に迫る。 人体などの柔らかい物体に命中すると弾が横転して衝撃を物体に最大限伝えようとする性質が有る5.7mm弾は、 命中すれば確実に肉を削ぎ、一瞬にして致命的なダメージを与える。 しかし振り向いた僅かのうちに正確に狙いをつけていたにも関わらず、横に散開していた敵は回避してみせたのだ。 「逃がしゃしないぞ、チップでも何でも引き摺り出して親玉の居場所を吐いてもらう!」 「……申し訳ありません。でも、それでもわたしは……!」 囲むようにしてこちらに近づく男――高槻と同型機――ほしのゆめみ。 二対一。何ら問題はない。速やかに排除し、撤退する。 アハトノインは漆黒の空を仰ぎ、祈りを捧げた。 「あなたを、赦しましょう」 それが合図となる。 左右からそれぞれに刀を持った高槻とゆめみが切り下ろしてくる。 P−90を腰に戻し、グルカ刀に切り替える。 一歩腰を引き、高槻の刀をグルカ刀で受け止め、同時に後ろに放った蹴りがゆめみの体を九の字に折り曲げる。 当たったのを感触で確認し、刀を切り払い回し蹴りを高槻の鳩尾に叩き込む。 アハトノインならではのバランス感覚だった。人間では成し得ない芸当を、彼女は可能にする。 バランスを崩したところに腕を伸ばし、高槻を地面に引き倒す。 素早く足で体を踏みつけ、行動不能にしたところでグルカ刀を突き刺そうとしたが、ゆめみに阻まれる。 500マグナムが火を吹き、アハトノインの腹部に命中する。 44マグナム弾を遥かに凌ぐ威力を誇る.500S&W弾を受けて足が高槻から離れる。 野郎、と吐き捨てた高槻の足がアハトノインの膝を折る。 転倒したところに今度は高槻の持っていたコルト・ガバメントを撃ち込まれる。 いくらかが命中したものの、致命傷には程遠い。 修道服は防弾・防爆仕様になっている上人工皮膚も若干の防弾仕様。 骨格に至ってはマグネシウム合金であるが故に至近距離で爆発でも起こされるか、 鉄骨に押し潰されるかしないと折れ曲がりすらしない。 アハトノインが受けたダメージは衝撃のみという有様だった。 銃撃されたことにしてもゆめみがロボットだということを計算していなかっただけの話。 各駆動部に異常が無いことを一秒未満でチェックし、再攻撃に移る。 立ち上がったばかりの高槻に畳み掛けるようにグルカ刀で斬りかかる。 刀で受け止めようとする高槻だが力の差は歴然としていた。アハトノインもそれが分かっていた。 銃への対応と比べて不慣れな様子であるのは目に見えていた。それでも格闘戦に持ち込んだのは武器の差があるため。 P−90を相手に撃ち合いをしなかった判断は正しい。だが格闘戦の力量を見間違えたというのが彼女の結論だ。 力でも技量でも下回る部分はない。アハトノインは刀を弾き、体を浮かせたところに鋭く突きを入れる。 元来グルカ刀は突くための武器ではないが、それでもダメージを与えられると計算しての行動だった。 何より、このような力押しの攻撃でさえ人間にとっては脅威なのだ。それほど、アハトノインのスペックは高い。 「っぐ!」 深くは刺さらなかったものの脇腹の表層に当たり、高槻が苦悶の声を上げる。 返す刀で更に追撃。避けようとしたが、遅い。振る前から分かりきっていた。 本来の使用法である、袈裟の切り下ろし――斧がよろしく薙がれた刃は高槻の二の腕を深く切り裂いた。 倒れる高槻。止めはいつでも刺せると判断したアハトノインはもうひとつの脅威へと体を翻した。 忍者刀を振るゆめみの腕を空いた手で掴み、そのまま中空へと投げ飛ばす。 落ちたところにグルカ刀を突き刺す。そのつもりで一歩踏み込んだ。 「このくらい……!」 計算が外れる。器用に着地したゆめみは素早く刀を逆手に持ち替え、射程圏内へと接近していたアハトノインに刺突を繰り出す。 緊急回避。脚部モーターを最大限のパワーで動かしバックステップする。突きと共に振り上げられた刀は空を切る。 データが違う。事前に登録されていたほしのゆめみのスペックではこんな動きは出来ない。 様々な可能性を視野に入れるも、彼女のスペックがどれほどなのか分からない。何しろ、ゆめみにも過去のデータはない。 アンノウン『正体不明』と戦うことは決して芳しいことではない。 戦法を変更する必要性があった。