十一時四十一分/聞こえそうな鼓動が






 
大剣が裂くのは、空と大地と、その狭間に存在する何もかもである。
風を断ち割り音をすら切り伏せて唸る、それは破壊という現象の具現であった。
触れれば砕ける、そんな一刀の肉薄に坂神蝉丸が選んだのは、更なる加速である。
振り返らぬ背後、大剣の切っ先の落ちた地面が割れ砕け、砂礫を舞い上げるのを感じる。
岩盤を噛んでなお止まらぬ巨大な刃が、鎬を大地に食い込ませながら迫る。
頭上より落ちる断頭の刃との、それは命懸けの駆け比べである。
駆ける先、無骨な鍔が見えてくる。
人が両手を広げるのにも数倍する大きさの、それ自体が鋼鉄の延べ板とでもいうべき四角い鍔の向こうには、
やはり大の大人を容易く握り潰せるほどの巨大な手指があった。
石造りのそれを確認するや否や、蝉丸は疾走の勢いのまま跳躍する。
狙うは頭上、巨石像の大剣を持つ指。
仙命樹によって強化された筋肉が躍動し、白髪の強化兵を大空の彼方へと押し上げる。
その背に翼のあるが如く跳んだ蝉丸の目に映る巨神像の拳が、瞬く間に大きくなっていく。
放物線を描く跳躍の頂点、速度を高度へと変換しきった、その瞬間。
片手一本で構えた愛刀を、振るう。
が。

「―――チィ……ッ!」

届かぬ。
閃いた銀弧は、僅かに巨神の指を掠めるのみ。
舌打ちをしながら落ちる蝉丸は、その左の腕に何か大きなものを抱いている。
それを抱え直すようにしながら着地した、蝉丸の背に響く怒声があった。

「坂神、貴様……!」

見ずとも判る。
光岡悟の、それは心底から憤っているような声である。

「それを庇ったままで戦える相手か!」

光岡が相手にしているのは蝉丸が対峙する大剣の女神像の隣に立つ、髪の長い有翼の女神像である。
白い光球を銃弾の如く放つそれを牽制しつつ隙を窺っているはずだった。
互いに背中を預けた格好の光岡の不安と憤りは理解もできる。

「分かっている、しかし……!」

言い返しながら、蝉丸は抱きかかえたそれをちらりと見る。
ぐったりとした、生きているのか死んでいるのかも判然としない、白い肢体。
蝉丸によって軍服の上衣を着せ掛けられただけのあられもない姿をした、それは少女である。
名を、砧夕霧という。
沖木島全土に展開し死と破壊を撒き散らした少女たちの、最後の生き残りであった。

「捨て置けというのに!」
「聞けぬだろう、それは!」

体勢を立て直した大剣の女神像が、再び手にした破壊の鉄槌を振り上げようとする。
長い間合いの外に退くのは間に合わぬ。
一瞬の内に判断して、詰めた間合いを更に踏み込む。
神像群を支える空中楼閣の如き巨竜の胴に程近い。
見上げても、天まで届くようなそれに阻まれて空は遠かった。
影が、落ちる。
縦に突き込まれる大剣が、断頭台の刃の如く蝉丸に向けて迫っていた。
巨人を両断するような刃が、比して芥子粒の如き蝉丸を磨り潰そうと叩き込まれるのは質の悪い悪夢か、
或いはそれを通り越して風刺の効いた喜劇のようですらある。
駆け出した蝉丸が、影と己と刃そのものを見比べながら正確な位置取りで逃げる。
頭上に落ちれば一巻の終わりではあるが、剣の腹で巨大な範囲を薙がれるよりはよほど対処しやすい。
どの道、相手は常に一撃必殺であった。
疾走の中、蝉丸は腕に抱いた少女のことを思う。
青の一色に染め上げられた、あの奇妙な世界の中で聞いた声がこの少女のものであると、
蝉丸は今や確信している。
あの世界では声なき声が直に、人の心に響いていた。
であれば、目を覚まさぬ夕霧の心根が蝉丸に届いたところで些かの不思議もないだろう。
少女の声。
幸福を希いながら、それを欺瞞と断じる、希求の呪歌。
それは最後に、覆製身である砧夕霧の、本当の願いを謳い上げていた。

