終わるのだ、と。 ようやく終わるのだと、誰もが思った。 巨人の身体が崩れ、それを構成していた無数の砧夕霧へと戻っていく。 ばらばらと落ち、あらぬ方を眺めてぼんやりと佇むその群れは既に、兵器としての脅威を失っている。 少女たちの中枢体をその腕に抱えた坂神蝉丸が、 その傍らで長い銀髪を風に靡かせる光岡悟が、 大きく息をついて薙刀を地面に突き刺した天沢郁未が、 乾いた血のこびり付いた髪を梳こうとして眉を顰める鹿沼葉子が、 長い戦いの終わりを感じていた。 この先に新たな命のやり取りが待っていようとも、一つの戦いには幕が下りたのだと。 山頂一帯を銀世界へと一変させた白の巨獣までもが、流れる沈黙に何らかの意味を感じ取ったのか、 真紅の目を光らせながら低い唸りを上げるのみだった。 一つの戦いが終わった。 誰もが、そう思った。 たった一人を、除いて。 「―――クク、ハハハ―――」 響いたのは、笑い声だった。 *** おかしくて堪らぬとでもいうような哄笑。 愚かしくて堪らぬとでもいうような嘲笑。 悪意を媒介にしてその二つを練り合わせたような、それは声音であった。 「……何を笑う、長瀬源五郎」 「これが笑わずにいられるかね、坂神脱走兵」 ぐずぐずと澱みに浮かぶあぶくのような笑みを零していたのは長瀬源五郎である。 崩れ落ちた砧夕霧の群れの中、立ち尽くす姿に上衣は纏っていない。 日輪の下に曝け出された青白い半裸の胸に埋め込まれているのは二つの顔。 断末魔の表情を浮かべたHMX-17b・ミルファ、同17c・シルファと呼ばれていた少女たちの口からは 吐瀉物の如く無数のケーブルが伸び、その大部分は断裂してだらしなく地面に垂れ落ちていたが、 残った一部が長瀬の身体に巻きついている。 蝉丸の一刀による傷を縫い合わせるように乱雑に巻かれたケーブルの隙間からは、 しかし紛れもない鮮血が溢れ出していた。 どくり、どくりと鼓動に合わせるように噴き出す血の量は、いずれその命脈が長くはないことを 如実に表している。 にもかかわらず、長瀬源五郎は笑っていた。 眼前の光景が喩えようもない喜劇であるとでもいうかのように、嗤っていたのである。 「諸君はこう考えているのかな。……この神塚山山頂における砧夕霧を巡る戦闘は終結したと。 狂える科学者の愚かな暴走は勇士達の活躍によって潰えたのだと。 長瀬源五郎の命運はここに尽きたのだと、そんな風に考えているのかと思ったら、ね。 実に、実におかしいじゃないか、それは」 言いかけて、また笑う。 身を捩って、鮮血を噴き出しながら、青白い顔で笑う。 吹きぬける風をねっとりと犯すかのような狂笑はひとしきり続くと、唐突にやんだ。 「……時間切れだよ、諸君」 にたりと口の端を上げて呟かれた言葉と、ほぼ同時。 その細い肉体に飛び掛かる影があった。 劫、と吼え猛る白い巨躯は森の王の名を持つ獣である。 長広舌と癇に障る笑い声に業を煮やしたか、長瀬の痩せぎすの身体をへし折らんと 繰り出された真紅の爪が、 「―――ッ!?」 連続した硬い音と共に、弾かれた。 爪をかち上げられてバランスを崩した巨躯が空中で身を捩り、どうと着地する。 薄黄色い唾液で汚した牙の間から怒りの声を漏らした巨獣が、怒りの矛先を 愚かな闖入者へと向けるべく、ぎらつく真紅の瞳で振り返る。 その燃えるような視線の先にあったのは、銀色に輝く光の塔。 そして、それを背にした細身の影である。 「……解析が完了しました」 声が響く。 この場の誰のものでもない、女の声。 銀色の塔を背にする影の発した、声であった。 女はその手に細長い何かを持っている。 