きみのこえ。(echo)/傷跡の花。(Low Blood Pressure)





 もう少しで、日が暮れる。
 自らの頭上に浮かぶ空の色、外気の具合、そして腹の減り具合から考え、恐らくは後一時間もすれば三回目の放送だろうと那須宗一は考えた。
 ただ次第に厚みを増している鈍色のどんよりとした雲が空を覆い始めているのが気にかかる。
 雨になる可能性が高い。それは空気が少しずつ湿り気を帯びてきていることからも分かる。
 あまり激しくは降らなさそうだが、厄介だ、とエージェントとしての自分が告げている。

 雨は様々な物を洗い流す。
 赤く汚れた、血という名の泥。発砲を証明する硝煙の匂い。音、足跡――
 殺人の痕跡は姿を消し、加害者の姿は不透明感を増す。闇に潜み、卑劣を生業とするこの島の殺人鬼共にとっては絶好の天候となるだろう。
 加えて夜ともなれば視界も悪くなり、奇襲しやすくもなる。
 それは『ナスティボーイ』の異名を持つ自分でさえ油断できぬ環境になるということ。
 これまで以上に物音には気を配りつつ行動せねばなるまい。
 もう、佳乃のような犠牲者は出したくないのだから……

 胸中に滲み出る苦さを腹の底に飲み下し、宗一は視線だけを動かして、隣を歩いているルーシー・マリア・ミソラの横顔を見る。
 恐らくは北欧の人間であると思われる、極めて色素の薄い肌色と髪の毛。すらりと長く伸びるしなやかな手足と、整った顔立ち。
 どこか浮世離れした雰囲気ながら、生硬い表情はやはり彼女も人間であることを実感させる。
 いい加減、話を切り出すべきか。
 あまりに情けない話なので口に出すのを躊躇っていたが、つまらないプライドに拘ってしこりを残すのは愚の骨頂だ。
 旅の恥はかき捨てと言い聞かせ、宗一はルーシーに話しかける。

「なあ、少しいいか」
「何だ」

 答えながらも、その視線は常に周りへと向けられている。けれども取り付くしまもないというほどの無関心という程でもない。
 器用に行動できるのだろうな、と感想を持ちながら一つ咳払いをして、胸中にあった疑問を投げかけてみる。

「渚のことなんだが……どう思う」
「……脆いな」

 少し間を置いて向けられた言葉は、やや辛辣な響きがあった。或いはそのように言葉を選んだのかもしれなかった。
 深く詮索しようとする頭をどうにか抑えつつ、宗一は息を吐いて「お前もそう思うか」と返した。

「抱え込み過ぎてるんだ。それは分かってる。……でも、分からないんだ」
「踏み込み方か? それとも、受け止め方か」

 両方だ。返事はすぐさま浮かんだものの、それが口に出ることはなかった。
 あまりにも確信を突く言葉で、思う以上のショックを感じたのかもしれない。
 無言の返答を受け取ったルーシーは「世界一が聞いて呆れる」と嘆息を漏らす。

「目的のために、人を物と考え、動く駒として見て、目的の達成という名の下に思考を停止する。ツケは大きかったな」

 容赦なく抉るような言葉だが、不思議と反論をする気にはならなかった。
 当然の事実と受け止めたわけではない。エージェントとしての使命に没頭していた、あの頃を思い出さないではなかったが、それ以上にルーシーの言葉は宗一ではなく自身に向けて言っているような気がしてならなかった。
 無様な己をさらけ出し、こうはなるなと嗜めるように。

「結果だけを求めて行動するな。しっかりと繋ぎ合って、お互いに確かめるんだ。私は、気付くのがいささか遅すぎた」

 自嘲するように笑うルーシーには、後悔の色がありありと滲んでいた。
 まだ、なくしたわけじゃない。
 崩れそうだった不安は姿を消し、代わりに灯った熱がじんわりと手のひらに伝わって使命感の形を成す。
 握り締めた拳は無力から来る痛みではなく、力強さを持ったものになっていた。

「ああ、努力するよ……」

 鈍感の意地を見せてやる。
 宗一はこの熱を、絶対に無くすまいと誓った。

     *     *     *

「遠野美凪です」
「古河渚です」
「天文部部長です」
「演劇部部長……です」
「ほかほかのご飯」
「あんぱ……カツサンドっ」
「ゾウさんです」
「キリンさんです」

 第三者から見れば、まるで掴みどころのない会話に脳が混乱することだろう。
 しかし会話の中心にいる二人の少女にとって、それは無意味な会話ではなかった。
 少なくとも、遠野美凪は少しでも親交を深めていると思っていた。
 それが証拠に、ぎこちなかった渚の表情は僅かに緩くなってきていて、次の美凪の言葉を待っているかのように見える。

 特に人嫌いでもない限りは、お喋りは楽しいものだ。
 潤いというものがまるで感じられないこの島なら、尚更。
 先行すると言ってルーシー・マリア・ミソラと共に前を歩く那須宗一が、前と後ろに分かれる前に寄越した視線の意図を、美凪は瞬時に理解していた。

 渚の表情が、暗い。
 それは悲しみに打ちのめされている風でもなければ、絶望に心が挫けたという風でもない。
 むしろ渚は己の内に向けている。迷子になったのを、離れた自分が悪いのだと考え、それでいて自分一人で何とかしようと気負っている。
 不満は口に出るものだが、渚は押し黙ったまま何も語らない。
 つまり、はけ口は渚自身にあると見て相違ないだろう。己を責め、それによって何かを結論付けようとしている。

