Good-by And Farewell






 芳野祐介の前では啖呵を切ったものの、こうして時間が経ってみると妹の死はあまりに大きいと霧島聖は思い知らされていた。
 もう妹の顔を見ることは出来ない。どんな表情も思い出の中にしか残っていない。
 もう、流しそうめんも出来ない……

 結局一目として会えず、その事実だけを確認した聖は胸の奥がぐっと縮んでいくのを知覚する。
 生きて帰ることが出来たとしても、家には一人。診療所で一人きりなのだ。
 そんな生活に耐えられるわけがない。何に生き甲斐を見出せばいいのか分かるはずもない。

 さりとてここで死ぬわけにもいかない。医者としての使命が生きろと急き立てる。
 まだ助けられる命があるのなら、そのために働けと叱咤の声を放っている。
 藤林杏の治療を終えたときの一ノ瀬ことみの顔を思い出す。
 また一緒にいられる、悲しみを抱え込まずに済んだと安心したことみの顔は本当に嬉しそうだった。

 ならば、このままでいい。霧島聖という人間の命は、そのためだけに使えばいい。
 家族も守れず、死に目にも会えなかった自分にはそれで十分に過ぎる。
 己の感情に背を向け、為すべきことを為すだけの人形となっていくのを認識しながら、聖は言葉を発する。

「ことみ君は何をしているんだ?」

 杏と芳野を見送った後、すぐに出発するかと思った聖だったが、ことみはデイパックの中のものと、地図を交互に見ながら唸っていた。
 今ことみが手に持っているのは何かのIDカード……『Gate 10』と書かれているものだ。
 呼ばれたことみは努めて冷静な顔で、地図上のとある地点を指差す。

「疑問があるんだけど……私達が最初に出てきた場所、つまりこの殺し合いについてのルールを説明された場所って、全部爆破されてるはずなんだけど……どうしてだと思う、先生?」
「何故、と言われてもな……都合が悪いからじゃないか? 例えば、奴らの基地に通じる道を塞ぐためとか」

 少なくとも、聖にはそう思えた。この島の表側にそれらしい施設がない以上、殺し合いを管理している連中がいるのは地下。
 ならばそこに通じる道を塞ぐのは常套手段と言える。
 しかしことみは「私はそうじゃないと思う」と首を振った。

「私は、逆。寧ろ都合よくするために爆破したんじゃないかって思うの」
「……? よく、分からないが」
「もしそうなら、こんな杜撰な爆破の仕方で完全に道が塞がるわけはないと思うの。
 聖先生、ビルの爆破解体もそんなに大量の爆薬を仕掛けているわけじゃないってことは知ってるよね?
 あれも要所に適量の爆薬を仕掛けて、綺麗に崩れるようにセットしてあるだけだから……
 でも、ここの爆破の仕方は力任せに建物を吹き飛ばしただけ……
 多分、本当に道があるのだとしたら、隠したつもりでもどこからか見える可能性があるの。
 そもそも、ただ隠したいだけならここのエリアに入ったときに私達の首輪を爆破すればいいだけだし。
 わざわざこんな爆破はしないと思うの」

 なるほど、と聖は思う。よく考えれば聖が出発した直後の爆発は崩して隠すというより吹き飛ばして何もないように見せかける、というようにも見えた。ことみの言うとおり、何かを隠すためではなく、見つけさせるための爆破なのだとしたら……

「それと君の持っているカードが、関係してくるというわけか」
「さすが。いい勘してるの。私の推測が正しいなら、このカードは多分、どこかのスタート地点から地下に続く鍵なのかも」
「ふむ……って、待て」

 納得しかけて、聖は突っ込みを入れる。
 ことみは「???」とでも表現できそうなほどきょとんとした表情をしている。

「地下に続くって……そこには奴らの基地があるのかもしれんのだろう。どうしてそんなことを」
「うーん……これもほとんど思い込みかもしれないんだけど」

 ことみは一つ区切りを入れて、今までよりは自信なさげに続ける。

「これって、支給されたものの中では一番の大当たりの可能性があるの。
 デイパックに詰められないくらいの巨大な兵器とか、大量の銃火器とか。
 だからそれを渡すための場所として、この鍵を支給した。鍵にして渡したのには保険があると思うの。
 島の表層に武器を保管する場所があったら参加者の人たちに襲撃される恐れがあるし。
 もう一つ、大量に渡しすぎたら殺し合いが一方的になり過ぎる事があるかもしれないから、
 量を制限させるためにカードキー型にしたとか……」