速戦即決から様子見に。敵の力量を測る必要がある。 距離を取り、グルカ刀を構えつつ一定の距離を保つ。 P−90は取らなかった。この程度の距離では寧ろ取り回しが悪い。 人間相手ならともかくスペックの不明な同型機に対して使用するのは危険だと判断したからだ。 「……お尋ねしても、宜しいでしょうか」 ゆめみがアハトノインに向けて言葉を発する。悪魔の言葉だ。 耳は貸さない。貸してしまえば自分も悪魔になる。我々は悪魔を討ち滅ぼす矢だ。矢は飛ぶだけ。 何も言葉は必要ない。 けれども、しかし……彼女はあまりに慈悲深く、やさしく作られていた。 「あなたを、赦しましょう。ですから、どうかそれ以上何も仰らないで下さい。魂を、汚してしまう前に」 能面が割れ、柔らかい笑みが形作られる。それだけ見れば、アハトノインは聖女のように見えた。 そうですか、と嘆き悲しむように、苦渋を飲み下すように、ゆめみはそう言った。 それでも私達はやらなければならない。神は、私達に力を与えてくださったのだから。 「神も、あなた方をお赦しになられるでしょう。救われるのです」 会話が終わると同時、見計らったようにアハトノインが踏み込む。 自身の射程は完璧に把握している。刃先がギリギリ肌を切るようにグルカ刀を振り下ろす。 回避することも計算に入れた早い攻撃。受けは取れない。 しかしゆめみはまたしても想定外の動きでアハトノインを翻弄する。 大きく跳躍したゆめみはグルカ刀の射程から逃れ、踏みつけようとしてくる。 切磋に腕でカバー。押し戻す。後ろに着地したゆめみにアハトノインも反転して切りかかる。 アハトノインの肩口には刺し傷があった。腕で受け止めたと同時に突き刺したと判断する。 上空からの攻撃パターンとして認知。敵戦術を予測。 再び跳んで回避しようとしたゆめみだったが、アハトノインの切りかかるモーションはフェイントだった。 上空に舞い上がった直後のゆめみに更に接近し、足を掴む。 そのままぶん、とジャイアントスイングのように振り回し地面へと叩き付ける。 砂浜をごろごろと何回も転がっていくゆめみ。 アハトノインはその瞬間に加速を始めていた。起き上がりを狙って頭部を叩き割ろうとグルカ刀を振る。 ゆめみが咄嗟の判断か、刀を横に構えグルカ刀を受け止める。 火花が爆ぜ、ギチギチと二本の刀がぶつかり合う。 「悔いることはありません。あなたはそのことに気付いたのですから」 しかし、上から力を加えるアハトノインと下から押し上げようとするゆめみとでは断然アハトノインの方が有利だ。 その上元々のマシンパワーの差か、悲鳴を上げるゆめみの腕部に対してアハトノインはほぼ負荷もかかっていない。 スペック差は歴然。AIが優秀だったのだと結論付けて更に力を強める。 「恥じることはありません。あなたはそのことを知ったのだから」 褒め称えるように、アハトノインは歌い、謳った。贖罪の言葉であり、断罪の言葉だった。 悪魔の魂は浄化される。さすれば、彼女も同じ天国に行くことができる。 最初は拮抗していたバランスも徐々に崩れ、少しずつアハトノインの力がゆめみを屈服させていた。 「変わりなさい。でも目を上げ、敬うことを忘れてはいけません」 それは、教えだった。 魂を導く者としての義務。 やり直さなければならない。 救われぬ悪魔を救うために。神の慈悲を正しく浮け給うために―― 「冗談じゃねぇ」 アハトノインの言葉を遮るように、低くしわがれた声が突き破った。 同時、体に衝撃。上半身を中心にして高槻の撃った45口径の弾丸がアハトノインを吹き飛ばす。 防弾性能の高い修道服によりほぼダメージはなかったものの、またもや予想外に阻まれる。 計算上では、高槻は数分は身動きも取れないはずなのに。 むくりと起き上がったアハトノインに、苛立ちと怒りを含んだ舌打ちが向けられる。 上半身を起き上がらせ、息も絶え絶えという様子にも関わらず高槻からは一切の澱みも見受けられない。 ああ、やはり彼は悪魔なのだ。救うことも叶わぬ深淵を這いずる屍人になってしまった。 神よ、お赦し下さい。罪を犯す私をお赦し下さい。ですから、彼には永久の安らぎを。 「手前の勝手を押し付けるな。俺達は誰の指図も受けない。