 推測には過ぎなかったが、己の不実は己に対してのみ向けられるという考えは美凪の経験から来る持論でもあった。
 『みちる』という存在の成り立ち。北川と広瀬の死。
 いずれも原因は自分にあるとして一度は全てを投げ出し、自棄になって現実から目を背けた。
 自分さえ罪を償えばいいのだとまるで論拠もなくそう思い、それで全てが解決すると断じて思考を停止する。
 自己解決しただけで、何も変わりはしないというのに。
 様々なひとの助けもあり、どうにか自分は持ち直すことが出来たが、今また渚は同じ道を歩もうとしているのではないか。
 美凪ほど目を背けてはいなくとも、己の不実を己で解決しようと意固地になっているのではないか。

 飛べない翼にだって、意味はある。
 出来ないからと、無理に埋め合わせをしなくたっていい。誰かに肩代わりしてもらい、代わりにまた別の誰かの肩代わりをすればいいのだ。
 美凪には美凪だけの、渚には渚にしか出来ないことが、きっとあるはずなのだから……
 だから、そっと。
 美凪は渚の肩代わりをしようと決めた。

「さて、自己紹介はここまでにしましょう。ここからはちょっとアダルティなサタデーナイトフィーバー」
「今日って、土曜日の夜なんですか?」

 個人的にはキャーミナギサーンと言って欲しかった美凪だが、生真面目な渚にそれを期待するのは酷な話だと思い直し、取り合えず心の中だけで例のポーズを決めておいた。

「さて古河さん、ズバリあなたの意中の人は」
「……脈絡ないと思います」
「サタデーナイトフィーバーなので」
「お友達なら、今はたくさんいますけど……」

 本当に困ったように渚は苦笑する。恋愛談義は女の華だと聞き及んでいた美凪だが、どうもそういうわけでもないらしい。
 とは言ってもやれ持っている武器はどうだとか、ここから脱出するにはどうだとかを話し合う気にはなれない。
 無論それも重要なことなのだが、そればかり話しては心が休まる暇などないし、精神衛生上良くない。
 いつ、どんなときでも心のどこかに安心できる場所があればいい。殺し合いにはまるで不似合いな考え方だが、必要なものだと美凪は考えていた。

「――あ、でも……」

 次の話題を考えていた美凪の耳に、付け加える渚の声が重なる。

「……宗一さんは、素敵な人だとは思います。格好良くて、責任感もあって……」

 若干照れるようにして言ったように思えるのは、拙い喋り方のせいだろうか。
 その一言だけで止めたので、再び確かめることは出来なかったがそういうことなのだろう。

「確かに、頼れそうな人だと思います。初めて会ったときは少しピリピリしていたように感じましたが」
「あの時は……でも、本当にいい人です。……お父さんやお母さん、霧島さんのお墓を作ってくれましたから」

 古河姓の人間が既に放送で呼ばれていることは、美凪も知っている。
 家族の死を看取ることが出来た。それを幸運なことだと感じてしまったことに、自分は友人の死に立ち会えなかったのにと思っていたことに、不快なものを覚える。
 あのわだかまりがまだ抜けきっていない。肩代わりすると言っておきながら、こんな黒いものを抱えているのか。
 己の内から生じた黒いそれは溶けて液体となり、美凪の身体を巡ろうと手を伸ばしかける。

「そう言えば、宗一さん、力仕事ばっかりです。土方さんみたいです」

 格好いい宗一の姿と力仕事ばかりの宗一の姿のギャップが可笑しかったのか、渚はくすっと笑みを漏らす。
 その笑いに釣られて、美凪も思い描く。
 長閑にえんやこ〜らと歌いながら畑を耕す宗一。何故かそんな想像になり、思わず美凪も吹き出した。

 緩んだ口元から黒さが流れ出て、すっと胸のうちが軽くなってゆくのを感じる。
 くだらない、と思った。未だわだかまりを残している自分も、思考の渦に飲み込まれようとしていたことも。
 笑ってしまおう。それだけを考えて美凪は「ふふ」と声を出して笑った。

「なんだ、二人してニヤニヤして……着いたぞ」

 呆れたような宗一の声が聞こえたときには、平瀬村分校跡の全容が姿を見せていた。
 廃墟というに相応しい、今にも幽霊が声を上げそうな木造の校舎。
 時計塔に備え付けてある、グラウンドからならどこでも見ることが出来そうな大きな時計は4時35分を示して動かず、その機能は失われていることを意味していた。
 割れた窓からは不気味に破れたカーテンがはためき、まるで手招きしているかのような印象を与え、風によるものだろうか、開閉を繰り返している入り口の扉が錆びた金属の唸りを上げていた。

「さて、ここにお尋ね者はいるのかね」
「亡霊が代わりに出てくるかもしれんぞ」

 どこか楽しそうな宗一とルーシーの声は、肝試しでもする小学生のように感じられた。

「怖いですね」
「怖いです」

 努めて冷静に振る舞いながらも、青褪めた顔をする美凪と渚は、まるで先の二人とは対照的だった。
 立ち尽くしたまま動かない二人に「お化け屋敷みたいなもんだ」とフォローにならないフォローを入れた宗一が渚の手を引き、「ホラーハウスだと考えろ、なぎー」とこれまたフォローにならない言葉と一緒に美凪の手を引き摺るルーシー。