先端から微かに陽炎を立ち昇らせるそれは、一般的にサブマシンガンと呼ばれる銃器である。 それを見た坂神蝉丸が眉根を寄せ、光岡悟が鞘に収めた一刀の鯉口を切った。 天沢郁未が薙刀を引き抜き、鹿沼葉子が鉈を手に面白くもなさそうに鼻を鳴らす。 「―――データリンクを開始します」 全体、何時からそこにいたのだろうか。 或いは誰にも気付かれることなく、遥か以前からその身を銀の塔の陰に潜ませていたのかも知れぬ。 すべての視線を一身に集めてなお表情一つ動かさず言葉を続ける女の足元に、小さな姿がある。 肉と骨とをところどころに露出させたそれは、一見して無惨な骸のようであった。 倒れ伏したままぴくりとも動かないその骸の如き姿が、もしも女を見上げることができたなら、 大きな驚きと、そして小さな安堵をもって彼女をこう呼んだだろう。 ―――セリオ、と。 *** 「……解析が完了しました。データリンクを開始します」 無機質なその声に、情動は感じられない。 来栖川綾香と呼ばれていた骸と見紛う血肉の塊は、まだ生命活動を途絶えさせてはいない。 しかし、閉じられて動かぬその瞳が短機関銃を構える女を見上げることは、遂になかった。 綾香の忠実な機械仕掛けの従者であったはずの女、HMX-13・セリオは、しかしその足元で 血だまりの中に倒れ伏す主には一顧だにくれず、まるで感情と呼ぶに値する温もりのすべてを どこかに捨ててきたかのように淡々と言葉を紡ぐ。 と、その細身の影へ、巨獣が跳ねた。 白い巨体から苛立ちを露わにした野生の咆哮が轟く。 風を裂くような突進を、セリオは文字通りの無表情で迎撃。 巨獣の質量を受け止めるべくもない細身の機械人形が選んだ手段は、驚愕に値するものであった。 足元に倒れる主、来栖川綾香の身体を、眉筋一つ動かさずに蹴り上げたのである。 綾香の身体が、巨獣の眼前へと飛ぶ。 視界を塞ぐ遮蔽物を、巨獣が真紅の爪で小蝿を追い払うかのような仕草で薙ぎ払った。 ごきゅり、と奇妙な音と共に綾香の身体が捻じ曲がり、そのまま宙を舞って落ちた。 二度、三度と転がり、誰のものとも知れぬ血だまりに入って飛沫を上げた、その襤褸雑巾の如き姿には 最早、誰も注意を払っていない。 邪魔者を叩き落した巨獣が空中で更に爪を振り上げたその瞬間には、既にセリオの姿はない。 身を屈めたその姿は一瞬の隙に飛び来る巨獣の真下へと潜り込んでいる。 闘牛士が観客に披露するような、紙一重の回避。 勢い余った巨獣が、止まりきれずにセリオの背後に聳える銀色の塔に突っ込んだ。 それは、この山頂で行われた一連の戦闘を通して誰にも見向きもされなかった、奇妙なオブジェである。 人の背丈ほどの大きさの、それは地面に突き刺さった銀色の、優美な曲線を描く塔。 獣の巨躯にぐらりと揺れた塔はしかし、よく見ればその表面には傷一つついていない。 同時、巨獣の腹に押し付けられた機関銃が、火を噴いた。 「あれは、……黒い機体の……腕、か……?」 その銃声にかき消されるように小さく呟きを漏らしたのは、流れ弾を嫌って飛びのいた蝉丸である。 照りつける日輪を反射して燦然と輝く銀色の塔が、元は何であったのかを知っていた、 この場で唯一の人物が坂神蝉丸であった。 記憶は鮮明。それは蝉丸自身と久瀬少年とが夕霧を率いていた、ほんの数十分前の出来事である。 山頂に繰り広げられた殺戮の担い手、砧夕霧の巨大融合体。 長瀬源蔵と古河秋生を葬ったその融合体を完膚なきまでに破壊してみせたのが、黒翼の巨神像であった。 間もなく飛来したもう一体の巨神像、白い機体とのおよそこの世のものとは思えぬ戦闘は、 この神塚山頂において一つの決着をみた。 