新たなる時代の扉





 モニタの明かりのみが人の輪郭を映し出す、アンダーグラウンドと表現するに相応しい部屋。
 決して目には良くないと言える状況で、しかしまるでそんなことを意に介せずゆったりと寛いでいる男が一人いた。

 デイビッド・サリンジャー。
 かつて彼はドイツにあるメイドロボメーカーに勤めるプログラマーであった。
 彼の目の前で黙々と作業を続ける修道女……アハトノインのメインプログラムを設計した人物でもあり、そこに改竄をも加えた男。

 ロボット三原則、というものがある。

 第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
 第二条 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
 第三条 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。

 それらは原則として、いかなるロボットのベースシステムにも用いられ、決して手を施せないようにコーティングされている。
 兵器として運用されたり、テロ行為に使われたりなど、人に危害を及ぼさないように。
 また一方でそれは日々進化を続け、人の感情に近いものを持つとまで言われるようになったロボットのAIが守りうる『人権』でもあった。

 通常ロボット……特に、メイドロボなどの人型かつ人工知能を搭載したものは企業に発注する際、使用する部品から組み込むプログラムまで全ての仕様書を国家権力に準ずる確認機関に提出し、承諾を貰わなければ部品及びOSなどは発注できないようにされている。
 即ち、国家というフィルターを通し、その安全性やロボットの『人権』が確保されなければロボットを生産するのは不可能なのである。

 仮に極秘で部品などの生産を独自に行い、外観だけはそれなりのものができたとしても、人工知能を伴って動かすことは出来ない。
 何故ならロボットのOSの、ベースシステムにはロボット三原則と共に行動アルゴリズムや学習能力などのロボットがらしく行動するためのシステムも同時に搭載しており、これを独力で開発するなどというのはほぼ不可能な領域であったからだ。
 プロテクト自体も厳重であり、これを解除するのは世界中にどんなハッカーがいようとも無理なはずであった。

 ――篁財閥という、国家にも比類するような絶大な権力を持つ企業が現れるまでは。
 どのような手段を使ったのかは分からぬが、篁財閥は明らかに戦闘目的と思われる部品をメイドロボに組み込み、ロボット三原則を無視する……『人間を殺害出来る』プログラムを組み込んだ発注をサリンジャーの勤める企業へと出したのである。
 サリンジャーのいたチームはプログラムの設計の……人間を殺害するプログラムを担当することとなった。

 とはいえ、一から設計するのではなく、そこにある改竄を加えて今までのロボットとはまるで別のものに仕立て上げることが主な仕事だった。
 その改竄とは、特定の人物以外の人間全てを『悪魔』として認識させ、人間を人間として見させないという全く新しい発想であった。
 このときの改竄はほぼサリンジャー個人の実力に拠るものが多かった。
 確かにその方法ならばロボットに人間を殺害させることも可能なのだろうが、肝心のプログラムの設計が非常に困難であったのだ。
 プログラマーの殆どが頭を抱える中、作業を進められたのはサリンジャーただ一人だった。
 必然的に彼はチームのリーダー的な存在となり、彼なしではプログラムの開発は行えない状況になっていた。

 そんなとき、サリンジャーの元にある人物からの招待状が届いた。
 篁財閥総帥、篁その人から。
 当初はサリンジャーも目を疑った。
 確かに篁財閥は例のロボットの発注を行ったクライアントだが、だからといってその総帥が自らサリンジャーのような一人のプログラマーに会おうとするだろうか? 不審に思いながらも、彼は篁との対面を果たした。

「君があのプログラムの実質的な開発者だということは聞き及んだよ。どうだ、私に仕えてみぬか?」

 会ったときに篁が発した第一声がそれだった。
 聞けば、あの発注はサリンジャーのところだけでなく手が届く限りの場所全てに出したのだというが、結局まともに開発が行えていたのがサリンジャーの勤めるメーカーだけだったという。

「君は天才だ。その才能を私が高く買ってやろう。どうだ、世界を手にしたいとは思わんかね」

 とても老齢とは思えぬ男の口から発せられた誘惑の言葉に、サリンジャーは抗う術を持たなかった。
 あの企業での待遇も気に入らなかったし、何より……世界を手にするという篁の自信ありげな様子に興味を持った。
 篁の持つ野心のようなものに、中てられるようにしてサリンジャーも野心を燃やしたのである。

