十一時五十七分 SIDE-B/星空の下で、あなたと






 
助けてと呼ぶ声は、いつだってか細くて。
だから、幸せに笑う誰かには届かない。

しあわせになりたいと願う、小さな祈りは。
だから儚く、消えていく。

願いはどこにも届かない。
想いのひとつも叶わない。

なら、だとすれば。
たとえばその声を聞いた私に、何ができるのだろう。

私の願いは届かない。
私の想いは叶わない。

私はもう、救われない。
助けてと呼ぶ声は、だからもう、救われない。
救われず、報われず、続き続けてしあわせから遠ざかっていく。
だからいつか、助けてと呼ぶ声は、ひとつの哀願に変わっていくのだ。

―――終わらせて、と。

私にできること。
助けてと呼ぶ声の聞こえる、救われない私にできる、たったひとつのこと。
救うということ。願うということ。祈るということ。

それは。
いつまでも、どこまでも続く、救われず在り続ける生を。
終わらせると、いうこと。


******

 
大気とは星の加護である。
加護の与えられぬ空の彼方、高度約三万六千キロメートルは、十数時間ごとに灼熱の地獄と化す。
摂氏百度を優に越すその空間には無数の金属片が散乱していた。
被覆を剥がれた剥き出しの部位を輻射熱に直接炙られて赤熱するそれらは元来、寄り集って
ある一つの構造物を成していたものである。
何か強い力によって破壊され、周囲の宙域一帯に飛散した残骸の量を見れば、その構造物が
全長と質量と、その両方において非常識なまでの威容を誇っていたことが推測できる。
大気から解き放たれてなお惑星の重力の軛に絡め取られる宇宙空間、高度約三万六千キロメートル。
静止軌道と呼ばれるその宙域に存在する、巨大な構造物の名を、天照。
汎攻撃衛星、天照という。

しかし科学の水準を無視して存在した鋼鉄の城砦も、今や風前の灯といった体であった。
散らばった残骸の中心にあるその構造体はあらゆる部位が傷つき、或いは破壊されて黒煙を漂わせている。
宙域の皇として君臨したかつての威容は見る影もなかった。
無数の砲塔に明滅していた光点も、既に残り少ない。

と、数少ない光点がまた一つ、消えた。
同時に、轟と震動が響き、外郭装甲の一部が赤熱。
僅かな間を置いて、爆散した。
誘爆を避けるためにパージされた装甲の下から顔を覗かせたのは、回転式の砲塔である。
静止衛星である天照に、質量を持つ実弾兵器は存在しない。
その大小を問わず、砲はすべて光線式である。
砲身の過熱を避けるためのターレットが回転し、照準を開始。
しかし砲塔は、その生産用途を果たすことなく役割を終えることとなる。
照準が敵影を捉え光線を発射するよりも一瞬早く、砲身が捻れ、爆発していた。
破壊を齎したのは、漆黒の宙域を溶かし込んだような、黒い光弾である。
放った敵影が、遮蔽物の陰から姿を現す。
大気に遮られぬ圧倒的な太陽光に照らされて立つ、その姿は美しい。

それは、背に大きな翼を持つ、少女の姿を象ったシルエットである。
漆黒を主体としながら、肌を露出させるかのようにあしらわれた白銀のライン。
細く、しかし確かな躍動を秘めて伸びる脚部から、しなやかに長い指先まで、
あらゆる部位を希代の芸術家が丹精込めて彫り上げたような、天上の意匠。
羽ばたく翼は、夜を運ぶが如き黒の一色。
微笑むような表情を浮かべた白銀のかんばせは、あどけなさを残しながらも
花開く寸前の蕾の危うさを内包している。
それは紛れもない機械でありながら、しかし見る者にそれを肯んじさせぬ何かを持った、
鋼鉄の少女であった。
その名を称して、アヴ・カミュという。


***

 
『ふん、あの程度で余の行く手を遮れるものか』

黒い機体から不遜な声で嘯いたのはアヴ・カミュの契約者、神奈備命である。
その実体はなく、今は存在をアヴ・カミュの機体と同化させている。
周囲に拡散していくデブリ群を生産した黒光弾の名残が、銀色の指先に蛇のように纏わりついていた。

