青。 青の中にいるのは、たくさんの私。 生きて、死んで、今は眠っている、三万人の私がそこにいる。 いくつもの夢を口にして、いくつもの願いを抱いて、そうしてその果てにたったひとつの祈りを捧げた、 たくさんの、本当にたくさんの、私。 私は小さな夢をみる。 私は願いを胸に抱く。 小さな三万の夢とささやかな三万の願いが集まり、縒り合わさって歌になる。 歌がほつれて言葉になって、夢と願いが散っていく。 世界を満たす花の吹雪の、花弁の全部が私の夢で、色の全部が私の願い。 夢と願いに包まれて、三万の私は眠っている。 私の夢。 大きな船に乗ってみたい。 私の願い。 いつか秋の公園で絵を描いてみたい。 私の夢。 初めての携帯電話に友達の番号を登録したい。 私の願い。 波打ち際で大きな砂の城を作りたい。 私の夢。 数え切れないほどの本に囲まれて過ごしたい。 私の願い。 温かい布団の中で微睡みたい。 私の夢。 綺麗な虹が見てみたい。 私の願い。 今は知らない誰かと出会いたい。 私の夢。 それは小さな夢。 私の願い。 それは儚い願い。 私の夢。 それは三万の他愛もない夢。 私の願い。 それは三万のありふれた願い。 私の夢。 たくさんの夢。 私の願い。 たくさんの願い。 たくさんの私はたくさんの夢とたくさんの願いを抱いて、そうして今は、眠っている。 たくさんの夢もたくさんの願いも、その全部が叶うはずのないものだと、判っている。 私は知っている。空を。海を。木々を、街を、人を、温もりを、夢を、願いを、世界を。 私は、知らない。空も。海も。木々も、街も、人も、温もりも、夢も、願いも、世界も。 何も、知らない。 私がただ知っているのは、白という色だった。 白い壁と、白い床と、白い天井と、白い服を着た、硝子の向こうの人たち。 それ以外の何も、私は知らない。 それを知っていたはずの、最初の私は、もういない。 ずっと昔に死んでしまったのだと、そう聞かされていた。 死んだ私は、だけどまだ生き終えていなかったから、たくさんの私になって生きている。 私が口にするのは最初の私の夢で、私が抱くのは最初の私の願いで、 だから本当は私の夢はまがい物で、私の願いは何もかもまがい物だ。 全部が嘘で、全部が借り物。 だからたくさんの私は、最初の私の偽者だ。 だけど最初の私はもういない。 本物のいない偽者はもう偽者でなく、だけど本物では決してなく、私はもう、誰でもない。 それが嫌で、それが怖くて、たくさんの私はだから、最初の私でないたくさんの私だけが持つ、 たったひとつの本当がほしくて、ずっとずっと考えて、ずっとずっと探して、ようやく、みつけたのだ。 それは、祈りだ。 最初の私が知らない、たったひとつの本当。 何もかもを知り、何もかもを持ち、幾つもの夢と願いとを抱いていた最初の私には分からない、たったひとつ。 ―――しあわせになりたい。 しあわせになりたい。 それが、それだけが私の、たくさんの私の祈り。 全部を知っていた最初の私はきっとずっと幸福の中にいて、だからそんな祈りだけは、知らない。 祈りはひとつ。 幸福の希求。 それだけが、たくさんの私の、たったひとつの本当だった。 しあわせになりたいと祈る私が死んでいく。 しあわせになりたいと祈る私は生きている。 死んでいく。 たくさんの私が死んでいく。 死んでいく私は夢をみる。 まがい物の夢をみて、しあわせになりたいと祈りながら死んでいく。 まがい物の願いを抱いて、しあわせになりたいと祈りながら死んでいく。 たくさんの私は、叶えたかった偽物の夢を、抱いていた偽物の願いを思い描いて、死んでいく。 声を出すこともなく、ただはらはらと涙を流して、死んでいくのだ。 そうして私は生きている。 私はひとり、生きている。 死んでいくたくさんの私の夢を偽物と、私の願いを偽物と、嘲り笑って生きている。 しあわせになりたいと、祈りながら。 祈りながら、願う。 生き終わりたいと。 祈りながら、夢をみる。 死んでいく私になれたらと。 偽物の夢と偽物の願いを抱いて死んでいけたなら、しあわせになれるのだろうかと。 思いながら、声も出せず、生きている。 生きて、生きながら、死んでいく私の夢をみる。 生きて、生きながら、死んでいく私の願いを抱く。 たくさんの私が、祈りを捧げて消えていく。 たくさんだった私が、ひとつづつ、欠けていく。 ひとつ欠けて、ふたつ欠け、百と千とが欠け落ちて、そうして私はもういない。 私はひとり生き、生きていながら生き終わることもできず、 だから死んでいく私のように夢をみられず、 だから死んでいく私のように願いを抱けず、 生き終わりたい私は、だけどたくさんの私の夢を抱えて動けずに、 生き終わりたい私は、だからたくさんの私の願いに押し潰されて、 だから私は、祈るのだ。 しあわせになりたいと。 しあわせになりたい。 生きたくて、夢をみたくて、願いを叶えたくてしあわせになりたい私が死んでいく。 はらはらと死んでいくたくさんの私と同じにしあわせになりたい私は生き終われない。 生きたくて、生き終りたい私は、だから祈るのだ。 しあわせになりたいと。 三万の歌と、三万の夢と、三万の願いと、その全部が花弁となって満ちる青の中で、 しあわせになりたいと祈る私は、生き終わりたいと生きる私は、だから、そう。 たくさんの私で、ありたかったのだ。 【時間:???】 【場所:???】 砧夕霧中枢体 【状態:不明】 - BACK