十一時四十分(2)/dis the B.R.





 
神塚山の頂に、終焉までの時間が告げられた頃。
その山の上を食い入るように見つめる少女がいた。

「ああもう、バラバラじゃない……!」

歯噛みする少女の漏らした声に、傍らの少年が反応する。

「え……? お前、見えてるの……?」
「当たり前でしょ!? ちょっと黙ってなさいよ!」

少年、春原陽平が振り返り、そこに立つ男と目を見交わして首を傾げる。
この少女、長岡志保の言うことはどうもおかしい。
あの山頂で戦闘らしきものが始まって以来、自分たちはこの麓を動いていない。
遥か遠く離れた場所で起こっている戦闘だ。
巨大な化け物は見える。閃光や爆発も見える。
だが細かな趨勢や、まして戦っている人間など、芥子粒ほどにも目に映らない。
事実つい今しがたまでそれが見えていたのは背後の男、国崎往人だけだった。
自分と志保は国崎の実況に一喜一憂しながら、今後の身の振り方を検討していた。
していた、はずだった。

「どうしてみんな、勝手なことばっかりやってんのよ……!」

だが少し前から、少女の言動が明らかに変わっている。
見えている、というのだ。
今しがたまで見えなかったものが、見えている。
志保はそのことに疑問を抱いていない。
そのことが当然だというように、自分の異常を受け止めている。

おかしな島だった。
殺し合いをしろと言われて連れて来られた。
だというのに出会ったのは妙な連中ばかりで、殺し合いなどそっちのけで動いていた。
男と一夜を過ごす悪夢や、死ぬほど殴られたりといった不幸はあった。
だが今、自分はこうして生きている。
どうして生きているのかはわからないような目にあったけれど、ともあれ生きていた。
奇妙な事態の一つや二つ、今更気にするほどのことでもないのかもしれない。
そんな風に結論づけて、春原は少し張り出している腹をぽんと叩く。
便秘かな、少し運動しなきゃな、そんなことを考えながら、軽い気持ちで口を開く。

「はは、どうせなら僕らの声が、その戦ってる連中に届くような……そんな力があったら面白いのにな」

本当に、軽い気持ちだった。
単なる戯言、場を持たせるための冗談、その程度の言葉だった。

 ―――そんな力、あるわけないじゃない!

そんな怒声と、機関銃のような罵声の嵐が返ってくると確信し、内心で身構えて、しかし。

「届くわよ」

少女は、ただ一言。
それだけを、口にしていた。

「あたしの声は、届く」

少女は、じっと山の上を見上げていた。
絶句する春原の目に映る少女の表情には、一切の冗談を許さない雰囲気があった。
凍りついたような空気が嫌で、そんな場を崩したくて、何か茶化してやろうと少女を見て、
そして春原は、口を噤む。
少女、長岡志保の頬には、一筋の涙が伝っていた。

「あたしはここで見てる。だったら見てるだけなんて、そんなの嫌じゃない。
 あたしの見てるものは、誰かに届く。届けるのよ。あたしの声が。あたしの言葉が。
 それが志保ちゃんだもの。それが、あたしだもの。届くに決まってる。絶対。……絶対!」

支離滅裂だ、と春原は思う。
少女の言葉には、何の根拠もない。
それはただの我侭で、駄々っ子が店先でごねるようなもので、だけど。
だけどその目には、きっと世界のどこかで何かを変えると、そう信じたくなる光が、宿っていた。

「……かもね」

この世界でたった一人、あるはずのない奇跡を疑わない、少女がいた。
自分が、その二人目になろうと、思った。

 ―――どくり。

鼓動が、聞こえた。

命の、脈動する響き。
呼応するように背後、小さな音がした。
世界のどこかで、何かの変わる音だと、そう思えた。

振り向けばそこにあるのは古びた社。
鷹野神社と銘の掛けられた社の奥、光る何かが見えた。
朽ちかけた暗い拝殿の奥で燦然と輝くそれが何なのか、春原にはわからない。
小さな羽根のようにも映るが、羽根は自然に光らない。
だからそれが何であるのか、春原陽平には理解できない。
それが幾多の不幸をもたらしてきた翼人の羽根であると、その意思の宿った一片であると、知る由もない。
しかしその光る何かを見つめる春原の耳に響く鼓動は、どんどんとその存在感を増していく。

どくり、どくりと鼓動が響く。
初めは息遣いよりもささやかに、次第に梢のざわめきを凌駕して、そして最後には世界を包むように。
ぐらり、と視界が傾く。

鼓動は外から響かない。
鼓動は心臓の音だ。
春原の心臓はしかし平静で、ならば誰かの心臓が、鼓動を奏でている。
それが誰だかわからずに、自分の中から響くもう一つの鼓動が誰のものだかわからずに、
音に呑み込まれて耳を押さえた春原の視界が、光に満たされた。

青の一色。
静謐な湖面の、無限の蒼穹の、水平線まで続く波濤の、それは色。

音と光が春原を包み、その意識を薄れさせていく。
最後に少女がこちらを向いて、何かを言ったような気がする。

「―――あんた……! 何、そのお腹……光って―――!?」

音に紛れて、少女の声は聞こえない。
光に掻き消えて、少女の顔はもう見えない。

何が起こったのかはわからない。
わからないけれど、少女の言葉を信じようと思ったのが、この光を呼んだのなら。
拡がる光が満たすのはきっと、少女が声を届けたいと願う、世界のすべてだ。

春原陽平の意識は、それきり途絶えている。




【場所:G−6 鷹野神社】

長岡志保
 【所持品:なし】
 【状態:異能・詳細不明】
春原陽平
 【所持品:なし】
 【状態:妊娠】
国崎往人
 【所持品:人形、ラーメンセット(レトルト)、化粧品ポーチ】
 【状態:健康・法力喪失】
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