『神奈、すごい調子乗ってる』
『聞こえておるぞ観鈴』
「ええからその手ぇこっち向けんなや、アホ!」

小さくバーニアを噴かして黒い機体が振り向いた先には、もうひとつの影がある。
アヴ・カミュと同系統の技術体系によって製造されたと一目で分かる、似通ったシルエット。
細身ながら頭身の高い、緩やかな曲線の多く施されたその全体像は、芸術品として見るならば
少女を模したアヴ・カミュよりも強く女性らしさが表現されているように感じられる。
最大の相違はその配色である。
漆黒を主体としたアヴ・カミュに対し、こちらの基調は曇りなき純白。
要所には薄荷色のラインで装飾を施されたその姿は、たおやかに咲く一輪の花を思わせる。
アヴ・ウルトリィ。
輪廻する魂であるカミュの実姉、ウルトリィの現世における姿である。

『……観鈴、やはりそなたの母御とは一度きちんと話をせねばならんようだな』
『にはは……お母さん、ずっとこんな感じ』
「上等やボケ。後できっちりカタぁつけたるわ。それより今は―――」

アヴ・ウルトリィから響くのは、契約者である神尾観鈴とその母親にして操縦者、神尾晴子の声。
背の白翼を広げたアヴ・ウルトリィが周囲を見渡す。

「サブはこれで全部いてもうたったか?」

沈黙した砲台群の残骸が漂う中、明滅する光点が存在しないのを確認して晴子が問う。
激戦を物語る破壊痕が、宇宙に浮かぶ鋼鉄の城の至るところに残っていた。
めくれ上がった装甲板の下には寸断されたケーブル群が無惨にその姿を晒している。

『ええ、残るは―――』
「アレやな」

ウルトリィの答えに頷いた晴子が見据えるのは、城砦の中心部。
破壊し尽くされ、照りつける太陽光に焼かれるだけの外郭部とは対照的に、今だ多数の光を湛えたそれは、
聳え立つ天守閣の如く健在を誇示していた。
攻撃衛星天照、輻射転移式地上照準連装主砲塔。
地表を焦熱の地獄へと変える、神の炎。
大神の齎す異形の力、オーパーツの核である。

「時間は?」

その基部には、既に微かな集光が見られる。
突き出した二基の煙突のような砲身へとエネルギーを伝えるように、光はじわじわとその大きさを増していた。

『充填完了の予測時刻まで、おおよそ二分』
「上等!」

猛々しく笑んだ晴子が、ペダルを踏み込む。
翼を模したバーニアが光を放ち、推進力へと変えていく。
明けぬ夜を翔け、神の時代の到来を告げる天の御使いの如き、それは神々しさを秘めた飛翔である。

『わ、待ってお姉さま!』
『後れを取るなかみゅう、我等も行くぞ!』

続くように、アヴ・カミュが加速を開始する。
白と黒のシルエットが軌道を交差させながら最大速度に到達するまで、僅かに数秒。
ほぼ同時に翼を畳み、高速機動形態に移行する。
眼前、文字通りの瞬く間に迫る主砲塔が、その纏う光点の密度を増した。
間髪を入れぬ予測回避。
バーニアを全開にしながら片翼を展開。
揚力も抵抗も存在しない真空中、翼自体から発生する推進力がそのベクトルを変える。
アヴ・ウルトリィは右に、アヴ・カミュは左へと軌道を遷移。
一瞬前まで機体のあった場所を光線が奔り、それを皮切りとするように、攻撃が開始されていた。
最後に残された本丸を護るべく鋼鉄の城郭に光る砲座は無数。
そのすべてが白と黒の二機に照準を合わせる様は、背後に瞬く本物の星空と入り混じって
天象儀に描かれた虚構の星図のように映る。
全速機動の狭い視界の中、満天に美しく輝く星々から奔る熱線は告死の一撃である。
流星雨の如く降り注ぐ光は目に映った瞬間に命中を確約されている。
故に回避は予測とランダム機動にすべてが掛かっていた。
即ち射撃される前に遷移し的を絞らせぬ、圧倒的な速度の先行挙動である。
白翼が僅かに角度を変えれば、推進ベクトルに従ってアヴ・ウルトリィが強烈な弧を描く。
後を追うように、幾筋もの光線が空しく宙を裂いた。
と、白い影が伸ばした手の先に小さな珠が生まれる。
珠は白い光である。光はその中に沢山の小さな光球を孕んでいた。
暴れ回る小さな光球の内圧に耐えかねたように、光が瞬く間にその大きさを増していく。
刹那、人体を容易く捻り潰す巨大なGを慣性制御で打ち消されたアヴ・ウルトリィのコクピットの中、
神尾晴子の瞳が獰猛に煌いた。