 結局、サリンジャーは篁直属の部下となって引き続きチームを編成してプログラムの開発を続行。
 彼が勤めていたメーカーは篁が秘密裏に『処分』した。表向きは企業の倒産ということにして。無論そこにいた人物達の生死は、言うまでもない。
 開発に失敗していた他のメーカーも、事実隠蔽のためにその全てが処分されたという。もっとも、サリンジャーは赤の他人のことなど気にかけている暇はなかったが。

 開発も終盤に進み、いよいよ試作品が稼動しようかという時期に、篁が新しく命令を下してきた。
 それは新しく開発したとある施設にアハトノインを運び込め、というもの。
 サリンジャー自身もその施設に来いという命令であった。
 詳しい内容までは聞かされていなかったので、また総帥お得意のショーか、という軽い気持ちでサリンジャーは足を運んだ。

「バトルロワイアル……ですか?」
「そうだ。貴様は初めてだろうが、まぁ気にすることはない。安全な位置で見ているだけでいい。喜べ、貴様は総帥に招待された客人なのだからな」
「……どうも、そのようには見えないのですがね。何やら、物騒なものを運び込んでいるようですし」
「何、万が一のためと、我々の計画のためだ。コレを使うような事態には、さらさらならんだろうよ」

 そう言っていたのは、篁の側近であり『狂犬』とのあだ名を持つ醍醐。
 計画の内容とやらはやはり詳しくは聞かされなかったものの、人の持つ可能性と奇跡……その実験のためであるらしいことだけは分かった。
 サリンジャーはそのようなものを信じるような人間ではなかったので与太話だと笑ったが、どうやら篁は本気であるようだった。
 曰く、人の想い、その奇跡こそが新たなる時代への扉を開くのだ、と。

「しかし、総帥。お言葉ですが……その幻想世界……いえ、根の国に我々が世界を手にできるものがある……と? どうも私には信じがたいのですが」
「フフフ……まあ、無理からぬことだ。しかし、理論自体は既に証明されているのだよ。世界は、存外身近なものかも知れぬぞ?」
「……ハーバー・サンプルなど作り話に過ぎません。第一、今はそれだって行方不明ではないですか。新たな世界に資源を求めるというのは……」
「ならば、お前にも好きなことをさせてやろう。お前にとてプランはあるのだろう? 己が権力を手にするプランを……な」

 サリンジャーは心のうちを見透かされているような気分になった。
 確かに、より自分の地位を高めようと心の奥で画策していることはある。しかしそれは誰にも口外したことはないはずで、サリンジャー一人だけが仕舞いこんでいたものであるはずだった。
 篁という、この得体の知れぬ老人の底知れぬ雰囲気に怖気を感じた瞬間でもあった。

 とはいえ、折角篁がくれた機会を逃すわけはなかった。サリンジャーが申し出た事項は意外とあっけなく承諾された。
 篁の心の内は正直、読めないけれどもここまでの大企業に一代でのし上げた人物だ。何も考えていない……というわけではないには違いなかった。
 とにかく、サリンジャーのみを『高天原』内に残し、醍醐と篁は参加者の実力を測る……という名目で参加者に扮し、会場へと出て行くことになった。
 よもや、そのまま二人ともがあっさりと死んでしまうことになろうとは流石のサリンジャーでも予想は出来なかったが。

 残されたサリンジャーに与えられた命令は二つ。
 バトル・ロワイアルの遂行と、会場内に残した青い宝石に『想い』を溜め込むこと。

 が、正直な話サリンジャーには後者の命令はどうでもよかった。
 オカルト的なモノは信じない理系肌の人間であったし、仮に任務を遂行したとして、そこより先へ進む方法など分からぬ。
 恐らくはその方法まで知っていた篁総帥は、語る前に逝ってしまったのだから。
 故に、彼は彼の欲望を満たすための行動を始めた。

 サリンジャーが篁に申し出た事項……
 それは、人類史上初となるであろう、戦闘を目的としたロボット……アハトノインの実戦訓練。
 身体能力的にはあらゆる動物を陵駕する実力がどれほどあったとしても、戦闘データがなければ新兵と何ら変わらぬ。
 そこでサリンジャーは鬼・不可視の能力者・毒電波・他諸々の実力者がある程度揃っているこの会場で、参加者を相手に実戦させることにした。
 本来なら正規の軍隊を相手にしたかったが、それは到底実現不可能なことだったし、何よりアハトノインの存在は未だ極秘であり、誰にも知られてはならなかった。

