―――北西 一抱えほどもある岩塊が、雨粒のように降り注ぐ。 愉しむように目を細めた来栖川綾香が、真上から影を落とした一際大きなそれを拳の一振りで塵に変える。 降り注いでいるのは、祈るように手を組んでいた巨神の像であったものの欠片である。 「来栖川……綾香……!」 押し殺したような響きは長瀬源五郎。 物言わぬ石造りの神像の他には顔もなく、無論のこと口もない、胴から四肢のみを生やした巨躯を 微細に震わせるようにして声を発している。 薄気味の悪い蟲の羽音の如き、醜悪な声音だった。 そこに込められているのは憤怒の二文字。 「どうした、余裕が足りないな神サマ。取り立てられるのには慣れてないか?」 「死に損ないがっ……!」 吐き捨てるような叫びと同時。 綾香の足元が、ぐらりと揺れた。 否、正確を期すならば揺れたのではない。 綾香が立つのは神塚山の山頂を抱え込むような長瀬の巨躯、いまや七体となった巨神像の立ち並ぶ、 その途方もなく広い胴体の上である。 眼前には銀色の湖とも見える、燦然と光り輝く鏡の如き鱗状のものがどこまでも続く光景を臨む 綾香の足元は即ち、長瀬の身体の一部であった。 それが、ぐねり、と。 波打つように、歪んだ。 「……」 踏みしだくように退いた、その一瞬だけ後。 天を突き上げるように飛び出してきたのは、槍である。 透き通るように赤い、鉱石の槍。 赤玉から彫り上げられた樹氷の如きそれが何本も、一瞬前まで綾香のいた場所を貫いていた。 空を穿った槍がどろりと融け崩れるや新たな穂が生まれ、槍衾はまるで土竜の地を這うが如くのたくりながら、 綾香へと向けて迫る。 小さく舌打ちした綾香が更なる一歩を退いた、その刹那。 狙い澄ましたかのように、巨大な影が落ちてきた。 「―――!」 目に映ったのは、爪。 ただ一本で人の臓腑を丸ごと抉り出すようなそれが、五つ。 正確に綾香を叩き潰す軌道で落ちてくるのは、悪夢の如き巨大と凶悪とを兼ね備えた暴力の塊。 石造りの神像が一、獣の肢であった。 天から剛爪、地より迫るは赤玉の槍。 十死、一生を絶無と為す挟撃を前に、しかし女は哂っていた。 哂う女が、次の瞬間、消える。 否、それは跳躍である。 爆ぜるが如きその挙動は刹那の消失に等しい。 宙に身を躍らせた女の、文字通り紙一重を獣の爪が裂き削る。 地に落ちた爪が轟音を上げ槍衾を砕いたときには、綾香の影は既に中空、伸びきった獣の前肢を 踏み台とするように蹴りつけている。 一気に天空高くまでを跳躍した綾香の、右の拳が変化していく。 白い肌を覆うように、ごつごつと強張った黒い皮膚が拡がる。 整った爪の色は鮮血のそれ。 鬼と呼ばれた、それは星を駆ける狩猟者の拳である。 十二分の加速と鬼の力とを得た拳が迫るのは獣の神像、その頭部。 黒金の流星と化した一撃が、真っ直ぐに獣の顎へと吸い込まれていく。 轟、と弾けたのは風である。 直後、凄まじい音が響いた。 「―――」 かち上げるような、一撃。 女の像を砕いたそれよりも更に恐るべき威力を誇る拳である。 刹那の交錯で、勝負は決まったかに思えた。 獣の顎は砕かれ、綾香は哂い、岩塊が降り注ぐ―――その光景が繰り返されることは、しかし、なかった。 風が吹き去り、音の残響が消え、そこに獣の神像は健在である。 小さく頭を振った、その顎には皹一つ入っていない。 「硬い、なぁ……」 ただ、女の愉悦に満ちた笑みだけが、そこにある。 それだけは、変わらなかった。 ****** ―――西 唐突に背を向けた、それは好機か、或いは誘いの罠であったか。 二刀の神像と対峙する少女たちは迷わず前者と取った。 向かって左手、北西側から轟音が響くのを背景に、巨大な刃の舞う間合いへ躊躇なく踏み込む。 失策を悟ったように二刀の像が向き直ろうとしたときには既に遅い。 耳を劈くような甲高い音と共に二条の紫電が閃いたのはほぼ同時。 神像の巨大な石造りの背に、十字型の深い傷が刻まれていた。 短い残響が消える頃には、少女たちは再び距離を取っている。 痛覚とて存在しようはずもない石造りの像が、それでも憤りを乗せたかのように刃を振るう。 二刀の一は川澄舞に。 更なる一は柏木楓へ。 攻防を一体と為し自在の変幻を誇る二振りの刃を見据え、しかし少女の瞳に怯懦の色はない。 駆けるその身を、跳ねるその影を刃が追い縋り、そうして捉えること叶わない。 少女の振るうも刃である。 川澄舞の手には白刃、抜けば珠散ると謳われた退魔の一刀。 