「行ったれ……ラヤナ・ソムクル!」

叩きつけるようにトリガーを押し込んだ、その瞬間。
白の機体から、光が爆ぜた。
爆ぜた光の中から小さな光が無数に生まれ、尚も枝分かれしながら飛んでいく。
それは一瞬の内に降り注ぐ流星雨を押し戻すような、圧倒的な光の瀑布となった。
着弾はほぼ同時。
鋼鉄の城砦、その主砲塔へと至る外郭一帯が真白く照らされ、そして一斉に破砕の波に飲み込まれた。
真空中に音を伝える大気はない。
しかし震動と無数の小爆発と、抉り引き裂かれ千切れ飛んでいく装甲板とが、轟音よりも雄弁に
その無惨な破壊の有様を訴えていた。

『お母さん、すごい……』
「何言うてんねん、お前と神さんの力やろが! ―――決めボムで空いた道、このまま突っ込むで!」

正面、主砲塔付近からは散発的な反撃が続いている。
しかし距離が開いていることもあってか、その弾道は精度に欠けていた。
弾幕と呼ぶには程遠い密度の光線が飛び交う中へ、アヴ・ウルトリィは躊躇なく加速する。
見れば主砲塔を挟んだ反対側からは黒い影が迫っている。
同じように迂回軌道を取ったアヴ・カミュのシルエットだった。

『挟撃の形……晴子、これならば一気に決着をつけることができるかもしれません』
「……何や? まだ何ぞあるんか?」

姿勢制御に専念しているはずのウルトリィの珍しく自発的な声に、晴子が怪訝な表情を浮かべる。

『ええ。今生のアマテラスはあまりに巨大です。核を討つとしても充填の完了までに間に合うかは
 危険な賭けになるでしょう。ですが……』
『わかった、お姉さま! あれをやるのね?』

答えたのはカミュの少女じみた、跳ねるように高い声。
頭越しの会話に苛立った晴子が、踏み込んだペダルを蹴りつけるようにして再加速する。

『スピード違反……』
「うっといわ! 何や、アレって!」

迫る主砲塔は既に視界の半分を覆い尽くしている。
建造資材を打ち上げるだけでも気が遠くなるような、文字通りの天文学的な労力を費やして建てられた宇宙の城。
その非現実的な存在を、輪廻転生して世界を渡るという神の眷属の中から見上げている。
入れ子構造の奇妙な夢を見ているような据わりの悪さに、晴子の心がざわめいていた。
そんな苛立ちを無視するように明るいカミュの声が、更なる非現実を告げる。

『あれっていうのはね、もちろん……カミュたちの必殺技、だよ!』
「……さよか」

疲れたように首を振る晴子の足はペダルを離さない。
加速は既に最高潮に達している。
しかし直進方向、主砲塔の向こう側に垣間見える星は動かない。
眼下、一切の誇張なく目にも留まらず流れていく城砦の外郭だけが、その凄まじい速度を示していた。

