Silent noise






 燃え盛る炎は雨の中においても弱まることなく、天に届けとばかりに火の粉が吹き上がる。
 暗い山中においても尚赤い威容を示すホテル跡は、沖木島のキャンプファイアーであった。

 一方、雨に濡れながら見上げる影が一つ。
 泥の底を這いずり回った瞳と、不自然なほどに真っ直ぐな直線を描く唇。
 全身を赤黒い色に染める影の名前は、水瀬名雪だった。

 あれでは崩れ落ちるのも時間の問題か。名雪はそう判断してホテル跡に戻るという選択肢を捨てる。
 名雪が潜んでいるのはホテル跡から走って数分ほどの場所にある雑木林の一角だ。
 裏手側にある場所なので目立ちにくく、ブッシュなども多く隠れる場所としては絶好だった。

 当初名雪はここに潜み、勝利者が出てくるのを見計らってその人物を殺害するという計画を立てた。
 漁夫の利。言ってしまえばそういう作戦だ。名雪にとっては手段など関係はなく、結果こそが全て。
 人が死にさえすればどんな方法だろうが、どんなに時間がかかろうが同じことだった。
 故に崩落を始め、火があちこちに回っているホテル跡の惨状を見れば生存者などいないことは明白であり、
 拘る理由は既になくなっている。次の獲物を探してただ殺戮を続けるに徹する。それだけだった。

 立ち上がって歩き出そうとした名雪だったが、膝が揺れ、バランスを崩す。
 咄嗟に手をついて無様に転ぶという失態は犯さなかったものの、自身の異変を名雪は知覚する。
 力が入らない。試しに握り拳を作ってみるが、中途半端にしか握れず、握力を出し切れない。
 血が足りないのだ、と推測する。度重なる戦闘での出血は着実に名雪にダメージを蓄積させていた。

 改めて己の現状を観察する。破片弾によって負わされたかすり傷は無数。
 肩には銃傷がひとつ。ただし刀傷と合わさって傷口は広がり、酷い有様になっている。
 治療を施さなければ大事に至りそうな傷である。けれども名雪は心配することもなかった。
 全てが終われば、祐一が何とかしてくれる。祐一が労ってくれる。祐一が助けてくれる。
 盲目的な慕情を頼りに、何の根拠もなく名雪はそう結論付けた。

 名雪にとって、世界は『自分』と『祐一』の二つだけである。
 自分にないものは祐一が持っていて、祐一のないものは自分が持っている。
 まるで兄妹のように。まるでアダムとイヴのように。
 それ以外はそれ以外でしかなく、自分の何になることもない。ただのモノでしかない。

 理屈も論理もない、あまりに夢想に過ぎる思考。狂気というには程遠く、無心というにも当てはまらない。
 唯一近しいというなら、それは『純化』という言葉だろうか。
 正と負。白と黒。まじりけのないモノと染まりきってしまったモノ。
 二極化することで名雪はこれ以上にない純粋を手に入れたのだ。
 恐怖と安楽の狭間で、現実と過去の間で、導き出した結論がこれだった。

 話を戻そう。
 くい、と服の袖を捲くり、他の傷の具合も確認する。裂傷は既にかさぶたを作ることで怪我に対応している。
 深く切り裂かれたわけでもなく、放置してもこちらは支障なさそうだと考え、目下の問題は肩だけだと判断。
 医療器具はない。探す必要性を頭の隅に置き、デイパックから水を取り出すと一気に傷口へとかける。
 僅かに目の端が歪み、痛みを表す表情を示したが作業は止めない。止める理由がないからだ。

 ペットボトルの中身がなくなるまで水をかけ続け、気休め程度の消毒を完了する。
 依然として刺さるような痛みは継続していたが、それだけだ。決定的な行動不能の要因にはならない。
 軽く腕を動かし、どの程度まで動くか実験。痛みの限界まで腕を動かし、
 関節技でも極められなければ問題はないレベルだとして頭に留めておく。

 続いてデイパックから食料として残っていたパンを出し口に放り込む。
 雨に濡れ、ところどころふやけていたパンの味は語るまでもない。けれども名雪は黙々と食べ続ける。
 少しでも血として、肉として吸収し後のために生かす。食べ物に関して、名雪の思考はその程度しかなかった。

「……イチゴサンデー」

 いや、例外はあった。大好物だった洋菓子の名をぽつりと漏らし、再びパンを口に含む。
 暗示のつもりだったが、効果があるわけもなく味は変わらず仕舞い。
 どんなに感情をなくそうと、味覚は変わらない。変わるわけがない。
 けれども暗示に失敗したことすら名雪は何も感じない。ただ失敗に終わったその事実だけを認識して、
 もう二度と洋菓子の名前を呼ぶこともしなくなった。

     *     *     *

 デイパックの中のパンがなくなるまで食べた名雪は、再度握り拳を作る。
 今度は指の先まで力が伝わり、一応の元気を取り戻したことを伝える。
 戦闘は可能になったことを頭に入れ、次に装備品の二丁の拳銃を取り出す。