柏木楓が宿すのは深紅の刃、漆黒に変生した手指より伸びる妖の爪だった。 銀弧が閃き、紅爪が奔る。 最早、神像の傷は癒えぬ。 そのことを知ってか知らずか、激しさを増していく人ならざる少女たちの攻勢に、 神像の二刀がじりじりと押されていく。 しかし如何に押そうと、凌がれながら稼がれる時の一分一秒は、重い。 その重さを、事ここに及んで未だ、少女たちは真に理解していなかった。 ****** ―――北東 漆黒の光球が着弾する、その場所に衝撃はない。 現出するのはその場所に存在したはずの大地が、草木が消滅するという、ただその結果のみである。 万物を無に帰す闇に、応じるように飛ぶのはやはり黒の光。 直線の軌跡を描く、こちらは黒い稲妻とでもいうべき光線であった。 光球と光線と、蒼穹に染み出すが如き黒の応酬は止まらない。 黒翼の神像と、宙に浮く奇妙な黒蛙を連れた少女との無音に近い死闘は、いつ果てるともなく続いていた。 埒が明かぬ、と。 至るところで岩盤が抉られ、一面の痘痕模様と化した山道に立つ水瀬名雪が思考する。 このまま遠距離から互いに砲撃を交わしたところで、致命打は与えられない。 生み出される黒い光球の数と密度では、広い山道を自在に動ける名雪には直撃を受けない確信がある。 対してほぼ定位置を動かず、砲台と化している黒翼の巨神像はいい的である。 黒雷の命中率は十割に近く、しかし如何に当てたところで、打撃が通らなければ意味がない。 回復機能が途切れた今、数百、数千を当て続ければ或いは揺らぐのやも知れぬ。 しかしそれだけの猶予は無論、ない。 時を稼がれれば、それは即ち敵側の勝利である。 刻一刻と近づく敗北は死の概念を超越した女に恐怖こそ与えなかったが、だがそれを甘受するつもりもまた、 名雪には当然のこと、存在しない。 ならば、どうするか。 回答は、前進である。 砲撃が通らぬならば、直接の打撃を叩き込む。 水瀬名雪にはそれが可能であるという、それは無限に近い時間に培われた自負である。 磨耗した精神と引き換えに得たものが、名雪の全身を満たしていく。 大きく息を吸い込み、大腿筋に酸素が供給されると同時。 疾駆を、開始する。 目標は眼前、黒翼の神像。 一瞬で最高速まで加速した名雪を迎え撃つように、神像の両手に光が宿る。 光には、色があった。闇の珠ではない。 右手には灼熱を思わせる朱、左の手には荒涼たる大地の土気色。 神像の手から光が解き放たれる寸前、名雪が跳躍する。 直後、その足元の岩盤が、轟音と共に崩落した。 ****** ―――南西 熟練の槍術とは刺突にのみ依るものではない。 斬と打とをも兼ね備え、時に応じて千変し万化するそれは接近すら容易に許さぬ。 「……ッ!」 唸りを上げて迫る長柄を前に、天沢郁未が真横へと跳ねる。 岩盤が顔を覗かせる地面を、まるで子供が作った砂山のように削りながら石突が通り過ぎていく。 目の脇を流れる冷や汗を拭えば、ふやけた返り血がぬるりと滑って不快だった。 瞬きをするほどの間を置いて小さく息を吐いた郁未が、再び突進を開始しようとした、その刹那。 声はなかった。 ただ、ひどく背筋のざわつくような感覚と同時。 自身に迫る巨大な槍の柄を、郁未は見ていた。 一度は通り過ぎたはずの石突が、フィルムを逆回しにするように郁未を襲おうとしている。 方向は真後ろ。 完全な視界の外、郁未には見えるはずのない、それは光景。 相方、鹿沼葉子の送る視界だった。 見えたのは、一瞬という単位を更に幾十幾百に分割してなお足りぬ、寸秒である。 背筋を伝う寒気が延髄を通り過ぎるよりも早く、郁未は全身の力を脚に込める。 大地に身を投げるようにして、回避を試みる。 飛び退いた郁未が靴底に感じたのは爆風の如き大気の流れである。 直撃していればひとたまりもない、必殺の打撃。 それを間一髪で躱しながら、先の一撃目は誘いであったのだと郁未は痛感する。 飛んだ勢いをそのままに前転するようにして立ち上がり、更なる追撃に備える。 しかし対峙する巨神像の槍は郁未の想定するどれとも違う軌道を取っていた。 その穂先が向かうのは郁未の立つ位置から僅かに離れた場所。 長い金色の髪を振り乱しながら跳躍する女を迎え撃つ動きである。 薙刀を下段に構えて飛び上がる鹿沼葉子を、巨神像の槍が上から叩き落そうという交錯。 『―――今です!』 声が聞こえたときには、郁未は既に突進を開始している。 