『晴子』
「へいへい」

わざとらしい溜息をつきながらペダルを離すと、機体が目に見えて減速していく。
ウルトリィ自身の意思による制御。
全方位モニタに映る景色がその速度を緩めていくのに同調するように、戦闘の高揚が冷めていく。
後に残るのはいつも通りの不快と倦怠感と、酷い喉の渇きだけだった。
操縦者と、機体に宿る意思が二つと、そうした複雑な機構の詳細など、晴子は知らない。
考える気も、なかった。
ただ目視で確認しモニタにも反応が示された残存砲塔へと同時照準。
ほぼ無意識の内にトリガを押し込んだ。
閃光と震動と、沈黙。反撃は、来ない。
息をするように破壊をばら撒いて、晴子は己の変化を実感する。
照準の合わせ方も、宙間機動のイロハも、そもそも巨大ロボットの操縦方法など、
ほんの半日までは一般人でしかなかった自分が、知る由もない。
しかし身体はいつの間にか、それらを昔から知っていたかのように反応するようになっている。
それが契約というものなのか、或いは神の眷族を名乗るものたちの力なのか。
どちらでも良かった。
それは単に、既に赦し難いもので満たされて歩くこともままならない神尾晴子の世界に、
新たな不愉快の種が芽を出したというだけのことだった。
と、淡い光が目に映る。
モニタを見れば、そこに見慣れぬ光の束があった。

『―――我らオンカミヤリュー』

ウルトリィの静かな声が響く。
不思議な抑揚を秘めたその声は、どこか呪いめいている。
それを裏付けるように、眼前に浮かぶ光の束が言葉に合わせてその輝きを強める。
繭から紡ぎ出される糸のようなそれは、中空で絡まりあって次第に形を成していく。
奇妙な文字のようでもあり、紋様のようにも見える白い光が、列を成してアヴ・ウルトリィの周囲を
くるくると回っている。

『我ら大罪を背負い輪廻する調停者なり』

カミュもまた、姉に合わせるように呪言めいた言葉を唱えている。
彼方、主砲塔の向こうではアヴ・カミュの周囲にも光の束が浮いていた。
強烈な太陽光に照り付けられる中に浮かび上がる複雑な漆黒の紋様が幾重にも機体を取り囲む様は、
まるで紡がれる言葉の通り咎人が檻に閉じ込められるように、或いは磔刑に処される寸前のようにも映る。
向こうからすれば自分たちもそう見えるのだろうかと考えて、晴子は思考を停止する。
不愉快の芽にわざわざ水をやることはない。
そんなことを思う内に、黒白二つの紋様はその規模を極端に広げている。
二機の周囲を廻っていたはずの光は、いつしか眼前、主砲塔を含めた鋼鉄の衛星全体を包むように展開していた。
哀れな獲物に巻きつき、今にも頭から呑み込まんとする二匹の蛇。
ぼんやりとその光景を眺める晴子の目には、そんな風に展開される紋様が映っていた。
二柱の翼持つもの、神の眷属たちの唱える呪言が、その抑揚を大きくしていく。
それが最高潮に達したとき、必殺技とやらが発動するのだろう。
蛇が獲物の骨を砕いて丸呑みにするのだ。
嗜虐的な想像に、晴子が薄く笑った。
聞こえてくる声が、昂ぶる。
決着の時は近そうだった。
ちらりとモニタの端を見れば、現在時刻が表示されている。
充填完了予測までは、数十秒の猶予。
二人の声が、同調する。
ぐるぐると廻る紋様がその速度と輝きとを増し、

『理を乱すもの天照、大神の名に於いてコトゥアハムルへ誘わ―――』

声が、止まっていた。

ぐるぐると廻っていた紋様はその速度と輝きとを維持したまま、しかし何も起こらない。
何や、と呟くよりも早く、晴子の目に映ったのは奇妙な光景である。
黒い紋様が、激しくのたうっていた。
鎌首を掴まれた蛇が暴れるように波打つ紋様の向こうには、黒い影がある。
アヴ・カミュ。
呪言を紡ぎ紋様を展開させ、今まさに決着を付けようとしていたはずの黒い機体が、そこにいた。
その手が、何かを握り締めてぼんやりと光っている。
否、握っているのではない。それは、手の中から溢れ出しているようだった。
ちろちろと顔を覗かせるそれは、焔である。
真空の宇宙空間に燃える焔。
超常の焔を宿らせたその手が、静かに振り上げられ、そして。
眼前の紋様に、叩きつけられた。
びくり、と生き物のように震えた紋様が、一瞬の後、燃え上がる。
焔は一気に燃え広がり、炙られた光の文字列が身を捩るように捻じれ、消えていく。