白の巨神像の放った光が、黒の巨神像の右腕を灼き、落としたのである。 黒白の巨神像は直後に飛び去ったが、落ちた腕はこの山頂に残されたままだった。 その腕こそが銀色の塔の正体であると、蝉丸はようやくにして理解したのである。 「黒い機体、だと……? まさか……」 「その通りだよ、光岡君」 俄かに表情を険しくした光岡の疑問に答えたのは蝉丸ではなく、長瀬源五郎である。 大仰に両手を広げ、ごぼごぼと溢れる血に塗れたまま、にたにたと笑っている。 銃声と咆哮とが満ち始めた山頂に、長瀬の独り言じみた呟きが漏れる。 「神機―――アヴ・カミュ。我が国の決戦兵器にしてオーパーツ。不可侵の禁忌にして超科学の結晶。 製造年代も、製法も、その目的すら分からない、意思もて眠る黒翼の少女。 目覚めた途端に空の彼方へ飛び出したのには辟易するが……何ほどのこともない。 それ、そうして一部は私の手元に残された。それで充分さ。 ……いや、こうなるとむしろ本体がいないのが好都合とすら言えるかな」 ぶつぶつと呟かれるその言葉は、既に誰に向けられているとも知れぬ。 血液の喪失で遂に姿勢をすら保てなくなってきたか、ゆらゆらと揺れながら掠れた声で 意味の分からぬことを呟く姿は紛れもない狂人のそれであると蝉丸たちの目には映っていた。 蝋人形の如き顔色の狂人が、ずるりと顔を上げ、口の端を歪ませる。 「イルファ、フルバーストだ。データ転送の時間を稼ぎなさい」 その声は、巨獣と相対し牽制と回避を繰り返す女、セリオへと向けられていた。 イルファと呼ばれたHMX-13であるはずの機械人形は正面の巨獣から視線を動かすことなく、 しかしその表情を、明らかに変えた。 彼女を知る者が見れば、一様に驚愕の色を浮かべたに違いない。 それはセリオと呼ばれていた機体が、ロールアウトの瞬間から通しても一度も浮かべたことのない表情だった。 長瀬にイルファと呼ばれたHMX-13は、まるで親に褒められた幼子の如く、朗らかに笑ったのである。 セリオの腹部に埋め込まれ、演算能力を並列処理していたはずのイルファが、いつの間に その本体たるセリオの身体制御を奪い取ったのか、それは杳として知れぬ。 しかし巨獣の眼前に立つ機械人形は既に、HMX-13の姿をしているだけのHMX-17a、イルファに他ならなかった。 頬を染めて嬉しそうに笑む表情に、セリオとしての意思が存在しないことは瞭然であった。 がちり、と。 かつてセリオであり、いまやイルファとなった機械人形の身体から金属的な音がした。 人工皮膚で覆われた腕や脚に幾つものスリットが入ると、そこから無数の突起が顔を覗かせる。 それぞれに銃口を備え、それぞれに照準を持った、そのすべてが必殺の弾丸を放つ火器類。 来栖川重工副社長、来栖川綾香の誇るそれは秘書兼戦闘サポート用メイドロボ、HMX-13セリオの全兵装。 軽重無数の火器が、同時に火を噴いた。 数百の弾丸が奏でる音は最早爆音に近い。 一面の銀世界が、文字通りの弾幕によって見る間に削り取られていく。 正面、近接戦闘を仕掛けた巨獣が、弾幕の密度にその巨躯を圧され、飛ぶ。 退く動きに合わせて機械人形の照準が移動し、空中の巨獣を捉えた。 巨獣の剛毛は恐るべきことに鋼鉄の弾丸の悉くを噛み捉え、一発たりとも貫き通すことを許さなかったが、 音速を遥かに超過する嵐の直撃は貫通ではなく打撃として巨獣を叩く。 濠、と吼えた巨獣が、弾幕に流されるように大地に落ちる。 同時、動く影は複数。 機械人形の照準は巨獣にのみ向けられていたわけではない。 