****** ―――撲るかね。引き裂くかね。あたしたちを――― ―――全開の……鬼の力、見せてあげられるよ――― ―――俺の運命を……返してくれよ――― ―――どうか、あなたの行く先が美しくありますように――― ―――貴様のような輩が國を惑わす――― ―――私は下がらない。下がっちゃいけないんだ。それは――― ―――それが私たちの流儀、ですから。 ****** 声が聞こえる。 それは、私を誘う死人の聲と、 世界に抗う、生者の叫びだ。 *** 人を愚鈍と思ったことはない。 人より優れていると思ったこともない。 ただ、私は私であるだけで、私以外の誰かとは、そう、違うのだと、理解していたに過ぎない。 頭脳ではない。身体能力ではない。才能ではない。素質ではない。 そんなものなどでは、決してない。 ただ、違うという意思だけが、違う。 私は、違うのだ。 誰でもない、私だけが、違うのだ。 それは歴然とした事実であって、そうしてそれだけのことだ。 それは誰しもが持っていたはずの、矜持だ。 かつて誰もが抱いていたはずの、鋭く、荒々しく、美しいものだ。 多く世にある、そういうものはしかし、いつの間にか消えていく。 誰かがそれを思い込みと呼んだ。 誰かがそれを勘違いと蔑んだ。 誰かがそれを、取るに足りぬものと斬って捨てた。 その全部が、世界に負けた者たちの、断末魔だ。 何かに敗れ、何かに屈し、そうしてそれを認めた者たちの、末期の聲だ。 それはつまり、自分から生きることをやめたという意味で。 だからこの世には、死人が溢れている。 死人は生者が妬ましく、負けた己が悔しくて、生きる者に囁くのだ。 死んでしまえ、生きるのをやめてしまえ、お前は我らと同じなのだ、と。 低きに流れよと命じる、それは誘惑だ。 従えば楽で、しかし屈すれば二度と戻れず、この世はだからもう、 生きることをやめた死人たちの闊歩する、彼岸でしかない。 彼岸に生まれた私は、だから生きているというだけで、違うのだ。 死んでいくものたちの中で、私は一人、生きている。 それを誇る気はない。 私はただ、彼らの醜さを憎悪しているに過ぎなかった。 世界を殺して己を貫くとき、人は美しい。 故に孤独、しかしそれをこそ、生と。 私が望む私。 私だけが望む私。 私の他の誰もが、望まぬ私。 死者の聲に耳を傾ける必要が、何処にある? *** 私はただ、私に命じる。 美しく、あれ。 ****** 神塚山の頂には、死が満ちている。 骸は、もうない。 赤くでろりとした何かに変じて融け合って、今はもう、どこにも転がっていない。 それでも、その山の頂に満ちるのは、紛れもない死の色と、臭いだった。 命から流れ出た黒に近い赤褐色が、山頂を染めている。 照りつける陽光にも乾ききることなく池となり、沼となったそれが、そこかしこに顔を覗かせていた。 そんな、誰のものとも知れぬ血だまりの中。 ぼこり、ぼこりとあぶくを立てるものがある。 泥に汚れて真っ黒で、脂の白と肉の桃色とが混じり合い、それはひどく、無様だった。 どくり、どくりとあぶくが弾ける。 弾けて飛んで辺りを汚して、しかしあぶくは止まらない。 どくん、どくんとあぶくが揺れる。 どくん、どくんとあぶくが割れる。 どくん、どくんと脈打つように。 どくん、どくんと無様を曝す。 その、襤褸切れのような肉の塊が、かつて来栖川綾香と呼ばれていた女の、成れの果てである。 【時間:2日目 AM11:40】 【場所:F−5 神塚山山頂】 来栖川綾香 【所持品:なし】 【状態:???(全身裂傷、骨折多数、筋断裂多数、多臓器不全、出血多量)】 - BACK