 そういうことかと聖は頷く。つまりこのカードキーは小切手のようなもので、指定された場所に行けば強力な武器を(選択して)得られるということか。デイパックを受け取ったときのようにカードキーを差したときにランダムで武器を仕舞っている棚が開くというシステムにすればバランスが崩壊することもない。考えたものだと思いながらも、それは殺し合いを開催した者が場慣れしていることも想像させた。
 もしかすると、以前にもこういうことがあったのではないかと思った聖の眉根に皺が寄る。
 生きることを見出せなくなっても、人の命を奪うことを許せない気持ちは依然としてある。それも、ただの享楽なのだとしたら尚更許せなかった。
 今まで脱出を一番に考えていた聖の頭が、主催者への怒りをも帯び始める。こんなことのために、妹は死んだのだとしたら……
 壊してやりたい、と聖は思った。主催者そのものではなく、殺し合いをゲームとして作り出し、今も世界のどこかに巣食っている反吐が出そうな、この悪しきシステムを。そのための力を、今蓄えつつあるのだから。

「……もしことみ君の推測が正しければ、私達も地下に潜れるかもしれない、ということだな?」
「うん。このカードキーがまだ使えるなら……って話になっちゃうけど、でも、使えるなら」

 そこで地図をひっくり返し、爆弾の文字をゆっくりとなぞることみ。その意味を、聖は既に理解していた。
 地下のどこかで爆弾を爆発させれば、主催者が殺し合いを管理している、コントロールルームまでの道が開けるかもしれない。
 そうでないにしても、ここから望みを繋いでいくことだって出来る。

 希望は潰えたわけじゃない。このシステムを壊せるかもしれないという可能性が、聖の意思に一つの火を灯した。
 もう自分に生きていけるだけの何かがあるかも分からない。見つけられず、ただ朽ちていくだけの人生かもしれない。

 しかしそれでも、ここには未来を望む何人もの人間がいる。人の死を見ながらも生きようとする魂がある。
 それを守り通したい。こんな馬鹿げた殺し合いを終わらせるために。忘れてはならない真実を伝えるために。
 たとえ人でなしの屑だとしても、それくらいの価値はあるだろう――聖はそれで締めくくって、内奥の熱を仕舞いこんだ。

「しかし、よくそんなことに気付けたな。地下に続く通路だなんて、例え憶測でも私には考えられなかった」

 カードキー一枚からそこまで考える事が出来ることみの頭脳の違いを思い知らされたような感じだった。
 ことみは照れたように頬を掻いて「それほどでもないの」と笑う。

「だって、この島にカードキーを使うような施設なんてなさそうだったから。だから、地図に書かれてある施設じゃない。もっと高度な設備を擁するどこか……それを考えたら、自ずとこの結論にたどり着いたの。それに、ご丁寧にカードキーにヒントみたいなのが書かれてあるし」
「ゲートの10……か。ということは、1から9までもあるのかもしれないな」

 地下へ続く道があるのだとしたら、出入り口は一つだとは考えにくい。
 万が一事故……火災のようなことが起こった場合に備えて出口は複数作っておくのが常識だ。
 出入り口の全てがこの島に用意されているとは考えられないが、スタート地点が東西南北バラバラになっている……つまり、このカードキーを渡された人間が長距離を移動しなくてもいいよう、それぞれのスタート地点に最寄のゲートがある可能性は十分にある。
 だとするならば、同じスタート地点付近であるこの学校にもゲートがあるのかもしれない。

 けれどもこれは推測に過ぎない。よしんば当たっていたとしてもこちらの切り札である爆弾は完成さえしていない。
 現在芳野祐介と藤林杏の二人でロケット花火を捜索してもらっているが、こちらとしても軽油を見つけ出さなければならない。
 まだまだやるべきことは残っているということか。人手が足りない以上、自分達で動くしかない。
 忙しくなりそうだと思いながら、聖は苦笑交じりの息を漏らした。

「さて、どうする? このまま灯台に向かうのか」
「うん。私達の足だと結構時間がかかっちゃうけど……」
「足が欲しいところだな。車でもあればいいんだが」

 医者という仕事柄、いざというときのために車の免許は持っている。もっとも運転することは少なかったのでほぼペーパードライバー状態なのであるが、事故を起こすほど機械オンチではないという自負はある。なにせトラクターの修理をしたこともあるのだ。
 ともかく、車がなければどうにもならないことなので考えても仕方ないと思い、「まあ、歩いていくしかないだろう」と言う。