救ってもらおうとも思わない。 俺達は孤立して生きるんだよ。神だ何だ、そんなものに縋らなくても立って歩いていける、そんな生き方だ。 クソ喰らえだ。真っ平御免だ。そんなのは甘えてるだけだ。自分勝手だろうが、俺は、俺に拠っていきたいんだよ。 そうさ。俺はお前らのようなのが、大っ嫌いなんでね」 ゆらりと立ち上がった高槻が鉈を取り出し、投げる。ぐるぐると円を描いて首を狩るように迫るが大したこともない。 軌道を読み、回避しつつ高槻に接近する。続けてガバメントも投げてくるが、掠りもしない。 更に武器を取り出そうとするが、遅い。射程に入った。 グルカ刀を振りかぶる……その前に、アハトノインは突如として反転して、突きつけられようとしていたものを掴んだ。 「!?」 掴んだものはガバメントを構えていたゆめみの腕。至近距離に迫っていた彼女の体を引き寄せ、片手だけで背負い投げる。 ガバメントが弾切れでないことは見切っていた。ゆめみが立ち上がり、後ろに忍び寄っていたのも知っていた。 ゆめみの持つ500マグナムが弾切れであること、想定外を主戦法とする彼らの行動を踏まえれば想像は容易かった。 想定は的中した。投げたガバメントを後ろで受け取り、至近距離から狙撃する。 アハトノインは、学習していたのである。 呆気に取られる二人の姿が見えた。アハトノインはゆめみを高槻へと投げつける。 大の字になって飛んでいく彼女の体を怪我した高槻が受け止められるはずはない。避けられるはずもない。 悲鳴を上げ、もつれながらごろごろと転がっていく二人。ターゲットが固まる。 ならば、一気に止めを刺す。任務達成だ。 P−90を取り出し、弾倉を素早く交換すると瞬時に狙いをつける。 「主よ、等しく私達を見守ってください」 慈悲深い笑みが浮かぶ。たおやかで、どこまでも純粋なそれは、正しくロボットの表情だった。 * * * 「……よし、これだけ集めれば十分だろう」 そう言いながら、芳野祐介は両手に抱えたロケット花火の山を袋詰めにしてゆく。 雨なので濡れないように、とわざわざ二重に袋を使って。 「役に立つといいですね、これ」 言葉を選ぶように藤林杏が言う。芳野もああ、と同意した。 これで必要な材料のうち二つが揃ったことになる。残る一つは向こうが揃えてくれる手はずだから、一旦戻ってもいい。 高槻たちも連れて帰った方がいいだろう。考えて、芳野は先ほどの出来事を思い出してため息をついた。 神経過敏なのだろうか。犬(?)一匹に警戒し、あまつさえ慰められる始末。 お陰で今は多少の冷静さを取り戻し、こうやって過去を思い返すことだって出来ている。 俺はおかしかったのかもしれない、と芳野は自虐的な感想を抱いた。 これまでの経験から言えば、仕方のないことなのだろう。出会う連中の大半が敵であり、その度にほぼ誰かしらを失っている。 そして自分は事態に即応出来ず、結果仲間を殺させてしまう場合が多かった。 瑞佳、あかり、詩子。守ると宣言したはずの人々は誰一人として守れず、助けられることさえあった。 自分を責めたってどうにもならないことは分かっている。 逃げちゃいけないと、強く言って手を握り締めたあかりの感触が未だにこびりついている。 しかし、それでも――芳野は己の無能さを嘆かずにはいられない。 果たして自分は誰かの役に立てるのか。誰かを守り通せるのか。大人として正しい道を指し示せるのか。 なにひとつ、どれひとつとして確信が持てない。 生きている価値なんてないのではという冷たい思考が時折流れ込み、それすら受け止めようとしている。 その度に自分を戒め、まだ投げ出すわけにはいかないと必死に言い聞かせる。 それでも腹の奥底に、へばりつくようにして「死んでしまえよ、役立たず」と主張する声があった。 声は若かった。若い自分の声で、よく目を凝らしてみれば人の形をしている。 慢性的に薬を服用していた過去の自分だった。頬は痩せ、焦点の合わない目つきを湛えてうずくまっている。 お前じゃ誰も救えない。お前の歌なんて上辺だけだ。全部自己満足。そうだろう、俺? ことあるごとに奴はそう囁いてくる。 誰かが死んだことを実感した瞬間によく現れる。ぬっと忍び寄ってきては蔑むように笑うのだ。 