直後に響くのは硬質な音。 数千倍ではきかぬ質量差、正面から一合でも打ち合えば人を容易く挽肉に変えるその打撃を、 葉子の張り巡らせた不可視の壁が凌いだ音である。 ほんの僅か、巨神像の槍が動きを止める。 隙とも呼べぬその刹那、図ったように駆ける影がある。天沢郁未である。 針の穴を通すような連携の一撃。 狙うのは槍の持ち手、巨神像の左腕である。 不可視の力を刃に乗せて、郁未が鉈を振り上げる。 弾丸の如き突撃の成功を確信した郁未が、 「―――なッ!?」 驚愕に、思わず声を漏らした。 視界全体を覆うような、それは巨神像の腕。 今まさに刃を振り下ろそうとしていたその巨大な石柱の如き逞しい腕が、逆に郁未へと迫っていた。 莫迦な。近すぎる。目測を誤ったか。そんなはずがない。 戦慄と共に断片化した思考が脳裏を過ぎる。結論は一つ。 連携すら、読まれていた。 葉子への打撃を瞬時に片手持ちへと変え、空いた腕での狙い澄ました迎撃。 刃を振り上げたまま咄嗟に不可視の盾を構築しようとする郁未を、巨神像のかち上げるような肘が、撥ねた。 「―――」 視界が、白い。 白いが、しかしそれを認識できるならば、まだ命はある。 飛散しようとする意識を鷲掴みにして、郁未は瞳をこじ開ける。 見えたのは蒼穹の青。 感じたのは浮遊感。 そして最後に聞こえてきたのは、 『―――郁未さん!』 友の、声。 「……あああぁぁあッ……!」 応えるように搾り出した声は、喉で血が絡まって酷く掠れている。 中空、血痰を吐き捨てて息を吸った。 肺が膨らむのと同時、激痛が走る。 肋骨が数本、折れ砕けているようだった。 痛みが意識を覚醒させていく。 痙攣するように息を継ぎながら、郁未が空中で身を捻る。 鉈は手の内、五体は健在。 それだけを確認し、損傷は無視。 迫る大地に足から落ちる。 破滅的な音と砂煙。着地ではない。それはむしろ、墜落に近い。 それでも、天沢郁未は立ち上がった。 『―――生きていますか』 『ご覧の通り……ッ!』 流れ出るのは血か汗か。 吐き棄てるように答えた郁未が睨むのは拭った手ではなく、聳え立つ槍の巨神像である。 『どうやらこの敵……周りのものと比べても別格、といったところのようです』 『あたしら、貧乏籤ってわけ……』 だらだらと止め処なく流れ出そうとする命と気力とを乱暴に拭って、郁未が苦笑する。 『―――上等じゃない』 言って見上げた、その瞳には光がある。 闇が濃くなるほどに眩く輝く、それは光であった。 ****** ―――東 坂神蝉丸は堪えている。 抱えた砧夕霧の、声ならぬ声は続いていた。 孤独を憂い同胞を求めて彷徨う、それは迷い子の慟哭である。 岩をも切り裂く大剣の斬撃と、耳朶でなく心の中の薄い膜を乱暴に叩くような慟哭と、 その二つとに堪えながら、蝉丸は時の熟すのをじっと待っている。 光岡悟は白翼の神像の牽制に回っている。 山頂の西側で、或いは北で、南で打ち続く激戦の中、刻限という鎧が寸秒を経るごとに 削られていくのを感じながら、蝉丸はただ一瞬の好機だけを待ち続けていた。 ―――正午まで、あと十二分を切っていた。 【時間:2日目 AM11:48】 【場所:F−5 神塚山山頂】 坂神蝉丸 【所持品:刀(銘・鳳凰)】 【状態:健康】 光岡悟 【所持品:刀(銘・麟)】 【状態:健康】 砧夕霧中枢 【所持品:なし】 【状態:覚醒】 天沢郁未 【所持品:薙刀】 【状態:重傷・不可視の力】 鹿沼葉子 【所持品:鉈】 【状態:健康・光学戰試挑躰・不可視の力】 来栖川綾香 【所持品:なし】 【状態:仙命樹、ラーニング(エルクゥ、魔弾の射手)】 水瀬名雪 【所持品:くろいあくま】 【状態:過去優勝者】 川澄舞 【所持品:村雨、鬼の手、白虎の毛皮、魔犬の尾、ヘタレの尻子玉】 【状態:白髪、ムティカパ、エルクゥ】 柏木楓 【所持品:支給品一式】 【状態:エルクゥ、軽傷、左目失明(治癒中)】 真・長瀬源五郎 【イルファ・シルファ・ミルファ・セリオ融合体】 【組成:オンヴィタイカヤン群体16800体相当】 【アルルゥ・フィギュアヘッド:健在】 【エルルゥ・フィギュアヘッド:大破】 【ベナウィ・フィギュアヘッド:健在】 【オボロ・フィギュアヘッド:損傷】 【カルラ・フィギュアヘッド:健在】 【トウカ・フィギュアヘッド:健在】 【ウルトリィ・フィギュアヘッド:健在】 【カミュ・フィギュアヘッド:健在】 - BACK