蝉丸は理解している。
少女の願いを叶えようと決意する、己が醜さを十二分に理解している。
それは平穏の先送りだ。
困難に立ち向かう内、弱きを助ける内は己が心を戦場に漂わすことのできると、
怖気の立つような平和に戻ることなく戦い続けられると、そんな醜悪、心の膿が
少女を捨て置かせぬのだと理解している。
しかしまた、蝉丸は己を断ずる。
眼前、少女がいるのだと。
幸福を希求し、泥濘で喘ぐ少女は確かにいるのだと。
ならば坂神蝉丸の魂は、砧夕霧を見捨てることを肯んじない。
如何に新たな時代への怯懦に震える己が弱さを捻じ伏せようと、魂は曲げられぬ。
平和を恐れ、安穏を忌避し、しかし平穏と安寧を求める声をその全力を以て護るのが、坂神蝉丸だった。
戦のない時代へと震えながら歩むことと、少女を護り、その儚い願いを叶えることとは並び立つ。
それは、じくじくと膿を染み出す心の隙間にできた傷を、惰弱との訣別という刃で敢然と抉り取る蝉丸の、
これより先に歩もうとする道の在り様だった。

背後、刃が落ちる。
大地が、揺れた。
轟音と、嵐のように降り注ぐ石礫と、その地響きとに揺り起こされたわけではあるまい。
しかし、

「……夕霧……!?」

蝉丸が、瞠目する。
腕の中でびくりと震えたその肢体を見やれば、果たして少女が、その長く閉ざされていた目を、開けていた。
驚愕の中、尚も呼びかけようとした蝉丸の言葉が、止まる。
少女の瞳から、零れるものがあった。
ぽろぽろと、大粒の真珠のように転がるそれは、涙である。

同時、蝉丸が渋面を作っていた。
耳朶が、震える。
甲高い音。塹壕の中で聞く電波の悪いラジオから響くような、ノイズ。
高く波打つような音が聞こえたのは一瞬である。
僅かな間に、ノイズは嘘のように収まり、風の中に消えていく。
だが次の瞬間、蝉丸は更なる驚愕を覚えることとなった。


***

 
『―――しあわせになりたい』

それは、声だった。

『いきたくて』

青の世界で聞いた、音なき声。

『いきおわりたくて』

望まず生まれた少女の、

『たくさんのわたしに、もどりたい』

小さな、願いだった。


***

 
ほんの瞬く間の、それは声である。
陽光に融けて消える幻のような、輪郭の薄い声。

「ぐ……!」

こめかみを押さえた蝉丸が、呻きを漏らす。
少女の声が収まるか収まらぬかの刹那、立て続けに蝉丸の脳裏を走るものがあった。

―――海に囲まれた島と、その中央に位置する山。
―――山頂に顕れた銀色の湖と、それを取り囲むように立つ、八体の石像。

目に見たものではない、影のない幻。
それは音のない声のような、ひどく掴みどころのない、映像だった。
そんなものが、唐突に脳裏を支配する。

「これ、は……」

思わず呟きを漏らした蝉丸が、

『何だ、今の……!?』
『郁未さん、気をつけてください……!』
『……!』
『誰だ、誰が喋っている!? どこにいる、坂神!』

同時に響いた、幾つもの声に言葉を失う。
どの声も、混乱していた。
聞き覚えのある声と、そうでない声と、そのすべてが同時に響いている。
まるでその全員が、すぐ近くにいるかのように。

「まさか……!?」

刹那、蝉丸の心中を過ぎったのは黄金の海である。
どこまでも続く麦穂の中、顔だけを出していた少女。
あの場所で少女の声は、音なき声は、こんな風に響いていた。
今、あの世界と同じように声が伝わっているのなら。
その声を伝えるものが、あるとするなら。
思いを伝えたのは、誰だ。
応えるべきは、誰だ。

「―――」

思考と決断とは、ほぼ同時。
混在する複数の声は光岡悟と、おそらくは鹿沼葉子と天沢郁未、そしてもう一人。
一刻も早く混乱を収束し伝えなければならぬことが、あった。

『―――國軍、坂神蝉丸』

声に出さず、思う。
伝えよ、と。
伝われ、と願う。

『青の世界を知る、すべての者に傾聴願う……!』

世界よ、声を伝えよと。
願い、思う蝉丸の意識に。
息を呑む幾つもの気配が、返ってきた。



 
【時間:2日目 AM11:43】
【場所:F−5 神塚山山頂】

坂神蝉丸
 【所持品:刀(銘・鳳凰)】
 【状態:健康】
光岡悟
 【所持品:刀(銘・麟)】
 【状態:健康】
砧夕霧中枢
 【状態:覚醒】

真・長瀬源五郎
【イルファ・シルファ・ミルファ・セリオ融合体】
【組成:オンヴィタイカヤン群体18000体相当】
【アルルゥ・フィギュアヘッド:健在】
【エルルゥ・フィギュアヘッド:健在】
【ベナウィ・フィギュアヘッド:健在】
【オボロ・フィギュアヘッド:健在】
【カルラ・フィギュアヘッド:健在】
【トウカ・フィギュアヘッド:健在】
【ウルトリィ・フィギュアヘッド:健在】
【カミュ・フィギュアヘッド:健在】
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