言い返そうとしてもそのときには影も形もなく消えている。言葉だけを一方的に伝え、自分を押し付けるのだ。 まるで、昔の自分の歌のように。 耳障りで、不愉快で、異常なほど喚き散らすそれは、しかし、確かに自分だった。 『言い訳してみろよ』 また耳元で奴が囁いた。 『あれはしょうがなかったんだ、逃げちゃダメだって言われたからなんだ、責任を取らなきゃいけないからなんだ』 声はいつもにも増して饒舌だった。 掠れた声で、意味もなく叫ぶような、独り善がりな歌だった。 『さあ、どれがお好みですか?』 そして消える。残されたのは肯定も否定も出来ない自分だった。 その通りだと納得している自分がいて、ここにいるのは自分の意志だと抗っている自分がいる。 だが結局のところ結論を出せてもいない。 確固たる己を持ち、何をしていけばいいのかも分からない。 死ぬのはいけないとは思っていても、だからどうする、そこまで考えが及んでいないというのが現状だった。 義務感に衝き動かされているだけで希望も持てない。こんな自分は…… 「芳野さん?」 聞こえた杏の声に顔を上げる。どうやら棒立ちになって止まっていたらしく、杏の姿は少し前にあった。 心配そうに芳野を見ていた。瞳が揺れ、当惑した表情が向けられている。 「いや……」 なんでもない、そう言い返そうとしたときだった。 ドン、という重低音が遥か向こう、鎌石村の先から聞こえてきたのだ。 杏も芳野もぎょっとしてそちらへと視線を向ける。 暗くてどうなっているのか分からないが、僅かに感じた地響きがただの災害などではないと訴えていた。 地震ではないことは明らかだった。恐らくは人為的に引き起こされたものだろう……例えば、爆発のような。 「行こう」 考えたときには、もう芳野の足が動いていた。もしこれが人為的なものだとしたら、誰かが殺しあっている可能性がある。 見過ごすわけにはいかない。小走りに現場の方へ向かう芳野に、慌てたように杏が手綱を握った。 「あ、あれ、何なんですか!?」 「正確には分からない。だがろくでもないことなのは確かだと思うぞ」 「間に合いますか!?」 「間に合わせるんだ」 言って、この言葉は本当に自分のものなのかという疑問が鎌をもたげた。 これも義務感でしかないのだろうか。何故あそこへと足を向けているのだ。 悪いことだとは思っていない。だが自分自身、何故助けに行くのかという質問に答えることが出来なかった。 大人として助けにいかなければ。正しいあり方を示さなければいけないから。 普遍的な答えは出てくるもののそれは一般論でしかない。 俺は、何がしたいんだ? 信念も論理もない、ただ規範に動かされているだけではないのか。 なら自分は、どうして生きている。どこに自分の価値を見出せばいいのか分からなかった。 『なら、死んでしまえよ』 ぼそりと、乱暴に、傲岸に、奴が言った。 『お前なんかが期待を背負えるものか』 歌が奏でられる。 『だから皆死ぬんだ。――お前のせいで』 怜悧な刃物が心臓を貫いたような気がした。 痛みが広がり、それに伴って脱力感が自分を支配していく。 俺じゃ引っ張っていけない、そんな無力感が絡みつくと共にまた奴が耳元に寄る。 『役立たずが――』 「芳野さん!」 またしても遮ったのは杏の声だった。 今度は若干、怒気を孕んだようにして。 それまでの杏は弱気だったり遠慮を含んでいたが、それを一気に断ち切ったかのように唇をへの字に曲げていた。 要するに……キレていた。 「さっきから話しかけていたんですけど。……大丈夫なんですか?」 「あ、ああ……」 答えたが、杏は何がますます気に入らないというように瞳を険しくした。 はぁ、と息を吐き出して杏はウォプタルの足を止めた。 「芳野さんも止まってください」 「は?」 「止まってください」 語調を強められ、何故だか従わなければいけないような気がした。 こんなことをしていていいのかという気になったが、不可抗力だった。 無言で走るのをやめた芳野に対して、杏は上から見下ろしたまま話を続ける。 「もう一度聞きますけど、大丈夫なんですか、本当に」 真摯な目がこちらに向けられる。もうなりふり構わないような、やるだけやってみようという若い意思があった。 