「うーん……」

 渋ることみ。どうやら現代っ子は運動をしたくないらしい。

「シャキッとしろ。肉がつくぞ、肉が」
「う……」

 すごく嫌そうな顔で、「私は頭脳労働派なの……」とぶつぶつ言いながらも席を立つ。
 それには違いないとは聖も思うのだが、健康的な体を維持するのには運動が必須だという信条がある聖としては現代の運動不足症候群に対して激の一つでも飛ばしてやりたいという気持ちがあった。

 まあことみも十分に健康的かつ豊満な体ではあるのだが、と制服の下に隠れていても分かる、ふっくらとした胸の膨らみとくびれた腰つきを見て、聖は感嘆のため息を出す。同時に、そんなことを分析している自分がひどく親父臭いと思ってしまった。
 デイパックを抱えて、ことみが先に保健室を後にする。それに続いて聖も席を立ち、ぐるりと保健室を見渡した。

 まだ微かに残る懐かしいアルコールの匂い。白を基調とした清潔で落ち着いた(杏によってひどい有様ではあったが)室内。
 回転椅子。革張りのソファ。コチコチと神経質な音を立てている時計。棚にある様々な薬品。

 これまでの自分達を守ってくれた保健室という日常。自分はそこから乖離しながらも、これを望む人達のために戦う。
 覚えておこう、そう聖は思う。もうそこに自分の居場所はなくとも、覚えておきさえすればきっと目的を見失わずに済むだろうから。

 さよならだな。聖は呟きもせず、保健室に背を向ける。

 ガラガラと、白い室内は雨音を反響させるだけのオルゴールとなった。

     *     *     *

 雨粒が肌を打ち、水滴は雫となって流れ、やがて服に染み込む。
 早くも染みを服裾に作り始めて湿り気を帯び始めている。
 まだ気にはならないものの、気持ちが悪いことには変わりない。
 このごわごわとした感触の悪さは直りかけのかさぶたに似ている、と思った。

 自分が岡崎朋也という人を『男の子』として好きになったのはいつからだっただろうか。
 昔、自分と遊んでいたときから?
 図書館で再会して、一緒に行動するようになってから?

 よく分かっていない。人が恋するのに理由がない、という理由がこういうことなのだろうかとも思う。
 ただ一つ明確なのは、もう朋也には二度と会えない。
 もう半分こすることも、もう綺麗なバイオリンの音を聞かせることも出来なくなってしまった、その事実だけだった。

 また、戻ってこない人ができてしまった。父や母と同じく、昨日までそこにあって、手の届く場所にいたのに。
 いつだってそうだ。己の臆病さとちょっとした我侭で、するりと手をすり抜けていってしまう。
 結局、人はいつでも後悔を続ける生き物だということか。朋也の死がじわじわと侵食していくのを感じながら、ことみは雨から顔を俯ける。

 けれどもまだ自分には失いたくない友達がいる。
 学校では変人と見られ、日常から乖離していた一ノ瀬ことみという子供の手を取って、引っ張ってくれたあの友人達を。
 古河渚、藤林杏、藤林椋。まだその人達がいる。

 杏とは既に再会し、お互いに健闘を誓って別れた。一時は元気を失いながらも、別れる前に言葉を交わしたとき常日頃の不敵さを取り戻していた。生き延びることを思って。また笑い合える日々が来ることを信じて。
 それが以前と同じでなかったとしても、まだ自分達は笑えるのだと確信している目を寄越していた。
 自分にそれが出来るかどうかは正直なところ、分からない。ただ一つ確かなことは渚や椋にも会いたい。故にこうして脱出のために動いているのだということだった。本当に、本当に皆が大切な友人なのだから……

「ことみ君、来てみろ」

 ことみの感傷を打ち切ったのは聖の明朗でさばさばとした声だった。
 雨に燻る景色の向こう、トタン屋根の下の駐輪場らしきところで手招きをしている。背後には何やら車輪らしきものも見えた。

 そうか、とことみは思った。自転車か。車よりは調達は簡単で移動距離もそこそこは早い。
 足は欲しいと言っていたから、きっと他に何かないか考えていたのだろう。
 そういう気の配り方は自分にはない。聖は先程感心していたが、ことみからすれば聖にこそ感心したいところだった。
 互いにないところを補い合う……こういうことが出来るのが仲間かと思いながら、ことみは聖に駆け寄る。