「あうぅぅぅぅぅ……」
「……ちーん」

 ずるずると同じように引っ張られていく渚の姿を見ながら、美凪はホテル跡のときもこうだった、と他人事のように考えていた。

     *     *     *

 もうすぐ18時になる。
 祐一たちは無事なのだろうか、電話で連絡は取れないものだろうか、と緒方英二は考え、しかし虫のいい話だと内心に苦笑する。

 それよりも、このリサ=ヴィクセンという女はまるで隙がない。
 軍事関係者だと当たりはつけているが、単に知識というだけならジャーナリスト、言い方を悪くすれば軍事オタクだって持っている。
 しかしリサの挙動は実戦を何度も経た兵士そのものだ。絶えず目を動かし、聞き耳を立て、少しでも不審な点がないかを探っている。
 ……自分に対しても。
 寧ろそれで安心できると英二は安堵していた。初対面の人間に警戒心を抱かない方がおかしいうえ、リサの動きは明らかに素人の俄仕込みでないことも分かった。
 虚勢を張った、偽者ではない。それはこの先脱出へと向けて動くには十分過ぎる程の戦力と言える。

 逆を言えば、なぜこれほどの人物がこれまで動いてこなかったのかという疑問もある。
 我が身の安全を慮ってのことなのか。こんな辺鄙な場所にいるということがその証明にも思える。
 それとも、リサのすぐ横にいる美坂栞を守るためだからであろうか。
 戦力と言う点から見れば栞は脆弱、しかも病気というリスクを抱えてもいる。ライフルを持った姿が危なっかしく見えるくらいだ。
 戦闘能力を買って味方にしているというわけではない。この二人の間に流れているものは、親友や家族、それらに向けられるものに違いない。

 直接の知り合いや家族というわけではなさそうだった。
 今この間に二人のしている他愛ない会話も、どこか遠慮を含んだものが感じられる。
 推測に過ぎないが、この二人はここに連れて来られてから、初めて出会ったのだろう。
 それから行動を共にするうち、親愛の情が芽生え、しかし互いに踏み込みきれぬままここまで来てしまった、というところか。

 いつの間にか分析を始めていたことに、英二はまたか、と己に吐き捨てた。
 プロデューサーという仕事は、人を知り、その内面にまで踏み込まなければ食ってはいけない。
 観察し、推測を立ててコミュニケーションを円滑にし、アイドルの魅力を引き出すのは最早職業病とも言えるほど当たり前のことになってしまった。人の隠微な琴線を探るようにしか会話出来なくなってしまったのは、いつからだっただろうか。
 春原芽衣が亡くなったときでさえ、大人が喚くわけにはいかないと己を律し、激情を撒き散らすことをしなかった。
 いやそれ以前に、妹の理奈の名前が放送で呼ばれたときでさえ、一時の感傷以上のものを持つことがなかった……

 仲間が命を散らすたびに若さ相応の怒りを叫び、暴力に真っ向から立ち向かおうとする祐一の姿を思い出す。
 僕は大人になりすぎてしまったのか。
 いやそれ以前に、大人とは何だという疑問が英二の中で持ち上がる。

 己を律し、感情を押さえ、目の前の現実しか見ようとしないことが大人か。
 本当の自分から目を背け、楽だからと流されるがままに流されて、朽ちて行くのが大人か。
 この期に及んで不甲斐ないと自分をなじり、逃げ道を用意しておくのが大人か。

 祐一に会いたい、と英二は強く思った。
 何か結論を求めて、というわけではない。とにかく、今の自分がどう見えるかを聞きたかった。
 自分を知るものは、妹や芽衣がいなくなってしまった今、ここに来た当初から出会った祐一しかいないのだから。

「そうだ、リサさん。分校跡に電話をかけるって言いましたけど、繋がるんですか?」

 世間話が終わり、少しの間会話の波が途切れていた二人だったが、思い出したかのように栞が尋ねる。
 栞の疑問はもっともだ。跡、というからには人が途絶えてから久しい可能性は高い。
 そんなところに、果たして電気は通っているのか。
 先程までの自省を霧散させ、二人の会話に耳を傾ける。けれども心配ないと英二の疑問を撥ね退けるようにしてリサが返答する。

「これはあくまで私の推論でしかないんだけど、この島は人工島……殺し合いのためだけに作られた代物よ」

 想像だにしない返答であったためか、栞は口をぽかんと開けて「はあ」と生返事を返しただけだった。
 英二も口にこそ出さなかったもののあまりに素っ頓狂な意見であったために、嘘だろう、と思った。
 栞の返事が気に入らなかったのか、リサは幾分ムッとしたような顔つきになって続ける。

「前に一度言ったはずなんだけど……忘れた? まあいいわ。まずこの島はあまりにも静か過ぎる。
 いくら小さな島とは言っても、緑が多く残っている割には動物や昆虫の鳴き声がまるで聞こえないのはどうして?
 それに、まるで歴史……というには大袈裟だけど、人の生活している跡が見受けられない。
 建物は新しい、備え付けの調度品も傷が見当たらない。装ってはいるけど、月日が出す建物特有の傷みはどこにもない。
 この島、すべからく、ね」

 言われて、英二はこれまで尋ねた施設の内容を思い出す。
 応接間などのところなどはまだしも、調理場や寝室、教室や便所などといった人いきれの匂いが感じられそうな場所ですら清潔に過ぎる。
 手入れしていようとも、この匂いは長年使っているのであればそうかき消せるものではない。
 動物や昆虫の一件に関してもそうだ。これまで山中を突っ切ってきたこともあったが、鳥はおろか虫ですら皆目発見は出来なかった。
 殺し合いという異常な環境下で目を行き届かせる暇が無かったとは言え、確かに不自然極まりない。