もしくは堪忍袋の緒が切れたというべきなのか。 けれどもどうしてそうなったのかがまるで理解出来ず、芳野はただ答えることしか出来なかった。 「……大丈夫だ」 そう、問題はない。身体的には、何も問題はない。 それよりもこうして年下に心配されたことの方に対して芳野は恥じ入るような気持ちだった。 こんなことではいけない、もっとしっかりしなければいけない。 奴の声は徹底的に無視する。奴の言うことが正しいのだとしても関係ない。 自分が率先して先を進まなければいけないのだから。 「そうですか、分かりました……じゃあ、もういいです」 「は?」 言うが早いか、杏は手綱を握り直して芳野を置いて先に進もうとする。 杏の行動に一瞬呆然とした芳野だったが、すぐに我を取り戻し杏の追う様にして走る。 だが先程のように合わせて走っていたのとは違い、今は全力に近い状態出している。 馬と人間でかけっこをしているようなものだった。芳野はみるみるうちに距離を開けられる。 「ま、待て! どういうことなんだ!」 「今の芳野さんじゃもう任せられません! おかしいですよさっきから! ぼーっとしてたし!」 「いや、それは……」 「そんなにあたしが信用出来ないですか!?」 杏の言葉に頭を一撃された芳野は何も言い返せず、黙ってその言葉を受け止めた。 信用。していないつもりなどなかった。共に同じ知り合いを持っているし、言葉だって幾分か交し合った。 そのつもりだったのに。 「さっきだってそうでしょう? あたしの言葉にはあんまり反応がなかったのにあの音にはすぐ反応した。 まるで、状況に動かされてるように……芳野さんが思ってる以上に分かりやすかったですよ」 「そう、なのか」 言って、自分でも気の抜けた言葉だと思った。 意識してなかっただけで、自分がこんなに分かりやすい行動を取っていたというのか。 なんとも言いがたい、拍子抜けした感を味わい呆れ返りそうになった。 杏もそれを感じ取ったらしく、ウォプタルの動きを止める。 「あーもう、なんというか……高槻と話してたときからそうでしたけど、こう、 使命感とか、義務感とか、そんなことに衝き動かされてるだけのようにしか見えないんです。 あたし達なんて目にも入ってない。言い方、悪いですけど」 杏に追いついた芳野だったが、何も言葉は浮かばなかった。 まるで図星だった。ここまで明け透けだったとは寧ろ笑えてくる。 「いいじゃないですか、別に。大人でも子供でも、男でも女でも」 憤慨したように、不貞腐れたように、杏が愚痴を漏らす。 それは芳野に向けているようでもあり、また言い出せなかった杏自身に対して怒っているようにも思えた。 「そんなので立場をどうこうするなんて、あたしは嫌い。 ということで本当ならあたしより芳野さんがこの子を使った方が戦略上いいんじゃないかなー、 って思って譲ろうとしましたけど芳野さんがそんな人だからやめました。 ええやめましたとも。そんな人に譲りたくないですから」 一気にまくしたてると、杏は幾分かすっきりしたように、苦笑を含んだ表情のまま嘆息した。 不意に芳野の中で、以前語られた言葉が蘇る。 たくさんの人で覚えていることができる。 別に一人で覚えておく必要などなく、多くの人で覚えておくことができる。 一人じゃなくても。 「済まん」 短く発せられた言葉に、今度は杏が目をしばたかせる番だった。 「あ、いや、ひょっとして調子に乗ってたかも……」 自分の言ったことの重大性に気付いたらしい杏はいくらか顔を青褪めさせたようになって、 しどろもどろに返事をした。そういう部分では、まだ杏は子供だった。 子供だったが……同じ人間で、同じ立場だ。 何ら変わりない。優劣なんてない、殺し合いの参加者同士だ。 「いや、そんなことはない。悪かっ」 「ぴこ!」 「ぶっ!?」 いきなり白い物体が飛びはね、もふもふした感触が顔面に張り付いた。 獣臭い匂いであることから寄生生物ではなさそうだ。地球外生命体の可能性は高そうだったが。 前の見えない芳野はどうなっているのか分からず、杏(がいると思われる)方向にフォローを求めた。 「あ! 高槻の……どうしたのよ、こんなところで?」 どうやら高槻にまとわりついていた白い毛玉生物らしかった。 