ただ、そこにいてほしかった。 いつまでも、いつまでも。 ****** みさきに初めて出会ったのは、いつの頃だっただろう。 初めてあの子と目を見交わしたとき、私はどんな風に思ったんだろう。 初めて言葉を交わしたときは、どんな話をしたんだっけ。 初めて握手したときは、どのくらい温かかったんだろう。 それはもう全部、思い出せないくらい、昔の話。 覚えているのは、楽しかった記憶だけだ。 日が暮れるまで辺りを駆け回って、日が暮れて暗くなってもまだまだ遊び足りなかった、あの頃。 道に迷って帰るのが遅れて、二人してすごく怒られて、わんわん泣いたこともあったっけ。 次の日にどっちが悪かったかで喧嘩して、もう口も聞かない、絶交だって言い合って。 その次の日には、もう何もなかったみたいに、一緒に遊んでた。 雨が降った日には家の中で絵を描いて、飽きて始めた何気ない落書きが楽しくなって、 部屋いっぱいに広がってまた怒られて。 ふたりで数え切れないくらい沢山の悪戯をして、毎日生まれてくる沢山の小さな秘密を共有して。 ただ、楽しかった。 ただ、幸せだった。 夏を思えば、夏が広がる。 蝉の声のうるさいくらいに響く中で、一本のアイスを両側から食べたのを思い出す。 帽子の形の日焼けが恥ずかしかったことを、振り回して怒られた花火の色を、思い出す。 冬を思えば、冬が広がった。 冷たくて赤くなった手を人の襟首に入れる悪戯が流行って、隙を狙う内に二人で風邪を引いたことを、 遊びで始めた雪合戦に本気になって、お互いに泣くまで雪玉をぶつけ合ったことを思い出す。 選挙のポスターに並ぶおじさんたちの顔に変なあだ名をつけて笑い合った通学路も、 鯉を釣ろうとして服を汚した緑色のドブ川も、全部がきらきら輝いてた。 あの事故があって、みさきの眼があんなことになって、それでも私たちは何も変わらなかった。 大人たちの態度が変わって、他の友達が離れていって、それでも何も、変わらなかった。 遊ぶ場所は少なくなって、遊びの内容は限られて、それでも、私たちはずっと一緒にいたんだ。 それで楽しかった。それで幸せだった。何も、何も、変わらなかった。 それはただほんの少しだけ、みさきにはできないことが増えたっていうだけのこと。 みさきにできないほんの少しのことが、私はできたんだから、なら、何も変わる必要なんて、なかった。 ずっと一緒にいる私たちは、ほんの少しだけ助け合うことが増えたけれど。 ずっと一緒にいるのだから、それは変わることでも、何でもなかった。 みさきにできないほんの少しのことは、私が代わりにすればいいだけで。 だから戦うことや、ぶつかることや、誰かを嫌うことは、私が代わりに、引き受けた。 そうすれば変わらずにいられたのだから、それは当たり前のことだった。 それが、私たちの、深山雪見と川名みさきの、二人のかたちだった。 戦うことや、ぶつかることや、誰かを嫌うことは、深山雪見が引き受けた。 それはずっとずっと続く、二人の時間のかたち。 無理やりに連れて来られたこの島でも、それは変わらない。 私たちは、変わらない。 それは、些細なことだ。 私たちというかたちの、当たり前のことだ。 誰かと戦うのは深山雪見の役割だ。 誰かとぶつかるのは深山雪見の役割だ。 誰かを嫌って、誰かに拳を向けるのは、深山雪見が引き受けた。 それ以外の全部、楽しい時間の全部が、私たちの共有するたった一つのこと。 それで、幸福だった。 それが、幸福だった。 私の護る、それが全部だ。 だから。 それが失われることなんて、ありはしないんだ。 みさきが眠ってるんなら、起こしてあげなきゃいけなかった。 眼を覚まさないんなら、覚ましてあげる方法を見つけるのが、私の役割だった。 それは深山雪見にとっての当たり前で、だからそのために必要なら、私は何だってする。 何だって。 バカみたいだって言われても、奇跡を起こすパンを作ってもらうんだ。 その材料を集めるんだ。 誰とぶつかっても、誰を泣かせても。 そうしてみさきの目を覚ますんだ。 みさきは眠ってる。 山中の洞窟で私の帰りを待ってひとり、眠ってるんだから。 その眼を開けて、また楽しい時間が廻ってくるのを待ってるんだから。 ずっと、ずっと待ってるんだから。 私は、帰らなくちゃあ、いけないんだ。 そうだ、私はみさきのところに帰るんだ。 帰って、取り戻すんだ。 帰って、護るんだ。 帰って、手をつなぐんだ。 帰って、笑うんだ。 帰って、私たちは、私たちに、もう一度。 もう一度、 もう一度、 もう一度、 ****** ****** 消えていく。 壊れたレコードのように繰り返される言の葉が、雑音に混じって消えていく。 それは人の在りようをかたちにしたような声。 それは自らを規定する意思。 それは、心。 消えていく心がその最後まで顕そうとしたかたちを、私は忘れない。 決して、忘れない。 あれは私だ。 この世界はまだ大切なものに満ちていると、何もなくなってなどいないと泣く、もうひとりの私の声だ。 足掻き、縋り、あり得べからざる真実の何もかもを切り伏せようと抗う、それは願いだ。 その願いを忘れるのなら、その想いのかたちを忘れてしまえるのなら、川澄舞は存在するに値しない。 私は私の前に示される想いの何もかもを、喪われゆくものの全部を背負おう。 背負い、踏みしめ、抗おう。 それが私だ。川澄舞だ。 ああ、ああ。 どうしてこんなにも大切なことを、今の今まで忘れていたのだろう。 立ち上がり、剣を取ろう。 黄金の野原を守り抜こう。 襲い来る魔物の名は喪失だ。 その爪に宿る毒の名は死だ。 その翼が孕む風の名は時間だ。 それが、何だというのだ。 私の名は川澄舞。 抗うものという、それが意味だ。 死が喪失を齎すのなら、私の剣は死を断とう。 時が喪失を運んでくるなら、私は時を切り伏せよう。 私が剣を取る限り、この黄金の野原から喪われるものの存在を、赦さない。 久遠に満たされ続ける、それが私の、川澄舞の守護する、黄金の世界だ。 立ち上がれと、私は私に命じる。 立ち上がり、取り戻せと。 取り戻し、守り抜けと。 守り抜き、久遠を約定せよと。 私は、川澄舞と呼ばれていた意志に、命じる。 目覚めよと。 たゆたう微睡みを貫いて、意志と意思とを以て目を開けよと。 命じる声に雑音はなく。 *** 目を開ければ、そこに幼い顔があった。 【時間:???】 【場所:???】 川澄舞 【所持品:ヘタレの尻子玉】 【状態:???】 深山雪見 【所持品:牡牛座の黄金聖衣、魔犬の尾】 【状態:???】 少女 【状態:???】 - BACK