亡き彼女の為のセプテット






 神尾晴子の表情は、意外なことにすっきりとして清々しいものさえ感じられるほどだった。
 吹っ切れたのか、それとも自棄になったのか。
 まだ油断は出来ないと思った篠塚弥生はP−90のグリップを握ったまま晴子の挙動をじっと注視して窺う。

「なんや、そないな怖い顔せんでもええやろ」

 おどけたように笑い、肩をすくめる。VP70を手で弄びながら、晴子は無学寺の隅に置いていた自分のデイパックを手に取り、「そろそろ行こか」と尋ねてくる。
 どうやら今すぐに自分と敵対する気はないらしいと判断した弥生は、ようやくP−90のトリガーにかけていた指を離し、紐の部分を肩にかける。
 紐はここで調達したもので、ずっと手に持っておくよりは鞄のように肩からかけておく方が消耗が少ないと考えた弥生が、銃の端をガムテープやらで何重にも巻いて急ごしらえの肩掛け銃にしたのだった。
 また、肩からかけることによってより身体に密着し、手放しにくくなったという利点もできた。
 力ずくで奪われるような事態にはそうそうなるまい。

「分かりました。行きましょう」

 応じた弥生は腰を上げ、晴子と同じくデイパックを背負う。数時間に渡る休息はそれなりに効果はあったらしく、昼頃に戦った怪物――柏木耕一――に投げ飛ばされ、したたか打ち付けた部分の痛みは既に引いている。
 もっとも、古傷のある脇腹の部分は未だ熱を持っており、身体を捻るたびにキリキリとした苦痛が襲い掛かってくる。
 緒方英二が情けをかけた治療のお陰で消毒はしていたはずだし、包帯だって巻かれている。今はどうか分からないが、一応血は止まってはいる、はず。
 赤黒く染まり、黄ばんだ体液がその外周を埋めている包帯の有様を見ればその自信もなくなっていきそうなものだが、自分の中に確かに流れている血の巡りが良好であることはまだ大丈夫という証とも言える。

 まだ戦える。この心が萎えてしまわない限りは……
 と、そこで『心』などという単語が出てきたことに対して、弥生は少し驚愕を覚える。
 そんなものが、まだ自分に残っているというのか。

 だがそうだろうなと弥生は認識せざるを得ない。
 藤井冬弥を殺害したときの感情の発露。緒方英二と相対したときの一瞬の迷い。
 そしてこの直前に思い出してしまった寂しいという言葉。
 人形だろうと断じて疑わなかったはずの自分は、実はこんなにも人間であったという事実として現れた。
 それが甘さとなって緒方英二にしてやられ、藤井冬弥も一度は取り逃がした。

 けれども、それだって力でねじ伏せてきているではないか。
 藤井冬弥は最終的には仕留め、今脳裏にある冬弥は情報としての冬弥でしかない。
 とどめを刺したとき、確かに冬弥の存在を情報として処理することができた。
 寂しいという彼の言葉も所詮は思い出でしかなく、今後の自分に影響を及ぼすこともない。

 一時の感傷。もうその一言で片付けられる。
 英二とて同じことだった。
 生きているからこそ、それは情報ではなく感情として自分の中に流れ込んでくるだけのこと。
 過去の冬弥や英二が自分を苦しめていることはないのだ。
 苦しめているのは、今この瞬間、確かに存在している英二だけだ。

 決着をつけたい。弥生はどろりとした黒い液体が腹の底にたまっていくのを感じていた。
 英二さえ自分の手で葬れば、もう誰も私の心に入り込んでくる者はいない。脅かされることのない、人形として行動ができるはずだった。
 愛憎というものかもしれない。
 己を知るからこそ、己で殺し終止符を打つ。他人には決して持たぬ特異な感情だと弥生は思う。
 早く、会えればいい。この興奮が冷めやらぬうちに……

「待ちぃや。ええもん見つけてきたんや。ウチらにお似合いの、な」

 先行して歩く弥生に、やけに楽しそうな晴子の声が引き止める。「いいもの?」と返した弥生に、晴子はポケットから取り出した小さな鍵をチラつかせる。

「車の鍵や。寺の横の駐車場に置かれとるねん。ええモンやなー、使えたら楽やのになー思うて何の気はなしにドア引っ張ったら開いたんや。で」
「何故か開いて、おまけに何故かキーが掛けっ放しだった、と」