ぴこぴこぴーこー! と何やら怒ったように鳴いている。 ひょっとして近くにいるのに気付かず、スルーでもしていたのだろうか。 が、芳野にとってそんなことはどうでもよく、まずは暑苦しいこいつをどうにかしたかった。 むんずと身体を掴むと一気に引き剥がしてぽいっと投げ捨てる。 少々酷い扱いだったが、毛玉は事もなげに着地してぴこぴこと尻尾を振った。 「なんなんだ、あれは」 「……ついてこいって事じゃないですかね」 そうかもしれない、と芳野は同意した。 よく考えてみればこの毛玉はいつも高槻の傍にいた。 それが今ここにいるということは、メッセンジャーとして寄越したということではないのか。 高槻たちもあの爆音を聞いたのだとしたら、伝達役を寄越すのは納得がいく。 「早急に向かった方が良さそうだな」 「ですね。……この子、使います?」 ウォプタルを示す杏に「いいのか」と尋ねる。 「まあ、その、失礼なこと言いましたから」 そっけない風に言う杏に苦笑しながら「そうだな」と返す。 きっとそれだけが理由ではないのだろう。どうも自分はほとほと分かりやすい人種であるらしい。 けれども不思議と悪い気分ではない。少しだけ、自由になった気分だった。 もっと自分は無責任になってもいいらしいということが分かったから。 そういうことだ、と芳野は見えもしない『奴』に語る。 お前の歌は聞き飽きた。いや雑音と言うべきか。 俺は歌を押し付けない。俺は歌うだけだ。聞いても聞かなくてもいい、そんな歌を。 性質は同じなのだろう。どちらも決して必要ではないという点では。 だがこれだけは言える。この歌は、誰も押し潰さない。 誰をも縛り付けない、自由を奏でる歌を。 「じゃあ借りるぞ」 「まあ行けそうだったらあたしも行きます。……戦えるかどうか、分からないけど」 ウォプタルから降りたとき、杏が苦痛に顔を歪ませる。 当たり前だ。こんな短時間で完治するはずがない。 それでも杏が行こうとしたのは、それだけ自分が酷かったということなのだろう。 今だってどうかは分からないが……それでも、マシにはなったはずだと断じて、芳野は乗り込む。 「道案内を頼む!」 ぴこ、と頷いて走り出す毛玉に続いて、芳野はウォプタルを走らせた。 『奴』が忍び寄ってくる気配は、感じられなかった。 * * * ひとり残された杏は駆けていく二匹の動物と、一人の男の背を見えなくなるまで眺めていた。 体はまだごわごわした感触が残っており、歩き始めればまた痛みがぶりかえしてくるのだろうと推測する。 そう思って歩き始めてみれば、実際やはり痛かった。ウォプタルを譲って良かったと思う。 目が早いとはそういうことなのだろう、と杏は生意気な言葉をぶつけてきた高槻のことを考える。 なんとなく見返せたようで気分は悪くない。こう思えば、決して自分は無力じゃないのだとも自覚する。 無理はしなくていい。今やれることをやればいい。 もちろんひとりでは些細なものにしか過ぎないが、これが二人三人と積み重なれば結果として強い力になる。 信頼とか、協力という言葉の意味は、結局のところそういうものだ。 心の全てを知ることは絶対に出来ない。だから自分達は孤独なままだ。 であるからこそ人は寄り集まって自分の持つものの意味を知ろうとする。 人と関わり合い、差を知ることで自分を知り、己の持つ力がどんなものかを知る。 とはいってもそれ以外の理由もあるには違いないのだが。 性分なのだろう、と杏は思った。 一人で突っ走ろうとする奴を見ると止めたくなる。 朋也にしろ、浩平にしろそうだった。だから二人の死が、こんなにも悔しい。 そして、芳野も。 「やっぱ、朋也とそっくりよね……」 無論違う部分はあるが、本質が似すぎているのだ。 人に本音を語らないところが、特に。 「少しは、変われたかな」 高槻に言われて以来芳野をじっと観察していたからこそ、なんとなくだがおかしくなっていたことに気付けた。 もうこりごりだった。自分がよく見ていなかったばかりに失敗を犯してしまうのは。 勝平の死も、七海の死も、もう少し目を早くしていれば適切な判断を下せていたのだろう。 そういう意味では、既に自分は二人殺している。 