「……思い出しました。確か柳川さんが、どうも身体の調子がおかしいって……」

 随分前のことだったのか、ようやくといった感じで栞がそう漏らす。

「ええ、柳川の言う『鬼の力』とやらは眉唾モノだけど、何かしら不思議なものがあるのは分かった。多分、超能力でも封じてるのかもね?」
「……信じられないな。超能力とは」

 突拍子もない『人工島』に加え『超能力』ときた。今度こそ我慢できなかった英二は茶化すように言う。
 百歩譲って『人工島』は説明がつくとしても、『超能力』は信じがたかったのだ。

「あら、案外そうでもないのかもしれないわよ? 私は仕事でオカルトめいたものの調査をしたこともあるけど、科学だけでは確かに説明できないものがあった」
「いや、いい。多分僕には理解出来ないよ。僕が分かるのは世間話とちょっとしたレストラン、お酒くらいのものだ」
「へえ……レストランに、お酒、か」

 不自然に口の端が釣り上がったのに、英二はどこか挑戦的なものを向けられたように感じた。
 これでも仕事上の付き合いやアイドルの女の子の機嫌を取るために通り一遍以上の知識はあると自負しているつもりだ。
 それこそ有名どころから知る人ぞ知る隠れた名所だとか……
 思わず反論しかけて、話の路線が崩れていることに気付いた英二は「ともかく」と仕切り直す。

「連絡は取れると見て間違いないんだな?」
「上手くいけばね。運が悪かったら、諦めて遅れることを承知で分校跡を目指すしかないけど」

 ……結局は運次第、か。
 この島を設計した人物に天運を委ねる。何とも皮肉なものだと内心にため息をつき、ようやく見えてきた宿直室のプレートを指差し、「あそこだな」と二人に教える。

 宿直室は六畳一間の和室で、部屋の中には申し訳程度に置かれたちゃぶ台と形容していいほど小さい机と、湯飲みと電気ポット、それに安物の茶葉もあった。確か流し台もあっただろうか。そして部屋の隅にちょこんと少し古い型の電話が所在無く置かれていた。
 詳しく中を調べたわけではないので、覚えているのはここまでだ。
 リサが電話をかけている間、栞と共に部屋を物色し、使えるものは持っていくほうがいいだろうと算段をつけ、その旨を伝える。
 反対する必要性もないと判断したのか、栞もリサも二つ返事で了承してくれた。

「……そう言えば、リサ君は誰に電話を?」

 宿直室の扉を開ける際、何故今まで訊かなかったのかと自分で思うほどの、一番最初に訊くべきだった質問を投げかける。
 言ってなかったかしら、とリサも今思い出したかのような口振りで、しかし絶対の信頼を含めた声でその人物の名を告げる。

「柳川裕也。さっき言った『鬼』さんよ。しかも刑事」

 ……また、超能力か。
 頭の中身がまたぞろ冷えていくのを感じながら、ああ、そう言えば栞君が口に出していた名前だったな……とため息をついた。

     *     *     *

 分校は分校でも、これではまるで物置ではないか――
 FN・Five−Sevenを両手に、一つ一つ教室に踏み込む度、宗一はその認識を持たざるを得なかった。
 跡という割には、きちんと整理整頓された教室。新品のチョークや、カレンダー。
 おどろおどろしい外見とは裏腹に、そこは冷然と物が並ぶ倉庫に過ぎなかった。
 あれだけ怖がっていた渚や美凪も別の意味での不審を感じ取ったのか、釈然としない様子で教室の中身を調べている。
 加えてこれまでにもいくつかおかしい部分が指摘されてもいる。

「ここ、全然埃が積もっていません。とても年代物とは……」
「机にも落書きが全くないです。穴の一つだって空けられてない……それに、ガタガタしてませんし、塗装もきれい……」
「面白くない。地球人の作るお化け屋敷はいつもこんなものか」

 最後は指摘でもなんでもなかったが、とにかく全員がこの不自然な建物の異変を感じ取った。
 それもそうだろう。学校は、俺達が一番良く知っている場所で、日常なんだから。
 上手く物を敷き詰めても日常の匂いまでは演出出来ない。というよりは、その努力さえ怠っているようなものだ。
 ここだけがそうなのだろうか。いや、そうではあるまい。

「自然にやられたって風じゃない……シミ一つ付いてないたぁ随分と手入れが行き届いているんだな、ここは」

 窓に近づき、所々破れながらも全体は真っ白く清潔感漂うカーテンを手にしながら、宗一は吐き捨てるように言う。
 どうして今まで気付かなかったのか、と忸怩たる思いだった。
 殺し合いという状況の中で眼前の物事に対処するのに手一杯で、この島の位置がどうなっているのかなど考えもしなかった。
 辿ってみれば、道に立ち並ぶ木々はどれも似たようなものばかりでまるで箱庭。
 どこも綺麗の一言では片付かない新品同様の施設。

 間違いない。ここは『地図にない島』だ――

 鈍感に過ぎる。リサなら一晩と経たずにこの事実に気付いていただろう。それに比べて、今更気付いた自分のなんと不甲斐ないことか……
 乾いた笑いしか出てきそうになかったが、それよりもこれが事実なら、脱出の目処はつくのかと思考を巡らせにかかる。
 自分に失望するのは簡単だが、そこで止まり、思考を停止するのは愚かな行為だ。ルーシーの言葉を脳裏をに過ぎらせながら、宗一はあらゆる可能性について分析してみる。