『カミュ、何を……!?』
『あ……、そん……な……』

ウルトリィの問いかけはカミュに届かない。
驚愕と、何か他の感情に支配されて、それだけを搾り出すのが精一杯といった様子だった。
消えていく白と黒の紋様と、健在を誇る主砲塔の向こう側から、

『……おば……様……』

ほんの僅か、間を置いて。

「―――春夏さんと呼びなさい、カミュ」

声が、返った。
そこには女が、笑んでいる。
柚原春夏。
カミュの前契約者にして、今はその内に眠るもう一つの魂、ムツミと契約した女。
娘を喪った母。黒の機体の操縦者。笑むように泣く女が、静かに目を開けていた。

『身体が……動かぬ……』
「あら、ごめんなさい。ほんの少しだけ、貸して頂戴ね」

苦しげに呻く神奈へ事も無げに告げた春夏の声に、晴子の顔が険しくなる。

「目ぇ覚ましよったんか、あのおばはん……!」

狭いコクピットの中に唾を吐き棄て、それでも足りぬとばかりに傍らのコンソールへ拳を叩きつける。
睨みつけるように見たモニタの隅では無情に数字が減り続けている。

「クソが……最後の最後で……!」

残り時間、ほんの十数秒。
見下ろせば青い大地。
照りつける太陽は光度を自動調整されたモニタの向こうでなお目映く、
星空の中心で燦然と輝いている。
眼前には健在の主砲塔。
その向こうに見えるのは、何度も煮え湯を飲まされた黒の神像。
灼かれる大地に思い入れはない。何一つとして、ない。
決断は、一瞬だった。

「……観鈴」
『うん』

そこに余計な言葉はなく、しかし打てば響く答えが、心地よかった。
ただ心の通い合ったような錯覚を舌の上で転がして、晴子が快活に笑う。
同時、蹴りつけるように全力でペダルを踏み込み、操縦桿を一杯に引き倒す。
操作の意味するところは、最大加速。
刹那の間に展開した白翼が輝き、機体に循環する力を推進力として背後に放出し始める。
作用反作用の法則に従って弾かれたように前方へと押し出された機体が、瞬間的に音速を超過する。
抵抗のない真空中、減速なく加速し続ける機体が限界速度に到達するまで五秒とかからない。

『晴子、観鈴、何を……!?』

狼狽するようなウルトリィに返事はない。
代わりに、叫ぶような声が狭いコクピットに反響する。

「買うたるわ、この喧嘩……!」

リスクを無視した加速に機体表面が悲鳴を上げる。
猛烈な相対速度に塵の一粒、散乱した敵の破片一つが装甲を貫き致命傷を与える凶器と化していた。
引き倒した操縦桿の先、晴子の指がトリガを押し込む。
慣性制御ですらフォローしきれない加速の中、軋みを上げながらアヴ・ウルトリィの手が
進行方向へと向けられる。
接触するデブリに瞬く間に傷つけられながら伸ばされた指先に宿った白光が、放たれた。
近接防御火器の如く撃ち出された白光が行く手に浮かぶ障害物を機体至近で消滅させていく。
あくまでも軌道を曲げぬ、強引な直進。
その目指す先には、一際強く輝く光がある。
巨大な二本の影を支えるように煌くそれは衛星の天守閣、連装主砲塔の基部である。
基部の輝きを伝えるように、砲身全体に巡らされた回路が淡く発光を開始している。
巨大なエネルギーの位相を収束し地上へと射出せんとする、その光。
その内部に蓄えられた莫大な熱量の中心へと、白い弾丸は突き進む。

『このままでは……! 死ぬ気ですか、晴子!?』
「はン、ここでくたばったかて観鈴と一緒に生き返れるんやろ!?
 お手軽やんなあ、神さんの身内っちゅうんは……!」

絞り出すような声に、ウルトリィが絶句する。
僅かな間を置いて、

『……貴女はきっと、良き大神の戦士となるでしょう、晴子』

嘆息交じりに呟いたウルトリィの声は既に覚悟を決めている。
応えるように晴子が、にぃ、と笑った。
強烈なGが晴子の全身を座席へと押し付ける。
首が、肩が、内臓が、呼吸器が抉り潰されるような苦痛。
ぽそりと何かを呟いた観鈴の声は、びりびりと震える晴子の鼓膜に届かない。
生き返れるから、一緒に死んでくれるんだ―――。
そんな風に聞き取ったウルトリィは、だから何も口にしない。

