神塚山の頂に、終焉までの時間が告げられた頃。 その山の上を食い入るように見つめる少女がいた。 「ああもう、バラバラじゃない……!」 歯噛みする少女の漏らした声に、傍らの少年が反応する。 「え……? お前、見えてるの……?」 「当たり前でしょ!? ちょっと黙ってなさいよ!」 少年、春原陽平が振り返り、そこに立つ男と目を見交わして首を傾げる。 この少女、長岡志保の言うことはどうもおかしい。 あの山頂で戦闘らしきものが始まって以来、自分たちはこの麓を動いていない。 遥か遠く離れた場所で起こっている戦闘だ。 巨大な化け物は見える。閃光や爆発も見える。 だが細かな趨勢や、まして戦っている人間など、芥子粒ほどにも目に映らない。 事実つい今しがたまでそれが見えていたのは背後の男、国崎往人だけだった。 自分と志保は国崎の実況に一喜一憂しながら、今後の身の振り方を検討していた。 していた、はずだった。 「どうしてみんな、勝手なことばっかりやってんのよ……!」 だが少し前から、少女の言動が明らかに変わっている。 見えている、というのだ。 今しがたまで見えなかったものが、見えている。 志保はそのことに疑問を抱いていない。 そのことが当然だというように、自分の異常を受け止めている。 おかしな島だった。 殺し合いをしろと言われて連れて来られた。 だというのに出会ったのは妙な連中ばかりで、殺し合いなどそっちのけで動いていた。 男と一夜を過ごす悪夢や、死ぬほど殴られたりといった不幸はあった。 だが今、自分はこうして生きている。 どうして生きているのかはわからないような目にあったけれど、ともあれ生きていた。 奇妙な事態の一つや二つ、今更気にするほどのことでもないのかもしれない。 そんな風に結論づけて、春原は少し張り出している腹をぽんと叩く。 便秘かな、少し運動しなきゃな、そんなことを考えながら、軽い気持ちで口を開く。 「はは、どうせなら僕らの声が、その戦ってる連中に届くような……そんな力があったら面白いのにな」 本当に、軽い気持ちだった。 単なる戯言、場を持たせるための冗談、その程度の言葉だった。 ―――そんな力、あるわけないじゃない! そんな怒声と、機関銃のような罵声の嵐が返ってくると確信し、内心で身構えて、しかし。 「届くわよ」 少女は、ただ一言。 それだけを、口にしていた。 「あたしの声は、届く」 少女は、じっと山の上を見上げていた。 絶句する春原の目に映る少女の表情には、一切の冗談を許さない雰囲気があった。 凍りついたような空気が嫌で、そんな場を崩したくて、何か茶化してやろうと少女を見て、 そして春原は、口を噤む。 少女、長岡志保の頬には、一筋の涙が伝っていた。 「あたしはここで見てる。だったら見てるだけなんて、そんなの嫌じゃない。 あたしの見てるものは、誰かに届く。届けるのよ。あたしの声が。あたしの言葉が。 それが志保ちゃんだもの。それが、あたしだもの。届くに決まってる。絶対。……絶対!」 支離滅裂だ、と春原は思う。 少女の言葉には、何の根拠もない。 それはただの我侭で、駄々っ子が店先でごねるようなもので、だけど。 だけどその目には、きっと世界のどこかで何かを変えると、そう信じたくなる光が、宿っていた。 「……かもね」 この世界でたった一人、あるはずのない奇跡を疑わない、少女がいた。 自分が、その二人目になろうと、思った。 ―――どくり。 鼓動が、聞こえた。 命の、脈動する響き。 呼応するように背後、小さな音がした。 世界のどこかで、何かの変わる音だと、そう思えた。 振り向けばそこにあるのは古びた社。 鷹野神社と銘の掛けられた社の奥、光る何かが見えた。 朽ちかけた暗い拝殿の奥で燦然と輝くそれが何なのか、春原にはわからない。 小さな羽根のようにも映るが、羽根は自然に光らない。 だからそれが何であるのか、春原陽平には理解できない。 それが幾多の不幸をもたらしてきた翼人の羽根であると、その意思の宿った一片であると、知る由もない。 しかしその光る何かを見つめる春原の耳に響く鼓動は、どんどんとその存在感を増していく。 どくり、どくりと鼓動が響く。 初めは息遣いよりもささやかに、次第に梢のざわめきを凌駕して、そして最後には世界を包むように。 ぐらり、と視界が傾く。 鼓動は外から響かない。 鼓動は心臓の音だ。 春原の心臓はしかし平静で、ならば誰かの心臓が、鼓動を奏でている。 それが誰だかわからずに、自分の中から響くもう一つの鼓動が誰のものだかわからずに、 音に呑み込まれて耳を押さえた春原の視界が、光に満たされた。 青の一色。 静謐な湖面の、無限の蒼穹の、水平線まで続く波濤の、それは色。 音と光が春原を包み、その意識を薄れさせていく。 最後に少女がこちらを向いて、何かを言ったような気がする。 「―――あんた……! 何、そのお腹……光って―――!?」 音に紛れて、少女の声は聞こえない。 光に掻き消えて、少女の顔はもう見えない。 何が起こったのかはわからない。 わからないけれど、少女の言葉を信じようと思ったのが、この光を呼んだのなら。 拡がる光が満たすのはきっと、少女が声を届けたいと願う、世界のすべてだ。 春原陽平の意識は、それきり途絶えている。 【場所:G−6 鷹野神社】 長岡志保 【所持品:なし】 【状態:異能・詳細不明】 春原陽平 【所持品:なし】 【状態:妊娠】 国崎往人 【所持品:人形、ラーメンセット(レトルト)、化粧品ポーチ】 【状態:健康・法力喪失】 - BACK