 場所については、本物の沖木島のような場所にあるとは考えられない。
 もしそうならこの島から別の陸地が肉眼で目撃できるだろうし、何よりこの島で行われていることについて国が黙っちゃいない。
 無論国ぐるみでこの計画に加担しているとするならば話は別だが、それでも目撃者の一人も出さないというのは難しいだろう。
 今のこのご時勢、何処で誰が何を見ているかも分からないうえ、即座にネットワークで情報が拡散し、一日と経たずに世界に出回る時代だ。
 世界の誰もから完璧に隠し通せるわけもない。

 ……だが、実際は二日も経つというのにまるでこの島からは主催者の焦りというものが感じられない。
 放送は二度聞いただけだが、殺し合いを加速させるような煽りが見受けられない。
 優勝すれば何でも願いを叶える、とは言ったもののそれでは煽動としては不適格だ。やるとするならば、24時間以内に何人か死んでいなければ首輪を爆発させるだとか、確かな実感を認識させる方法を使う。
 随分とのんびりしている。こんな調子では、果たして終わるまでにどれほどの時間を消費するのか――

「おい、那須」

 思考を遮ったのは、少し苛立った様子のルーシーの声だった。
 んあ、と顔を上げた宗一の前には、女性陣が雁首を揃えて立っている。
 どうしたんだよ、と口を開く前にルーシーが続ける。

「他の場所を探さないのか。どうしたんだ、ぼーっとして。熱でもあるのか」

 ……そういえば、ここは狭い教室だった。
 特に収穫はなかったのだろう、渚と美凪も手持ち無沙汰な様子で宗一のことを見ている。
 考えるのはまた後か、とそれまでのことを脳の隅に押しやり、「考え事だ」と打ち切って教室の外に出る。

「しっかりしてくれないと困るぞ、リーダー」
「……リーダー?」

 確かに唯一の男性である宗一だが、リーダーと言うにはどうも納得のいかない部分がある。
 大体、皆を引っ張ったり鼓舞したりするのは皐月の役目で、俺は影からヒーローのピンチを助ける、裏ヒーロー的な役割であってだな……
 勝手にレッドに任命されたことに反対すべく、宗一はルーシーに向き直ってビシッ、と指差してやる。

「俺はブラック派なんだよ。孤独な戦士、ロンリーヒーローなのさ……」

 ふ、とニヒルに決めたつもりだったが、ルーシーはきょとんとした表情で「ブラック? コーヒーがどうした」と聞いてきた。

「おお、そうか。出番が全く無くて不遇をかこつ空気ということか。シロッ」

 聞き捨てならないと判断した宗一が最後まで言わせず、即座に言葉を返す。
 しかも何故コーヒーからそんな発想になるのか。あれか、俺は連れて行かれるのか。

「アホかお前は。ブラックと言ったら戦隊モノの定番に決まってるだろ! ほら聞いたことあるだろ、最近だとマジレッドとか」
「……? サンレッドなら知ってるぞ」

 ……ある意味、間違ってはいない。間違ってはいないのだが……
 どうやらこの調子では仮面ライダーもウルトラマンもにこにこぷんも知らないのだろう。勿体無い、勿体無いぞ……!
 サンレッドだけどうして知っているのかについてはこの際言及すまい。

「いいかねルー公。かつて日本にはゴレンジャーという由緒正しき五人かつ五色のヒーロー達がいてだな」
「それなら私も知っている。ニンジャが派手に爆発を背景にして怪人を轢き殺したりするやつだろう?」

 お前は特撮の知識がどこか間違っている。……嘘じゃないのは分かるけどさ。
 これ以上の議論は無駄だと判断した宗一が、「ともかく」と話を仕切りなおしにかかる。

「俺は影のヒーローのブラック。お前はすっとぼけた部分があるからイエローだ」
「むっ、私はグルメだが大食いじゃないぞ」

 だからなんでそんなことだけ知ってるんだよ。
 突っ込みの衝動を何とか抑えつつ、ぽつねんと話の流れについていけず、突っ立っていた渚と美凪にも役職を振り分ける。

「遠野は冷静なブルー。渚はピンクな」
「ええっ、わたし通りすがりの一般人さんだとばかり……」

 何故嫌そうな顔をする。おにーさん悲しい。
 オファーを断られたナスティPは悲嘆に暮れる気分になりかけたが、「これが俺達、セイギレンジャーだ」と締めくくって無理矢理流れを終わらせた。

「……せっかく決めポーズを考えていたのですが」

 美凪がしょんぼりとした様子だったが、宗一は無視を決め込む。
 美凪の場合一般のセンスとかけ離れたポーズを考案しそうだったからだ。荒ぶる何とかのポーズみたいに。
 そんな馬鹿げた会話をしつつ歩いたからか、思ったより早く次の部屋……職員室に辿り着いた。

 忘れてはならないが、自分達は脱出のため、生きて帰るためにこの忌々しい首輪を何とかできる(可能性のある)姫百合姉妹を探しているのであり、決してピクニックなどに来ているわけではない。
 その辺りは既に皆心得ているようで、Five−Sevenを片手にドアに張り付いた宗一を見る三人も一様に張り詰めた表情をしている。
 曲がりなりにも、それぞれが修羅場を掻い潜り、人の死を乗り越えて尚進もうとする連中だ。
 頼もしいな、と心中で呟き、ドアの取っ手に手を掛ける宗一の耳に、突然けたたましい音が飛び込んできた。

「っ、電話……?」

 罠だと思ったのも一瞬、ドアの向こうから断続的に響いてくる音は聞き慣れた電子音。
 そう、どこからかここにコールしてくる人物がいるのだ。
 電気が通じていることよりも、何故ここに、という疑問が宗一の中で生じる。
 電話をかけるということは、そこに誰かがいて、何らかの応答を期待してやっているということだ。
 見ず知らずの人間は敵になりやすいという状況で、何の考えもなしに見境無く電話するなど在り得ない。
 それにお互いが見えない電話での会話は虚々実々。騙し騙されるのが当たり前という状況だ、なのに何故?