 満足そうに頷いて、はははっと笑う晴子。どうせ開いてなくてもこの女はどうにかして使おうと無理矢理こじ開け、バラしてでも車を動かそうと試みただろう。
 面倒くさがりな晴子の性格を少なからず熟知している弥生はそんな考えを持ったが、何にせよ車が使えるというのは大きい。
 歩いて体力を消耗しない、移動距離が大幅に長くなる。それだけに留まらず車は多少の銃撃に対しても高い防御能力がある。勢いのままに轢き殺すことだって可能だ。
 こちらの存在は察知されやすくなるもののそれを補うだけの戦略的優位性があるというものだ。
 やはり晴子は使えると思った。これが自分ならば常識の輪に当て嵌め、どうせ使えるわけがないと無視し、好機を逃していただろう。

「アンタ、運転は出来るんやろ? ハンドルは任せるで」
「それは構いませんが……免許をお持ちではないのですか」
「ウチはバイク乗りや。性に合わへん」

 かったるそうに言うだけ言って、晴子は車のキーを投げ渡す。
 口ぶりからして免許は持っているのだろうが、ただ単に嫌いというだけのことらしい。
 バイク乗りの矜持とかいうやつなのだろうか。理解できないと弥生は思いながらも、晴子の性格を鑑みるに運転させたら無茶をしでかすような気がしてならなかった。
 断らない方が懸命だろうと当たりをつけ、弥生は分かったと頷いた。運転するだけならさほど苦にはならない。

「なぁ、ひょっとしてアンタ、車乗ると人が変わる……なんて、あらへんな?」
「何をいきなり」
「いや、よくある話やん? 普段冷めた顔の癖して実は生粋の走り屋……」

 馬鹿馬鹿しいとため息をつき、弥生は「早く車の所に案内してください」と返す。
 そんな経験もなければ、そんな趣味もない。
 たまに由綺の送迎で、遅刻しそうになったとき若干飛ばしたくらいだ。

 一蹴されたことに腹を立てたのか、「んな言い方せんでもええやろ」とぶつぶつ文句を言いながら弥生の横を通り過ぎ、付いてこいと顎をしゃくりあげる。
 外に出ると、悪くなっていた天候は更に悪い方へと傾き、さあさあとした小雨が降り注いでいた。
 もっとも車を使う自分達からすれば天候の悪さはさほど関係ない。安全運転さえしていれば。
 文句を言わず引き受けて正解だったと弥生が思っていると、晴子がムッとしたような表情をこちらに向けてくる。

「アンタ、何か失礼なこと考えてへんやろな」
「何をいきなり」
「白々しいわ。ホッとしたような顔やんか。ムカつく。ウチだって最低限のルールくらい守るっちゅーねん」

 最低限なんて言う時点で怪しいものだと弥生は思ったのだが、口に出すと口論になりそうな気がするので沈黙で答える。
 この手の人間と言い争っても疲れるだけだ。
 晴子はイライラを募らせているようだったが、こちらが反応しない以上向こうも何もしようがない。
 ちっ、と吐き捨てて晴子は「こっちや」と弥生を先導する。

 無学寺の脇を通っていくと、晴子の言うとおり、恐らくは一昔前のモデルと思われる乗用車が一台ぽつねんと佇んでいた。
 特に傷などは見当たらないことから心配するようなことはなさそうだが……

「エンジンの起動は確認したのですか」
「ああ、一度確認した。ガソリンもばっちしや。一日中乗り回せるで」

 そこまで言うからには異常はないと思って間違いないだろう。考えてみればこれは主催者の罠ではないのかという疑問が今更ながらに浮かんだのだが、その安全確認は晴子がやってくれた。もし罠なら晴子がキーを回した時点で爆発でも起こしている。
 車自体にガタが来ているという可能性もあるが、それはアクセルを全開にして飛ばさない限りは対処のしようがある。
 参加者を発見でもしない限りは安全運転で十分だ。
 晴子が口出ししてくるかもしれないとは思ったが、今の晴子からは特に焦りというものは感じられない。やはり、吹っ切れたのか。
 日常の中にあった人間関係に未だ囚われている自分とは対照的だ。羨ましいものだ、と皮肉でも何でもなく、弥生は素直に感心する。