胸が収縮し、息苦しくなるが自分にはそれだけじゃない。 この事実を分かち合える人たちの存在を、藤林杏は知っている。 あたしはまだ、頼っていいんだ。 ……子供だしね。 理由付けした瞬間、傑作だという思いが沸き上がりくっくっと低い笑いが漏れた。 また体が痛んだがこの気持ちを抑えることは出来なかった。 そう、自分は青臭い子供だ。何もかもを考えて分かりきった大人を気取るには全然早い。 だったら助言を求めて何が悪いのか。 開き直りだと思いつつもそれでいいと納得する。 「……!」 そうして笑っていると、森の向こうから銃声のような音が聞こえてきた。 雨に紛れての音だったので単発なのか、複数なのかは分からない。 自然と手に力が入り、誰かが生死の境を漂っていることを想像させ、杏は緊張する。 そこに自分は行けない。こうして傍観していることしか出来ない。 だから信じるだけだ。足を早めるために芳野にウォプタルを貸し与えることを決めた自分の判断に。 「……死なないでよ」 願うように、杏は雨粒を降らせる空を見上げた。 * * * 人間には、家族というものがいる。 親と子、兄弟、親戚……血の繋がりによって形成されるコロニーだ。 家族にはいくつかの取り決めがある。 家族同士で婚姻関係を結んではならない。 家族はお互いを助け合わなければならない。 家族は殺しあってはいけない。 ならば自分はその禁忌を犯したと同義なのだろうか。 ほしのゆめみは考える。 妹を壊そうとした、これが報いなのだろうかと。 所詮自分は出来損ないだったということか。 人間の役にも立てず、間違いを犯して、挙句頭脳までおかしくなった。 こわれている。 そんなわたしは処分されて然るべきだ、理性を管理するプログラムはそう報告していた。 意味不明のエラーが続いていた我が身を考えれば当然のことだった。 疑問に対する返答を弾き出したにもかかわらず再度同じ疑問を抱き思考を繰り返す。 ループバグだった。結論が出たはずの答えをいつまでも繰り返す。 この行動は正しいのか。 この考えは本当に間違っていないか。 事あるごとにそんな質問が生まれる。 ただ質問の内容によってはいきなりバグが解決することもあった。 特に修正を加えたわけでもないのにそれきりバグは再発しない。 そしてそういうときにはいつも決まって、思考体系がすっきりしているのだ。 この不可解な現象をどう定義づけたらいいのだろう。 思考する必要はなかった。そうするまでもなく、自分はこわれている。 「主よ、等しく私達を見守ってください」 それはこわれたものに対する哀れと慈愛だった。 救いと赦しの手を差し伸べる慈悲だった。 手を取れば、きっとわたしは救済されるのだろう。 罪の一切を洗い流し、新しく、こわれていない存在へと生まれ変わることが出来るのだろう。 きっとそれはわたし達『どれも』が望むことなのだ。 だから、わたしは―― 「冗談じゃありません。貴女の勝手を、押し付けないで下さい」 銃声を拒絶した。 遮二無二立ち上がり、ゆめみは高槻から譲り受けたガバメントを真っ直ぐ、躊躇いなく、個の意志を以って引き金を引いた。 アメリカ人が好む大口径の45弾が今までのどんな射撃よりも精密にアハトノインの手首を撃ち貫いた。 防弾コート部分とは異なり人工皮膚はそれなりに衝撃を緩和する程度の性能しかなく、 22LR弾の実に3.9倍もの威力を誇る45ACP弾を食い止めることなど到底出来はしなかった。 人工皮膚を通過した弾丸は回転しながら爆発的にエネルギーを拡散させ、 内部の神経回路はもとより手と腕を繋いでいた関節部の金属をも粉々に粉砕した。 関節部もマグネシウム合金ではあったものの骨格と比べ薄く、耐久度は劣っていた。 結果としてP−90を保持したままアハトノインの右手は吹き飛び、退却をせざるをいけない状況に追い込まれた。 だがゆめみ一人が相手ならまだそこまではいかなかった。 そもそもゆめみは銃弾の一発も当たってはいない。アハトノインも撃てなかった。 何故か? アハトノインは行動を阻害されたからである。 「残念だが、ここまでだ」 ウォプタルに乗って現れ、ウージーの弾幕でゆめみを援護した、芳野祐介という新手の存在に。 ゆめみが聞いたのは芳野の銃声。