 決まっている。知っている相手と連絡を取るためだ。
 例えば、何らかの原因で離れ離れにならざるを得ない状況に陥り――戦闘に巻き込まれただとか――その後、分校跡に集まろうと約束したが、距離上の関係からすぐには辿り着く事が出来ず、心配しているであろう相方を安心させるために連絡を取ってきた……そんな推測が立てられる。
 既に見知っている相手が電話に出るなら何も心配はいらない。怪しげな人間が出れば即座に切ればいいだけだし、機材もない以上は逆探知だとかの恐れもない。

 そして、これらから導き出せる事実は一つ。
 ここにはやはり、誰かがいる、もしくは集まる可能性が高い。それも、それなりに頭のキレる奴が。
 さて、問題は――

「どうするんですか、電話が鳴ってるみたいですけど……」

 判断を求めるように、渚が宗一を窺う。コール音は既に十回を超え、なお切ろうとする気配は見えない。
 かといって、こちらが出て相手が反応してくれるだろうか。
 自分達は完全に部外者だ。先に考えた『見知らぬ相手ならば即刻ガチャン』は大いに在り得るのだ。
 だからこうして『本来連絡を取り合うはずだった誰か』が電話に出てくれるのを期待して待っているのだが……残念なことに、その様子も感じられない。
 コール音の回数が二十を超える。留守番電話サービスにはならないようだ。良かった良かった。

 はぁい、こちら主催者。こちら主催者。クソ残念ですがあんたの待ち人来たらず永遠にお別れです。追悼のメッセージをどうぞ――

 ひょっとしたらそんな音声が聞こえていたかもしれないと思うと、悪態の一つでもつきたくなった宗一だった。
 しかし、本当に誰も出ない。そういう取り決めなのか、それともここに来るまでに命を落としたのか、はたまた本当に無闇矢鱈の電話なのか。
 三十回目のコール音。そろそろ我慢の限界に来て文字通りのプッツンになってもおかしくはない。

 どうする。無視するか、出てみるか。
 駆け引き然とした今の状況を、少なからず楽しんでいる自分がいることに気付き、悪い癖が直ってないと宗一は苦笑する。
 エディ、俺ってエージェントの生活にどっぷり浸かってきたんだな……
 全くだ、と呆れ果てた顔のエディが笑い、背中をドンと押すのが感じられた。
 行けヨ。オレッチがサポートするからナ。

「……そうだな。行こう。ビビってても話にならない。念のために皆は職員室に誰かいないか気配を探ってくれ」

 今の宗一を支えてくれるエディの……その役目を果たしてくれる仲間に背中を預け、宗一はドアを開けて職員室の中に飛び込んだ。
 日が落ちかけて色を消しつつある職員室を横切り、宗一は真っ直ぐに早く受話器を取ってくれとがなり立てている電話の元へと向かう。

「私となぎーで入り口と、もう一つの入り口を見る。古河は中を探れ。くれぐれも、油断はしないようにな」

 ルーシーが指示を出し、二人がそれぞれ「分かりました」と応じて散る。
 誰も気を抜いていない。いい兆候だと思いつつ、宗一は受話器を掴み、耳に当てる。

『……』

 もしかしたらと、宗一は自分から声をかけることはしなかったが、やはり相手はキレるらしく、無言のまま反応を窺っている。
 とはいえ、このまま無言を続けても損をするのはこちらだ。
 切られたらその時はその時だと見切りをつけ、「もしもし」と声を入れる。

『……』

 反応なし。だが、その間に驚きを含んだ気配が感じられたのを宗一は見逃さなかった。
 違う相手が出たという驚きではない。どうしてこの人が、とまるで予想を外れた応答だったことに対しての驚きだった。
 もう一つ、揺さぶりをかけてみることにする。もし自分の勘が外れていないのであれば、受話器の先の相手は二つに絞られる。

「残念ですが、天下のナスティボーイの留守番メッセージです。伝言をどうぞ」
『……地獄の目狐が、貴方に狙いをつけたわ。せいぜい気をつける事ね』
「こりゃご丁寧にどうも、リサ=ヴィクセンさん?」
『そちらこそ、那須宗一』

 ビンゴ。それも大当たりの部類だと、宗一は密かに拳を握り締めていた。

     *     *     *

 リサが予想外の好感触を示していた。
 那須宗一と告げられた人物。電話に出た相手は残念ながら柳川とは違ったようだが、リサの反応から察するに友人、それも頼れる人間なのだろうと栞は思った。

「取り合えず、味方が出てくれたみたいですね」
「らしいね。お目当ての相手ではなかったらしいが。……その宗一というのも、超能力だったりしてな」

 冗談交じりに言った英二に、あははと栞は苦笑いを返す。
 先の超能力云々に関しては、栞も信じてはいない。
 奇跡は、起こらないから奇跡……常日頃口癖にしている言葉を思い出し、超能力も同じようなものだと結論付ける。
 ともかく、繋がらなかったという最悪の事態に発展しなかったことにほっと一息つく。