全方位に向けて放たれた弾丸は、神塚山の山頂に残るあらゆる生命に等しく脅威を与えていた。 無数の砧夕霧がその胸を、頭部を、腕を足を蜂の巣にされて、ぐずぐずと崩れ落ちる。 氷柱に封じ込められたままの夕霧たちもその原型を留めぬまでに破壊されていく。 しかし、ただ漫然と的になることを肯んじぬ者達もまた、存在した。 「この程度ならっ!」 「……わざわざ受けに行くことはないでしょう」 不可視の力を展開する天沢郁未を、鹿沼葉子が呆れたように見やる。 葉子自身は常に弾幕の薄い方向へと遷移しつつ、機械人形から遠ざかる機動。 飛び交う弾丸は二人の力に弾かれ、ベクトルを逸らされて明後日の方向へと飛んでいく。 「来栖川の従者が……どういうことだ?」 不審げに眉根を寄せたのは蝉丸である。 腕の中に夕霧の中枢体を抱いたまま、土嚢の如く積み上げられた骸で作られた遮蔽物の陰に身を潜めている。 人体で構成された壁は、通常の弾丸であればそう簡単には貫通されない。 まして巨獣の吐息によって凍りついたそれは、更に強度を増加させている。 むっと立ち込める死臭と鉄の味のする空気を平然と吸い込んで、蝉丸は静かに機を窺っていた。 「……時間を稼げ、とはな」 不快げに吐き捨てたのは光岡悟。 迅雷の如き疾駆で的を絞らせず、一瞬で状況を判断する眼と頭脳は次なる遮蔽物への移動を躊躇わない。 身を掠る程度の傷は仙命樹の力が瞬く間に癒してくれる。 弾幕に頭を抑えられながらの前進という状況は、正しく強化兵たる彼の本領であった。 光岡が目指すのは、しかし弾幕の中心たる機械人形ではない。 「何を企んでいるかは知らんが……」 最後の遮蔽物から、飛び出す。 機械人形の射線が捉えるのは疾走する光岡の影のみ。 手の一刀が閃き、 「……貴様の思う通りになど、させるものか!」 無防備な長瀬源五郎を断ち割らんと振り下ろされた。 がつり、と。 響いたのは、硬い音である。 長瀬の身体を取り巻くケーブルが、白刃を噛み、そして切り落とされた音であったか。 ―――否。 光岡悟の愛刀は、ケーブルの隙間を正確に縫って、長瀬源五郎の身に届いていた。 しかし。 「な、貴様……!?」 その切っ先は、長瀬の身体を貫けない。 ほんの少し前、蝉丸の一刀によって容易く斬られたはずの長瀬の生身は、光岡の刃を何の変化もなく、 平然と受け止めていたのである。 強化兵たる光岡の膂力は常人のそれとは比較にならぬ。 その振るう一刀とて跋扈の剣と呼ばれる大業物の一振り。 集中如何では鋼鉄とて斬り割ると、自負していた。 それが、通らぬ。 何らの変哲もないと見える長瀬源五郎の青白い肌に、傷一つ付けられぬ。 驚愕する光岡の耳朶を、ふるふると震える耳障りな声が、打った。 「……流れ込んで、くるんだ」 言わずと知れた、長瀬源五郎の声。 しかしその声音は、先程までの狂人じみたそれではない。 「流れ込んでくるんだよ、……構造が。原理が、素材が精製法が、すべてが私の中に!」 ある種の歓喜と、そして感嘆に打ち震える、声。 人生で最高の演奏を終えた楽団の指揮者のような、或いは高峰に初登頂を果たした登山家のような、 新記録を打ち立てて表彰台の高みに上ったアスリートのような、万雷の拍手を受ける俳優のような、 或いは、長い祈りの果てに神託を受けた修道僧のような、声。 「私は……私は今ようやく、世界の一番先へ来た。 最早……私を傷つけられるものなど、この世に存在しないのだよ、君」 それは正しく、勝利者の声であった。 白刃をその身で受け止めたままの姿勢で、長瀬は目線だけを光岡へと向ける。 