「見ろ。自転車だぞ。……二人乗り、だが」
「……え?」

 聖がくいっと後ろの自転車を差す。
 そこにあったのは観光地か何かで見かけるような、サドルが二つついた妙に全長の長い自転車だった。
 知識としては知っていたのだが、実物を見るのはことみも初めてだった。

「本当なの。どうしてこんなのがあるのかな」
「さぁな……幸いにして、鍵はかかっていないようだが。ま、かかっていたとしてもブチ壊すがな」

 ニヤリと笑っている聖の手には、ベアークローが嵌められていた。
 医者の頭の良さそうなイメージは微塵も感じられない。世の中には体育会系の医者もいるんだなあと改めて納得することみ。
 きっとこの人の朝はラジオ体操とジョギングから始まるのだろうと思っていると、不意に聖が鋭い目を向けてきた。

「おい、なんだその筋肉を見るような目は。言っておくが私の朝は華麗だ。牛乳を飲むことから始まるんだからな」

 華麗……? と口を開きそうになったことみだったが、過去の経験が口を開いてはならないと警告を発していた。
 きっと聖の中では華麗のうちに入るのだろうと納得して、ことみはコクコクと頷いておくのだった。

「全く……さて、急ぐぞ。雨も降り始めていることだしな。道が悪くならないうちに一気に南まで行くか」

 ベアークローを仕舞い、ハンドルを引いて自転車を引っ張り出す聖。
 その背中を見ながら、ふとことみには疑問に思うことがあった。
 ここまで行動を共にしてくれている聖。常に側にいてくれているが、どうしてここまで一緒にいてくれたのだろうと思う。

 脱出の計画を練っているとはいえ、それは不完全なもので、自分に見切りをつけて妹を探しに行っても良かったのに。
 家族の大切さ、失ってしまってもう手が届かないところに行ってしまった喪失感を知っていることみにはそんな感想があった。
 今更言ってどうにかなるものではない。いや寧ろ言えば聖を傷つけてしまうだろう。
 しかしそれでも、家族を後回しに近い形にしてでも、自分といてくれた聖の心中はどんなものなのだろうか。
 尋ねてはいけないと思いながらも、気にならずにはいられなかった。

 だが口を開いて訊くだけの資格なんてあるわけがないし、度胸のない自分には、まだ尋ねられない。
 人の気分を害することが怖くて、今の関係が崩れてしまうのが怖くて、踏み止まってしまう。
 何も変わっていない。父母を失い、朋也を失い、後悔してさえ自分は何も変わろうとしない。
 それでも、怖かった。恐怖は人を踏み止まらせる力がある。
 恐怖を乗り越えるには、自分の勇気などあまりにも小さすぎた。

「どうした、乗れ。もう用意はできたぞ」
「……う、うん」

 聖に促され、ことみは後部のサドルに座る。二人乗りの自転車は初めてだったが、とりあえず漕ぐタイミングを合わせなければならないとか、そういう面倒なものではなさそうだった。聖がペダルを漕ぎ始めるのに合わせて、ことみもペダルを漕ぎ出す。

 ゆっくりと、しかし徐々に自転車はスピードを上げていく。
 雨粒が流れ、景色の流れる速度が速くなっていく。
 予想外に早くなっていくスピードに戸惑いつつも、ことみは湿った肌に吹き付ける風を心地よいと感じていた。

 心にはまだ、溶け切らないしこりを残しながら……




【時間:2日目午後19時10分ごろ】
【場所:D-06・鎌石村小中学校・校門前】

霧島聖
【持ち物:H&K PSG−1(残り3発。6倍スコープ付き)、日本酒(残り3分の2)、ベアークロー、支給品一式、治療用の道具一式(保健室でいくらか補給)、乾パン、カロリーメイト数個、カメラ付き携帯電話(バッテリー十分、全施設の番号登録済み)】
【状態:爆弾の材料を探す。医者として最後まで人を助けることを決意】

一ノ瀬ことみ
【持ち物:暗殺用十徳ナイフ、支給品一式(ことみのメモ付き地図入り)、100円ライター、懐中電灯】
【持ち物2:要塞開錠用IDカード、武器庫用鍵、要塞見取り図、フラッシュメモリ】
【状態:爆弾の材料を探す。少々不安がある】

【その他:二人は二人乗り用の自転車に乗っています】
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