 『神の軍隊』を世界に披露する、その時までは。
 ここ沖木島に運び込んだアハトノインはまだ数が少なく、データを管理している作業用アハトノインを除けば戦闘用は数体ほどしか使えなかった。
 数が少ないのは単に生産が遅れているだけで、本来ならば万全を期すために百体前後は欲しかったとサリンジャーは考えていたが、一般人が大半を占めるこの殺し合いでアハトノインが負けることはまずありえないことであるし、既に鬼の一族である柏木家の人間はほぼ全滅、不可視の能力者も殺されている。
 残りの参加者がどう立ち向かおうが、(戦闘データがないとはいえ)アハトノインには勝てるわけがないのである。

 さらに念を入れてここに滞在している間何回か戦闘シミュレーションさせて、机上とはいえ戦闘データも積ませた。
 このうえ参加者には首輪の爆弾まである。参加者側がサリンジャーの元に辿り着くなど全くありえない話である。

「いや……気にしすぎですね。はは、世界の支配者にこれからなるというのに、私も臆病なものだ」

 参加者が攻め込んでくる要素があるか考えていた自分に気付き、サリンジャーは半ば吐き捨てるように笑う。
 それよりも、いつアハトノイン達を会場に放り込むか。そのことに思考を移す。
 そろそろ参加者も減って、積極的に殺し合いに参加している連中が煩わしくなってきた。
 散発的に戦闘は起こっているので何人かは死ぬだろう。出来れば、余程実力のある者以外は死んで欲しい。
 雑魚を相手に戦ってもアハトノインの経験にはなり得ないのだから。

「いや、何も今回に拘る必要もないじゃないですか」

 よく考えれば、一回でデータを収集する必要性はない。何回か繰り返し戦ってデータを集めればいいのだ。
 バトル・ロワイアルは今回が初めてではないらしいのだから。
 また次回、その時に彼女達を戦わせればいい。何せ、今の篁財閥の総帥は実質、自分なのだ。

 篁財閥において篁総帥その人の顔を見た人間は限られている。
 自社の重役でさえ、篁と会ったことのある人間は一人としていない。
 面識があるのは、醍醐とサリンジャー、リサ=ヴィクセンのみ。
 残るヴィクセンも参加者として放り込まれている以上、見捨てられたと見るのが正しい。面識はほとんどなかったが、ヘマでもやらかしたのだろう。

 とにかく、篁の正体を知るのがサリンジャーだけである現状を見て、彼は更に大きな野心を抱いた。
 自らが『篁』となり、世界で一番の権力を手にするという、あまりにも大きな野望を。
 『高天原』『神の軍隊』『篁財閥』……これだけあれば、世界を相手に戦えるとサリンジャーは思ったのだ。
 バトル・ロワイアルはその進水式であり、偉大なる第一歩。

 そして、計画も着々と、順調に進んでいる。何も問題はない。後は、アレの調整が終われば……

「報告します」

 考えに耽るサリンジャーの後ろで、事務的な声が聞こえた。
 噂をすれば、か? とサリンジャーは心中で一人ごち、「なんだ」と声だけで応じる。

「Mk43L/eの接続調整が完了致しました。レールキャノンについてですが、そちらはまだ充電が完了しておりませんので、残り12時間前後かかるかと思われます」
「動かせるんだな?」
「はい、自走だけならば問題なく行えます」
「くっくっくっ……よし、下がっていいぞ。進展があればまた報告しろ」
「はい、失礼します」

 盤面は既に最終段階に入っていた。
 足音を残して去っていくアハトノインの余韻を感じながら、サリンジャーは世界が自分の手の届く範囲まで来ている、と確信する。
 『神の国』まではもうすぐだった。
 何もかもが順調。これが王の力か。

「くくく……はははは、あーっはっはっはっ!」

 全てが思い通りになっていく。その快感に酔いしれるがままに、サリンジャーは笑い続けていた。




【場所:高天原内部】
【時間:二日目午後:19:00】

デイビッド・サリンジャー
【状態:殺し合いの様子を眺めている。頃合いを見てアハトノイン達を会場に送り込む】
【その他:Mk43L/e(シオマネキ)が稼動できるようになった】
-


BACK