十一時五十五分/いつか一緒に






 
それは、曙光だった。
朦々と舞い上がり、まとわりつく砂埃を払いながら真っ直ぐに見つめてくる、天沢郁未の瞳。
鹿沼葉子の目にいつだって眩しく映っていた夜明けの色が、そこにある。


***

 
「冗談じゃない、って話」

掠れた声。
こみ上げる血と絡まる痰と不定期な鼓動と引き攣る横隔膜とで震える声。
炎や、地響きや、飛び交う光や稲妻や、そういうものの一切を無視して、郁未が言葉を紡ぐ。

「ああ、冗談じゃあない。これがあんたの喧嘩で、だから一人でやるっていうんなら葉子さん、それはいいさ。
 私はここで見ててやる。あんたが勝って、戻ってきて、澄ました顔でお待たせしました、って言うまで待っててあげる。
 けど、ならさ。ごめんなさい、は違うでしょ」

打ち鳴らされる鐘のように響く音は、巨神像の槍だ。
葉子と郁未とに向けて、何度も打ち下ろされている。
少女二人を容易く押し潰すはずの巨槍は、しかし見えない壁に弾かれるようにその穂先を空しく傷めていくばかりだった。
力と、技と、質量と、そのすべてが通らない。

「謝る必要なんかない。……違う、違うね。謝っちゃいけない。
 葉子さん、あんたはだから、そこで謝っちゃいけないんだ。
 私はここにいる。あなたの傍で待ってる。離れない。だから、謝るな」

不可視の壁を張り巡らせた、その中で。
外の世界の全部を遮って。
天沢郁未が、告げる。

「私はずっとここにいる。それを信じてるなら、信じてくれるなら、謝らないで。
 いつも通りの鹿沼葉子で、私に。天沢郁未に聞かせて。その声を。本当の声を」

世界を隔てて、ただ二人。


***

 
言葉を、探していた。
天沢郁未に返す言葉を。
その、赤面するほどに真っ直ぐな気持ちに応える言葉を、鹿沼葉子は探していた。

色々なことが頭の中を巡っていた。
色々なものが、色々な人が、色々な記憶が、葉子の中で言葉になろうとして、
しかし結晶する寸前で、天沢郁未という熱を前に、それらは空に溶けて消えていく。

怖かった。
立ち塞がる巨大な敵は、葉子の過去が具現化したかのようで、だからそれを打倒するのは葉子自身の役割で。
違う。恐怖の根源は、そんなところにはない。
言葉と共に、欺瞞も虚飾も、熱に煽られて溶けていく。
やがて剥き出しになった恐怖は、たった一つ。
ただ、失うのが、怖かった。
過去に敗れて、過去に呑まれて、現在が失われるのが、怖かった。
鹿沼葉子の過去に天沢郁未が呑み込まれるのが怖くて、だから独りになろうとした。
ひどく陳腐で、どこまでも甘ったれた、子供のような我侭。
誰が聞いても呆れるような、天沢郁未も呆れるような、だからそれを口にした。

天沢郁未は、笑ってそれを、殴り飛ばした。
赦さずに、いてくれた。

それは、嬉しくて、悲しくて、腹立たしくて、有り難くて、微笑ましくて、気恥ずかしくて、
全部の感情を集めて心の中で弾けさせたような、ひどく騒々しい、夜明けの鐘。
飛び起きた頭は混乱の中にあって、だから葉子は考える。
考えて、考えて。

だけど言葉は、見つからない。
見つからなくて、ぐるぐると回って、結局振り出しに戻った頭が、何も考えられない葉子の頭が、
ようやく言葉を搾り出そうとする。

「ご、ごめ……」
「だから、そうじゃない」

苦笑に、遮られた。
遮って、手が伸ばされる。
手を差し出して、天沢郁未が、

「そこは、これからもよろしく……って、言うとこ」

夜明けのように、微笑んだ。


***

 
それは、難問を答えに導く、たった一つの公式。
差し出された手と微笑みが、薄闇を打ち払い、冷たい夜露を煌めく珠に変えていく。

「……私、自惚れてる?」

明けていく夜の、昇る陽の眩しさと暖かさに、涙が滲む。
縋るように、その手を取った。

「……いいえ」

最初はか細く。

「いいえ、いいえ!」

やがて、雲間から射す光の、大地を照らすように。

「私は……私は、鹿沼葉子。國軍技術研究局、光学戰試挑躰にして、FARGOクラスA」

繋いだ手の温もりに、応えるような声で。

「だけど、だから私は今、天沢郁未の隣に立っている。……立てて、います。
 これからも……よろしくお願いします、郁未さん」

宣言と要請を、真っ直ぐな笑みが受諾した。

「―――よく言った!」


***

 
結んだ手から、光が伸びる。
伸びた光が道となり、その先には倒すべき敵がいた。
手を繋いだまま、光の道を歩き出す。

「不可視の力は無限の力」

二つの足音が、一つに聞こえる。
駆けるでもなく、止まるでもなく。
歩み続ける、足音。

「世界を塗り替える願いの力」

行く手を遮るものは何もない。
焦燥のままに何度も突き立てられる巨槍は不可視の壁を貫けず、光の道に触れることすら叶わない。

「ならば誓いは道となり―――」

光に射抜かれるように、巨神像の顔がある。
その見上げるような顔のすぐ前で、歩みが止まった。
繋がれた手には、いつしか何かが握られている。
天への供物のように掲げられたそれは、郁未の長刀。
魅入られたように動けない巨神像の眼前で、刃がその輝きを増していく。
やがて陽光を凝集したような燦然たる光となった長刀が、振り上げられる。

「―――絆は、刃となる!」

光が、奔った。


***

 
馬鹿だった。
自分はどうしようもない馬鹿だったのだと、鹿沼葉子はようやく気付く。

二つに分かれて崩れゆく巨神像を前にして、薄れゆく光の道から飛び降りて、
だけど離れない手を真ん中に、くるくると回りながら思う。

夜はもう、とうの昔に明けていた。
あの日、あの時、今はもうない教団の、あの誰もいない食堂の薄暗い片隅で。
誰にも気付かれないままに、夜明けは訪れていたのだ。

暗かったのは、ただ目を閉じていただけ。
一番鶏の鳴く声が聞こえなかったのは、ただ耳を塞いでいただけ。

離れられるはずもない。
いかに怯えようと、大切なものを飲み込む夜の闇など、もうどこにもありはしなかった。
目を開ければ、光の中にそれはあった。
笑って、いた。

だからもう、言葉を探す必要はない。
声に出す必要も、なかった。

ただそっと、繋いだ手に力を込めて。
微笑んで、想う。



―――これからも、ずっとずっと、よろしく。



  
【時間:2日目 AM11:57】
【場所:F−5 神塚山山頂】

天沢郁未
 【所持品:薙刀】
 【状態:重傷・不可視の力】
鹿沼葉子
 【所持品:鉈】
 【状態:健康・光学戰試挑躰・不可視の力】

真・長瀬源五郎
【イルファ・シルファ・ミルファ・セリオ融合体】
【組成:オンヴィタイカヤン群体9700体相当】
【ベナウィ・フィギュアヘッド:大破】
【カルラ・フィギュアヘッド:健在】
【ウルトリィ・フィギュアヘッド:健在】
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