「それで、そっちはどうしてそこに? ……あら、私を探してくれてたの? 私も捨てたものじゃないわね」

 どこか愉しげに那須宗一と話すリサの姿は、友人との他愛ない会話というよりは、ギャンブルでの駆け引きを楽しんでいるかのような雰囲気があった。
 大人の会話、と言えばいいのだろうか。英二と話すときにも同様のものがあった。それとも、元々がそういう性格なのか。
 分からないなあ、と思いつつ栞は視線を虚空に走らせて――

「皆様、いかがお過ごしでしょうか。大変心苦しい事とは存じ上げますが、どうか心を鎮めてお聞きください。――では、第三回目の放送を、開始致します」

 ピタッ、と会話の流れも、それまでにあったゆったりとした空気の流れも止まってしまい、静寂が立ち込める。
 栞も、もうこれを聞くのは三度目になる。
 一度目は友達の死を、二度目は実の姉の死を。三度目は――?

 漠然とした怒りと受け止めることしか出来ない己の不甲斐なさが同時に湧き上がり、しかしそれをどこにぶつけるべきなのかも分からず、臍を噛んでいる自分に辟易する。
 だが何よりも許せないのは、そのような思いを持ちながらも、人間の死を当たり前のように感じ、慣れきってしまっている部分を持ちかけた自分だった。
 元々、自分は病弱であるために人よりは死に近いところはあった。それどころか自らの命を軽んじている部分さえあった。
 だからだと言うのか。自分の命さえ軽んじるような人間が、他者の命を軽んじるのは当然。冷めた目で命を見ている自分は――

「……え、ゆう、いち、さん?」

 血が上り、迷走を始めた思考の中に飛び込んできた名前は、栞の中を空白にするには十分過ぎる重さがあった。
 三度目は、大切な友人。自分に死ぬことを思い留まらせ、世界に留まりたいと思わせてくれた人。
 そう、確かに自分の命でさえ、冷めた目で見つめていた。神様に見捨てられた不幸な存在なのだと信じ、挙句の果てに自殺して背中を見せ、目を背けようとして……
 最後の買い物で、月宮あゆと相沢祐一に出会った。
 じゃれ合い、笑い合う二人を見て、栞はかつて姉と、そんな記憶を紡いでいたことを思い出す。
 そんな時が自分にもあった。その光景が羨ましくて、懐かしくて……
 だから、踏み切れなかった。絶望し切れず、たたらを踏んでぺたんと座り込み、深遠の世界へと飛び込むことをしなかった。
 その時傷つけて未だ跡を残すカッターの傷跡が熱を帯び、そこから込み上げ、どうしようもないやるせなさとなって形を成してゆく。

「少年が、か……そう、か……」

 英二が、寂しそうに笑いながら落胆の表情を隠しもせずに俯いていた。

「英二、さん? それって、どういう……」

 言いかけた途中で、英二の視線がこちらに向き、すまなかったとでもいうように目を伏せる。
 途中で別れてきたという仲間。英二の向けた視線の意味。
 瞬時に事実を悟った栞の頭がカッと熱くなり、激情が全身から溢れ出てついに爆発した。

「どういう……事なんですか!」

 普段の栞ならば絶対に出さないだろう大声を張り上げ、英二の胸倉に掴みかかる。声に驚き、リサが絶句するほどに。

「……言っただろう。敵に襲われて、僕は敵を引き付けて逃げてきた。確かに祐一少年達は逃げおおせることが出来たはずだ。出来たはずだったんだ……!」

 言い訳という風ではなかった。だがそこにはどうしようもなかった運命の歯車に対しての諦めがあり、既に現実を受け入れ、平静であろうとする大人の表情が見えた。
 やり場のない怒り。また大切な友人を、看取ることも助けることも出来ずに聞くことしか出来ない己の無力。
 八つ当たりだというのを理解しながらも、留めておくにはあまりにも感情の波は膨大過ぎた。
 リサには決してぶつけられなかった憤怒の熱を、吐き出すように栞は叫ぶ。

「そんな、そんな一言で済ませられると思ってるんですか!
 祐一さんは、私の大切な人で、今の私は祐一さんがいなければここにはいなくて、
 でも結局、何も出来ずにこうやって聞くことだけしか出来ないなんて、そんなのないじゃないですか!
 どうして私の手の届かないところで、みんな死んじゃうんですか! あゆちゃんも、お姉ちゃんも、みんな……!
 言ったってしょうがないのは分かりますけど、でも、悔しくないんですか!?
 そうやって仕舞いこんで、誤魔化して慣れてしまって、それでいいんですか!? 私は、そんなの……!」

 嫌だと言い切ることは、栞には出来ない。栞もそうでありつつあるから。けれども、拒んで、抗う気持ちもまた、厳然として栞の中に存在していた。
 自分の命を軽んじるから、人の命だって軽んじるようになる。
 死に慣れてしまったから、これからの死にだって軽薄になってしまう。
 忘れてはならない命の重さ。それ自分は、どこかに置き去りにしているのではないか。
 そうなってしまうのが怖かった。

 自分は銃を手に取り、奪うための訓練をしている。覚悟だってした。
 それと同時に、無力さを悟り、どうしようもなくちっぽけだということも理解した。
 だが失いつつあるものがある。大切なものを失うたびに、忘れてしまっている。
 命の重さを忘れて、誰か守れるのか。誰かの役に立てるのか。
 好きなリサ、頭を撫でてくれた英二を助けられるのか。
 出来ない。今のままでは、絶対に出来ないと感じた栞は怖くなって、手放したくなくて、必死に手繰り寄せようと足掻く。