 ジェリコ941と、ワルサーP38アンクルモデル。だが両方共に弾倉は0本であり、
 ジェリコに至っては弾薬がフルロードされてすらいない。ここから戦い抜くには少々戦力不足の面があった。
 だからこそ、武器を増やしに掛かるべく漁夫の利を狙ってホテル跡の裏側に潜んでいたのだが。
 崩落してしまっては奪うどころか、回収することも難しく。まずは他の連中から武器を奪取することを考える。

 殺傷能力の高い武器が欲しい。拳銃の弾倉が手っ取り早く、重量的にも楽ではある。
 だが取らぬ狸の皮算用だとして、一時武器に関しての思考を中断する。今考えるべきは戦術だ。
 拳銃の残弾から言えば相手に出来るのは精々が二人、それも自身の具合からみれば短期決戦が望ましい。
 それも敵の不意をつけるような、奇襲作戦を用いるのがよい。正面からの攻撃策は捨てる。

 ならば、家屋の中にいる連中を狙うのがいい。
 遮蔽物も多く、身を隠しながら狙い撃ちできる利点がある。
 問題は一気に仕留められるかという点だ。遮蔽物が利するのは自分だけではない。
 下手を打てば逃げ延びられる可能性があり、武器の奪取が出来なくなるかもしれない。
 確実に殺人は遂行しなければならない。全ては祐一のため。祐一と自分の世界のため。

 名雪は考える。他に作戦はないか。この作戦に、もっと何かを加えられないか。
 己の知識を総動員し、不意をつく方法を思案する。
 何分かの逡巡の後、いくつかアイデアは浮かんだ。ただ、いずれも確実性には欠ける。

 まず、建物から出てきたところを狙い撃ちにするという作戦。先の作戦の延長上にあるもので、
 建物から出てきて、さあ行こうという連中の心の隙をついた作戦だ。
 複数でいる場合も固まって行動しているはずなので上手くいけば数秒で決着がつく。
 難点は外してしまったときで、屋内での奇襲に失敗したときにより逃げられやすくなるということ。
 ハイリスクハイリターン。起死回生の一手ともいうべき策であり、安易に実行するには難がある。

 もうひとつの作戦は他者との出会い頭を叩くというもの。
 戦闘を行うにしろ会話するにしろ、何らかのアクションはあり周囲への警戒は薄れる。
 その間隙を狙って奇襲を仕掛けるというものだ。
 こちらはさほど難点はない。奇襲を仕掛けることにより場の混乱が狙える上、
 接触したもの同士の共食いを誘発できるかもしれない。
 そこで上手く立ち回り、武器を奪取しつつ殲滅すればいい。

 こちらの問題点は上手く尾行できるかという点。レーダーのなくなった今、完璧に尾行出来るか分からない。
 やるからには必ず殺さなければならない。気付かれて逃げられるのだけは阻止せねばならない。
 幸いにして、今は雨だ。尾けるには最適の条件下とは言える。実行するには今がその時だ。
 空を見上げ、雨粒の量を調べてみる。強い雨足ではないものの、長く続きそうな天候だ。

 やや考え、取り敢えずは優先順位を決めることにする。
 尾行、建物内での奇襲、建物外の奇襲、という順番で策を実行することにしよう。
 想像を働かせ、己の中で成功率が高いと決めた順である。
 頭の中でのシミュレートではあるが、間違いはないはずだ。
 そして決めたからには、ただ実行するのみ。

 名雪はそれで思考を打ち切ると、標的を探す機械となって山を下り始める。
 一歩ごとにべちゃべちゃと靴が泥で汚れる。
 枝に軽く引っかかり、服に軽い傷ができる。
 けれどもまるで意に介することもなく、さながら戦車のようにずんずんと進む名雪。
 その先にはただひとつの純然とした、どんな我侭よりも傲慢な願いがあった。

 全て殺して。
 全て奪って。

 何にも邪魔させない。
 何にも止められはしない。

 わたしは祐一とだけいられればいい。
 祐一もわたしを強く望んでいるはずだから。

 そう。

 そうだよね?

 待っててくれてるよね?
 わたし、すぐに行くから。
 今度はわざとじゃないよ。
 もうおかえしはしたもんね。

 昔はわたしが。

 今は祐一が。

 ずっと雪の中で待たせるゲームはもうおしまい。
 終わったから、もう何もないよ。
 迎えにいくだけだから。
 だから、一緒に、ふたりでかえろう?

 ね、祐一?




【時間:二日目午後20:30】
【場所:F-4 山中】


水瀬名雪
【持ち物:薙刀、ワルサーP38アンクルモデル8/8、防弾性割烹着&頭巾、IMI ジェリコ941(残弾10/14)、青酸カリ入り青いマニキュア、支給品一式】
【状態:肩に刺し傷(銃弾により悪化)、全身に細かい傷、マーダー、祐一以外の全てを抹殺。放送は戦闘の影響で聞き逃した】
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