 車の扉を開けると、島の土埃の匂いとは違う、つんとした街の匂いが鼻腔を刺激する。
 手肌から感じるシートのザラついた硬い皮の感触も、フロントガラス越しに見えるぼやけた沖木島の風景も、全てが懐かしく、久しいものののように思える。
 一瞬の感慨は、しかし助手席に乗ってきた晴子の姿を見るとすぐに消え失せ、再び弥生の双眸はいつもの冷たいものへと戻っていた。
 デイパックを後ろの席に放り込み、P−90を肩にかけたまま運転席へと乗り込む。
 隣を見ると、既に晴子は寛いだ様子で、シートを後ろに倒して寝転がっていた。緊張感がない……というより、リラックスしている。
 ここまでマイペースだと呆れを通り越して尊敬する。

「シートベルトはして……」

 半ば条件反射で言いかけ、そんな必要はないと思った弥生は「いや、気にしないでください」と繕った。
 交通違反も何もない。寧ろシートベルトなどしていたら対応が鈍るではないか。
 きっちりとしているのも考え物だと思う弥生の隣では、晴子がくくっと笑っていた。

「真面目なんやな、ホンマ」

 全くだと自分でも思いながら、「出しますよ」と声をかけて車のキーを回す。
 キュルルル、とエンジンが唸りを立てて車体が細かい振動を起こし、発車の準備が整う。
 晴子の言うとおり、きちんと動いているようだ。ハンドルを握り、弥生はゆっくりとアクセルを踏み込んだ。
 ゆっくりと車体が動き、車が走り出す。

「さぁて、地獄巡りのドライブやな」

 呟いた晴子の台詞を洒落にならない、と思いながら弥生は少しずつアクセルを踏み込んでいく。
 少しずつ車は速さを増し、やがて分かれ道に差し掛かる。ここを北に行けば鎌石村方面に、南に行けば氷川村方面だ。
 どうする、と弥生は晴子に尋ねてみる。

「んー、ウチはどっちでもええんやけど……地図、どっちの方が運転しやすいんや」
「……愚問でしたね」

 晴子の見せる地図を一目見て、弥生は嘆息する。
 それなりに緩い南側の道に比べて、北は曲がりくねっており平易な道ではなさそうだった。
 取り敢えずは氷川村に向けて運転することとしよう。
 晴子は地図を仕舞いこむと再びシートに寝転がり、横に顔を向けて雨の降りしきる外の風景を眺めているようだった。

「……おっそいなー」

 晴子がわざとらしく盛大にため息をつくが、弥生は無視して現行の速度で車を走らせた。
 この速さでも徒歩の人間とは段違いの速さなのだ。無理に飛ばす必要性はない。

「なーんか、平和やな……」

 その台詞を聞くのは二度目だった。確かに、のんびりと走行している今の時間は平和には違いなかった。

「平和には、必ず終わりが来るものです。備えはしておいてください」

 晴子の目がこちらを向き、わかっとるわとでも言いたげな視線を寄越してきた。

「ホンマ、真面目くさった奴や。気に入らへん」

 不貞腐れたように言い放つ晴子だが、その手には先程は握っていなかったVP70がしっかりと握られていた。
 半分晴子に向けていた意識を、再度運転に回す。
 この先の大きく曲がった道を真っ直ぐ行けば氷川村に辿り着けるはずだった。

 さて、この車がどこまで通用するか。
 弥生の視線は、既に氷川村を見つめていた。




【場所:F-09 南部】
【時間:二日目午後:19:10】

神尾晴子
【所持品:H&K VP70(残弾、残り4)、大きなハンマー、支給品一式】
【状態:マーダー。右手に深い刺し傷、左肩を大怪我(どちらも簡易治療済み。痛みはあるものの動けないほどではない)、弥生と共に勝ち残り、観鈴を生き返らせてもらう。氷川村に行く】
【備考:蘇生の情報には半信半疑】

篠塚弥生
【持ち物:支給品一式、P-90(20/50)、特殊警棒】
【状態:マーダー。脇腹の辺りに傷(悪化)、晴子と共に勝ち残り、由綺を生き返らせてもらう。氷川村に行く】
【備考:蘇生の情報は一応理解を示している】

【その他:弥生と晴子は乗用車に乗っています。ガソリンはほぼ満タン】
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