「僕は……受け入れることしか出来ない。残酷な事に……でも、栞君はそうじゃない。まだ怒れる。正しく、怒れるんだ」

 英二は調子を変えず、淡々と告げる。しかしその目は何か、希望を見出した目だった。

「何人か、僕の知り合いも死んだ。でもそれだけだ。僕はそれしか感じられなかった。それが僕という愚かな大人の姿だよ。だからこそ、それを刻み付けておくんだ。こんな馬鹿な大人になってたまるか、ってね」

 苦笑する英二。それは変わらぬ己に愛想を尽かし、諦めたというよりも、その姿を演じて見せ付けることが今の自分に課せられた仕事なのだと無言のうちに語る男の姿だった。
 ヘタクソです。英二さん、演技は、とっても下手――
 そんな感想を抱いた栞の口元は陰のない、微笑の形を浮かべていた。

     *     *     *

『……皐月も、死んでしまったみたいね』

 そうだなと応じた宗一の頭には、先程の少女の絶叫が繰り返されていた。
 内容もそうだったが、生の感情をありありとぶつける彼女の声が、ひどく印象に残った。
 横目で見てみれば、それぞれ複雑そうな顔はしているものの、特に誰も、何も喋ることはなかった。
 ……渚を、除いて。

 渚だけは深刻な表情で、しかし必死になって平静を保っているのがありありと見て取れる。
 その瞳からは、今にも涙が溢れ出しそうで……しかし、すんでのところで押し留めている。

 俺には、何もぶつけてはくれないのか。
 苛立ちよりも、寂しさが宗一の胸を突き上げる。
 受話器の向こうの少女のように、怒りをぶつけてくれたっていい。悲しんで泣き崩れたっていい。絶望に罵ってくれてもいい。
 だから、見せてくれよ……渚、お前の気持ちを。
 俺が、そっちに向かうから。

 静かな決意をして、宗一は受話器の向こうのリサへ意識を飛ばす。

「落ち着いたらこっちに来てくれ。こちらはこちらで少し離れたりもするかもしれないが、リサの約束の時間までには、必ず戻る」
『ええ』
「リサ」

 一つ、付け足しておこうと思った宗一は切ろうとする雰囲気になりつつあったリサを呼び止める。

「俺達は軍人……まあ、俺はエージェントだが……ともかく、俺達には矜持ってもんがある。これだけは絶対に譲れないって信念がな。それを忘れんなよ」
『……それじゃあ、また』

 変わらぬリサの声を最後に、電話は途絶える。
 そう、自分には譲れないものがある。
 渚。彼女だけは、俺が全てを投げ打ってでも守る。
 例えそれで、他の命を軽んじるような結果になったとしても。
 皐月、だからお前のために悲しめる暇は、今はないんだ。……悪い。
 胸中に軽い謝罪をして、宗一は湯浅皐月に関する思考を全て打ち消し、受話器を置いた。

 沖木島は、夜の帳が降りようとしていた。




【時間:二日目18:10頃】
【場所:F-3】

古河渚
【持ち物:おにぎりなど食料品(結構減った)、支給品一式×2(秋生と佳乃のもの)、S&W M29 4/6、ロープ(少し太め)、ツールセット、救急箱】
【状態:腹部打撲、ちょっと手が痛い、食事を摂った】
【目的:最優先目標は宗一を手伝う事】

那須宗一
【所持品:FN Five-SeveN(残弾数11/20)、防弾チョッキ、SPAS12ショットガン8/8発、スラッグ弾8発(SPAS12)、ほか水・食料以外の支給品一式】
【状態:腹部に軽度の打撲、食事を摂った】
【目的:渚を何が何でも守る。渚達と共に珊瑚を探し、脱出の計画を練る。可能ならリサと皐月も合流したい】

遠野美凪
【持ち物:包丁、予備マガジン×1(ワルサーP38)、包丁、防弾性割烹着&頭巾、支給品一式、お米券数十枚、色々書かれたメモ用紙とCD(ハッキング用)、ノートパソコン】
【状態:強く生きることを決意、食事を摂った。お米最高】
【目的:るーさん達と行動を共にし、珊瑚を探す。ハッキングを絶対に成功させる】

ルーシー・マリア・ミソラ
【所持品:IMI マイクロUZI 残弾数(30/30)・予備カートリッジ(30発入×5)、支給品一式×2】
【状態:生き残ることを決意、食事を摂った。渚におにぎりもらってちょっと嬉しい】
【目的:なぎー達と行動を共にし、たこ焼き友だちを探す。なぎーを手伝う】

【時間:2日目午後18時10分頃】
【場所:I-10 琴ヶ崎灯台内部】

リサ=ヴィクセン
【所持品:鉄芯入りウッドトンファー、支給品一式】
【状態:宗一の言葉に従い分校跡に移動。栞に対して仲間以上の感情を抱いている】

美坂栞
【所持品:M4カービン(残弾30、予備マガジン×4)、支給品一式】
【状態:やや健康。リサから射撃を教わった(まだ素人同然だが、狙撃の才能があるかもしれない)。リサに対して仲間以上の感情を抱いている】

緒方英二
【持ち物:ベレッタM92(15/15)・予備弾倉(15発)・支給品一式】
【状態:健康。首輪の解除、もしくは主催者の情報を集める。リサたちに同行。『大人』として最後まで行動する】
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