何か尋常ならざるものをその奥底に感じ取り、総毛立つ光岡の身体に、長瀬の手が触れた。 軽く、埃を払うような仕草。 しかし次の瞬間、光岡の身体が天高く放り上げられていた。 「……転送完了だ、イルファ。ご苦労だったね」 微笑んで、呟く。 声を受けた機械人形が巨獣との戦闘を放棄。 長瀬へと駆け寄ってその身に纏うケーブルと触れたのと、ほぼ同時。 絹を裂くような悲鳴が、轟いた。 *** 「……どうした、夕霧!?」 突然暴れだした腕の中の少女を抑えながら、蝉丸が声をかける。 しかし夕霧の悲鳴は止まらない。 喉が張り裂けんばかりに叫ぶ少女の、これまでに見せたことのない異様さに戸惑う蝉丸。 と、 「―――神の喚ぶ声が、聞こえたのだろう」 長瀬の言葉が、火のついたような悲鳴を貫くように、凛と響いた。 頬を紅潮させ、背を伸ばして立つその姿には、先程までの死相は感じられない。 「覆製身理論を完成させたのは犬飼博士だ。砧夕霧の量産と群体間の意思疎通モジュールは彼の理論を基にしている。 しかし……その中核に存在する天才的な発想がどこから生まれたか、分かるかい」 一拍を置き、夕霧の中枢体たる少女の悲鳴に身を浸すように眼を閉じる。 「そう……神機だよ。発掘された機体を研究する内に判明した未知の技術。 現代科学の領域を超越したあり得ベからざる情報の塊が、犬飼博士の理論の中核をなしている」 見開いた瞳に宿るのは、圧倒的な自信と英知の光。 「そして今、神機―――アヴ・カミュに秘められた力と記憶の総てを、私は手に入れた。 神機より生まれた覆製身たち……神の落とし子たる哀れな贄の羊は、神へと還ってその肉と成る」 柔らかい笑みをすら浮かべた長瀬源五郎の手が、静かに天へと掲げられる。 骨ばった指が小さく打ち鳴らされた、それが合図であったかのように。 銀世界が、真紅の一色へと染め替えられた。 *** それは、肉であり。 そしてまたそれは、血であった。 立ち尽くす者がいた。 倒れ伏す者がいた。 命ある者がいた。 息絶えた者がいた。 林立する氷柱の中に、 土嚢のように積み上げられた中に、 少女たちがいた。 ある者はその手足を喪失し、 ある者は内臓を散乱させ、 ある者は頭蓋を砕かれて、 少女たちの骸が、いた。 生きる少女たちと、死せる少女たちが、その山の頂にはいた。 そこに、血と肉とが、あった。 数百の少女たちの、 数千の少女たちの、 数万の少女たちの、 血と肉とが、一斉に、融けた。 *** その山の頂を覆うのは、悪夢である。 言い換える余地のない、それは万人にとっての、悪夢であった。 痩身の男の、ただ指を鳴らした音の一つで、数千の少女たちと、それに倍する少女たちの骸が、 その存在を、やめていた。 爆ぜたのではない。 死したのではない。 生きる者は生きたまま、死せる者は倒れ伏したままで、その在りようを、変えた。 そうしてそれは、人の形をしていなかった。 ただ、それだけのことだった。 人であったものが、人でなくなるという、ただそれだけのこと。 少女たちが赤くどろどろとした、不定形の何かへと変じたという、ただそれだけのことが、 世界の意味を塗り替えていた。 赤くどろどろした、少女であったはずのものが、うぞりと動くたび、現実が色を失っていく。 ふるふると震え、その半透明の身を這いずらせるたび、世界は悪夢へと近づいていく。 数百の、赤くどろどろしたものが、現実を犯していく。 数千の、赤くどろどろしたものが、世界を貶めていく。 数万の、赤くどろどろしたものが、その山の中心に向けて這いずり、集った刹那。 世界に、新たな悪夢が生まれていた。 *** 「―――ああ、ああ」 濛々と立ちこめる土煙の向こうに、影があった。 「生まれ変わるとは―――」 常軌を逸した、巨躯。 蒼穹の下、一杯に見上げてなおその全体像を見渡すことすら叶わない。 「―――これほどに、素晴らしい」 砧夕霧の集合体たる巨人よりも、更に数倍して大きい。 小さな身動きが、土煙と地響きとを起こし、山を崩していく。 「人機がその境界を越え、新たな時代を切り開く―――」 大地を踏みしめるのは、それ自体が巨大な建造物の如き四本の脚。 四脚が支えるのは、山頂全体を覆うように広がった、金属質の巨大な胴体。 「私こそが、その先駆者であり―――頂点」 胴から生えるのは、八つの影。 それは、一体一体が、巨大な彫像である。 壮健な男の像があった。美しい女の像が、そして可憐な少女の像があった。 「ようやく、辿り着いた」 ある彫像は双剣を携えている。 その隣では長槍を、或いは大剣を、或いは刀を、手に手に得物を構えた、八体の巨人像。 それが皇と呼ばれた男を支えた英雄たちを象ったものであると、知る者はいない。 「約束の、場所」 英雄たちの像が囲む中心には光が湛えられている。 空を往く鳥が見下ろせば、それを光の海と見ただろうか。 「私はようやく娘たちの―――」 光の海の中、長瀬源五郎の声が響く。 降り注ぐ日輪を反射して煌く、その胴体を上から見れば、巨大な鎧のようでもあった。 或いは途方もなく巨大な神殿の周囲に、八体の巨人がその腰から下を埋めているが如き姿。 或いは、 「―――本当の父と、なったのだよ」 或いは、八頭の、巨龍。 *** 坂神蝉丸が腕の中、ぐったりと倒れたまま動かぬ、ただ一人だけ赤い異形と化さずに残った、 砧夕霧と呼ばれた少女の生き残りを抱いたまま、巨龍を見据える。 光岡悟が、天沢郁未が、鹿沼葉子が、川澄舞と呼ばれた巨獣が、山の中腹では水瀬名雪が、 言葉もなく、静かに己が牙を研ぎ澄ます。 殺戮の島に繰り広げられた狂宴の、最後の戦いはまだ、終わらない。 *** 【時間:2日目 AM11:36】 【場所:F−5 神塚山山頂】 真・長瀬源五郎 【イルファ・シルファ・ミルファ・セリオ融合体】 【組成:オンヴィタイカヤン群体18000体相当】 【アルルゥ・フィギュアヘッド:健在】 【エルルゥ・フィギュアヘッド:健在】 【ベナウィ・フィギュアヘッド:健在】 【オボロ・フィギュアヘッド:健在】 【カルラ・フィギュアヘッド:健在】 【トウカ・フィギュアヘッド:健在】 【ウルトリィ・フィギュアヘッド:健在】 【カミュ・フィギュアヘッド:健在】 坂神蝉丸 【所持品:刀(銘・鳳凰)】 【状態:背部貫通創、臓器損傷(重傷・仙命樹により急速治癒中)】 光岡悟 【所持品:刀(銘・麟)】 【状態:異常なし】 砧夕霧中枢 【状態:不明】 砧夕霧 【全滅】 天沢郁未 【所持品:薙刀】 【状態:不可視の力】 鹿沼葉子 【所持品:鉈】 【状態:光学戰試挑躰・不可視の力】 川澄舞 【所持品:ヘタレの尻子玉】 【状態:ムティカパ・エルクゥ・魔犬ポテト融合体、尾部欠落(修復不能)】 深山雪見 【所持品:牡牛座の黄金聖衣、魔犬の尾】 【状態:凍結、瀕死、出血毒(両目失明、脳髄侵食、全身細胞融解中)、意識不明、 肋骨数本及び両手粉砕骨折、ムティカパLv1】 水瀬名雪 【所持品:くろいあくま】 【状態:過去優勝者】 来栖川綾香 【所持品:なし】 【状態:生死不明(全身裂傷、骨折多数、筋断裂多数、多臓器不全、出血多量)】 セリオ 【状態:不明、長瀬と融合】 イルファ 【状態:長瀬と融合】 - BACK