拒絶したのは、アハトノインの銃声だ。 「ちっ、遅いんだよバカヤロウ」 「期待もしていなかったくせに、よく言う」 悪態をつきながら、高槻も立ち上がっていた。 ゆめみ、高槻に加えて芳野まで加わったこの状況、 右手とP−90を失った現状においてはさしものアハトノインも不利を認識するしかなかった。 「逃げられると思うか」 芳野がウージーを、高槻が新たに89式小銃を、そしてゆめみがガバメントを。 一斉射撃の構えを見せて、それでもアハトノインは動じなかった。 何の躊躇いもなく左手で腰に備えてあった球状の物体を即座に三つ放り投げる。 途端、凄まじい煙の群れが三人を覆いつくし、瞬く間に視界を奪った。 それがスモーク・グレネードだと理解し三人が煙から脱出したときには、既にアハトノインの姿はなかった。 まるで、最初からそこにはいなかったかのように。 「……ちっ、こんだけ苦労して手に入れたのがこれかよ」 全身あらゆる箇所に傷を負い、ボロボロで動きも覚束ない高槻がアハトノインの右手がついたままのP−90を拾い上げる。 そう、戦闘には勝利したものの寧ろ状況は悪化した。 脱出の要であるはずの船は完膚なきまでに破壊され、いたずらに弾薬を消費し、怪我まで負った。 ちくしょう、と呻いて高槻は砂浜に雨や泥がまとわりつくのも構わず身を投げ出した。 「ぴこ」 「……すまん、間に合わなかった」 ポテトに対して、懺悔するように高槻は語った。高槻らしい、とゆめみは思う。 「だが、俺達は生きている」 呼応するように芳野が返した。「とりあえずはな」と続けて、芳野はゆめみの方に視線を向けた。 「そっちは大丈夫なんだな」 「はい。何も問題はありません」 微笑してゆめみは返答した。高槻に比べれば傷なんて皆無に等しい。 問題があるとすれば、自分がこわれていることだろうか。 そう、自分はこわれている。時折生じる不可解な現象。こんなものがあってこわれていないと言えるだろうか。 だが、それでよかった。正常なデータだとしてもこの現象を定義付ける言葉は、きっと書かれていない。 だから自分で考えようと思った。定義付ける言葉を。 考えるロボット。それは、きっとこわれている。 故にわたしは、機械ではない。そう思うのは、少し傲慢だろうか。 いや傲慢でいい。 わたしは、高槻さんの……パートナー、なのですから。 【時間:2日目午後23時00分ごろ】 【場所:D-1】 タイタニック高槻 【所持品:日本刀、分厚い小説、ポテト(光二個)、コルトガバメント(装弾数:2/7)予備弾(5)、鉈、電動釘打ち機12/12、五寸釘(10本)、防弾アーマー、89式小銃(銃剣付き・残弾22/22)、予備弾(30発)×2、ほか食料・水以外の支給品一式】 【状況:全身に怪我。船や飛行機などを探す。爆弾の材料も探す。主催者を直々にブッ潰す】 ほしのゆめみ 【所持品:忍者刀、忍者セット(手裏剣・他)、おたま、S&W 500マグナム(0/5、予備弾7発)、ドラグノフ(0/10)、はんだごて、ほか支給品一式】 【状態:左腕が動くようになった。運動能力向上。パートナーの高槻に従って行動】 芳野祐介 【装備品:ウージー(残弾0/30)、予備マガジン×3、サバイバルナイフ、投げナイフ】 【状態:左腕に刺し傷(治療済み、僅かに痛み有り)】 【目的:杏に付き従って爆弾の材料を探す。思うように生きてみる】 藤林杏 【所持品1:ロケット花火たくさん、携帯用ガスコンロ、野菜などの食料や調味料、食料など家から持ってきたさまざまな品々、ほか支給品一式】 【所持品2:日本刀、包丁(浩平のもの)、スコップ、救急箱、ニューナンブM60(5/5)、ニューナンブの予備弾薬2発】 【状態:重傷(処置は完了。激しすぎる運動は出来ない)。芳野に付き従って爆弾の材料及び友人達、椋を探す。待機中】 ウォプタル 【状態:芳野が乗馬中】 【時間:2日目午後23時00分ごろ】 【場所:???】 アハトノイン(02) 【状態:任務終了。撤退中。右手損失】 【装備:グルカ刀、P−90の弾倉(50発)×5】 【その他:岸田洋一の乗ってきた船が完璧に破壊されました。P−90(50/50)が砂浜にあります】 - BACK