一秒。
視界を覆い尽くすほどに大きくなった主砲塔の光の中。
小さな黒い影がある。
アヴ・カミュ。
柚原春夏が待っている。

「これが最後かしら? ……いいえ、始まりね。ずっとずっと続く戦いの」

黒の神像から、無数の光弾が飛ぶ。
柚原春夏の願いを運ぶような、真黒き光。
迎え撃つように放った白の光弾が幾つも弾け、灰色の光になって消えていく。

「貴女のその子は生きている。私のこのみはもういない」

真空の空に浮かぶ灰色の爆炎を縫うように、アヴ・ウルトリィが翔ける。
嵐の如く吹き荒れる黒白の閃光が鋼鉄の城郭を削っていくのを無視するように、
基部から伸びる光が主砲塔を覆い尽くしていく。
一撃、黒の光弾がアヴ・ウルトリィを掠めた。
肩部の装甲が爆ぜる。

「それは貴女の幸せかしら。いいえ、いいえ、違うわ」

揺れる。
圧倒的な速度の中、微細な軌道の歪みが猛烈な震動となってコクピットを揺さぶる。
回避の遅れた右脚部が光弾に呑まれて消えた。
脈打つように、主砲塔の光が大きくなる。

「ねえ、生きることがこんなにも辛いなら―――」

重量バランスの崩れた機体の挙動が制御しきれない。
ぐらりと軌道が狂った拍子に鋼鉄の外郭へと機体が擦れる。
摩擦に片翼が千切れて飛んだ。
主砲の先に、光が収束していく。

「私はあの子に、苦しめと命じていたのね」

既に軌道修正など不可能だった。
迎撃も回避も迂回も停止もなく、ただ光に誘われるように加速だけが止まらない。
灰色の相殺光の只中、モニタが機能を失う。
薄闇の中、声だけが響いた。

「生まれ変わっても、貴女はその子を―――」
「上等じゃ、ボケェ―――!」

叫び返した瞬間。
相殺光を抜ける。
その先に、黒の神像の顔があった。
アヴ・カミュの美しい、静かな笑みを象った銀色の顔。
相対距離がゼロになる、その瞬間の光景が、神尾晴子がこの世界で見た最後である。

白と黒の神像が、激突した。
フレームが歪み装甲が内部から抉られて爆ぜ五体は既に原形を留めず、
無数に鳴り響くアラートは、最早誰にも届かない。
あらゆる機能が刹那の内に意味を喪失する中で、質量と無限の加速だけが
忠実に物理法則を履行する。

攻撃衛星天照、輻射転移式地上照準連装主砲塔。
第一砲塔から、地上へと光が伸びていった、その直後。
目映い光に満ちた第二砲塔へと、白と黒の神像が、飛び込んだ。



***

 
 
 
漆黒の空に、大輪の華が咲いた。




******

 
 
消えていく。
私の身体が消えていく。
私の全部が消えていく。

終わり、続く、私たちの始まり。
死んで、生まれて、導かれていく。

母である貴女。
母である私。
母だった、私。

私たちはずっと、続いていく。
ああ、もう一度、もう一度。
どこかで出会ったら、何度でも聞いてあげよう。

貴女は生かして永らえる。
私は死なせて終わらせる。
ねえ、助けてと呼ぶ声を。
本当に叶えたのは、どちらかしら。

私の神となった何かに、願わくは。
報われず在るすべてが―――どうか、安らかに終わりますように。




【汎攻撃衛星天照 轟沈】
【第一射、地上へ】

【場所:静止軌道上、高度36000km】

アヴ・ウルトリィ=ミスズ
【状態:消失・次の輪廻へ】
神尾観鈴
【状態:消失・次の輪廻へ】
神尾晴子
【状態:死亡・次の輪廻へ】

アヴ・カミュ=カンナ
【状態:消失・次の輪廻へ】
神奈備命
【状態:消失・次の輪廻へ】
柚原春夏
【状態:死亡・次の輪廻へ】
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