十一時二十六分/天国より野蛮






その山は死に包まれている。
無数の骸を積み上げた腰丈ほどの小山がそこかしこに点在し、大地は流れた血を吸い込んで赤黒い。
斬り飛ばされ、吹き飛び、或いは食い千切られて散らばった腕や脚や腹や臓物や眼や耳や歯や舌は
照りつける強い陽射しに乾き始めていた。
大気さえもが血煙に染まり、鉄の臭いの風が蒼穹の青を覆い隠すように立ち込めている。
と、駆け抜ければべっとりと全身を赤褐色の斑模様が汚しそうな、山頂の濃密な死臭を切り裂くように、音がした。

ル、と響く甲高い音。
びりびりと周囲を薙ぐような大音量は、それを発するものの異様を示している。
生まれ落ちたことを悔やみ恨むような、或いは生まれ落ちたことを悦び叫ぶような、
透き通る生命の響きを上げるそれは、裸身の少女である。
だがそれを少女と認識する者は、死に覆われた神塚山の戦いの、数少ない生き残りの中には
誰一人としていなかった。
少女の姿をしたそれを異様たらしめていたのは、先ずもって、そしてただひたすらに、
その桁外れの巨大である。
ル、と哭くそれは、全長にして凡そ三十メートル。
この星の上に生きるあらゆる生物種の中でも最大級の少女は、その凄まじい重量ゆえか、
或いは傾斜する山道の不安定ゆえか、腹這いの格好で北西側の山肌から山頂の台地へと
手をかけるようへばりついていた。
そのぎょろぎょろと辺りを見回す硝子玉のような瞳の上、露わにされた額が畸形児のように肥大し、
不気味に照り光っている。

それはまた、哭きながら嗤っていた。
およそ少女の浮かべる類の笑みではない。
今にもげたげたと箍を外した声を上げそうな、半ばまで狂気じみた、何かにとり憑かれたような笑み。
長瀬源五郎と呼ばれていた男の顔に浮かんでいたそれと、巨大な少女の笑みは同じ形に歪んでいた。
それは少女の精神がその元来の肉体に宿るものではなく、長瀬源五郎という狂気によって支配されたものに
取って代わられていることを如実に顕していた。
折からの強い陽射しが山頂を炙り、少女の裸身を灼き、その奇妙に肥大した額をぼんやりと照り光らせている。
ル、と哭いたそれは二千秒の後には神塚山を、沖木島を焦土と化す、悪夢の具現した姿だった。

岩盤を容易く抉るように大地へと食い込んだ、人一人にも比肩するその指の一本が、千切れて飛んだ。



***


 
「サクサクいこうよ、サクサクさぁ!」

軽快な声を上げたのは長い髪を乾いた血に汚した女、天沢郁未である。
その全身を染める褐色もまた、見紛いようもない血痕だった。
ぱらぱらと赤褐色の粉を落としながら振り抜いた薙刀を構えなおすその姿は、まるで古い血の塊から
殻を破って生まれ出る雛鳥のようにも見える。

「敵はデカブツ、たったの一体! まとまってくれたんなら面倒がなくていいじゃない!
 アレをぶち殺せれば私らの勝ち、タイムオーバーで私らの負け! 単純明快、最高ッ!」

死を振り撒きながら生を謳歌するように、郁未が高らかに叫ぶ。
その背後、郁未の切り落とした巨大な少女の指がばたばたと蠢くのに手の鉈を振り下ろして止めを刺したのは、
長く美しい金髪をヘアバンドで後ろに流した、やはり妙齢の女である。

「テンション上げすぎですよ郁未さん。
 それとその想定には時間内に私たちが死亡するという可能性が抜けています」

金髪の女、鹿沼葉子が静かに告げる。
重く響く声の理知的な印象はしかし、郁未同様にその全身を汚した返り血の痕が台無しにしていた。
元は白かったであろうロングスカートを見事な血染めにしたその姿は底知れぬ恐怖だけを見る者に感じさせる。

「やられる? 私らが? このデカブツに? ……本気で言ってる?」

肩越しに振り向いた郁未が巨大な少女を顎で指す。
鉈を引き抜いた葉子が郁未と目を見交わし、静かに首を振った。

「いいえ」

不敵に笑った、その顔に修羅が宿る。
その足元、切り裂かれた巨大な少女の指が、奇妙に歪む。
ぐにゃりと火に炙られる蝋細工のように融け崩れたそれは、一瞬の後に人の形へと変貌していた。
胸の辺りを真っ二つに裂かれ、どくどくと血を流して横たわるのは少女の裸身。
それは山頂に君臨する圧倒的な質量を誇る少女のミニチュアのようであった。
同じ顔、同じ裸身を晒して、しかしこちらは本当に少女と呼ばれるべき身長の、喪われゆく命。
巨大な質量を構成する六千体余の少女、砧夕霧。その一人であった。
死にゆく夕霧に目もくれず、葉子が手の鉈をそっと指で撫でる。
人の肉体を両断しておきながら血脂に塗れることもなく刃こぼれ一つ見られない、その刃を包むのは
不可視の力と呼ばれる、葉子の異能であった。
無限の凶器を愛撫しながら笑む葉子の瞳に殺人への葛藤は存在しない。

「全ッ然やる気じゃないの。ならこっちももっとアゲてくから……ッ!」

びくりびくりと痙攣する夕霧の身体を突き通した薙刀を包むのはやはり不可視の力。
牙を剥き、ばりばりと乾いた髪をかき上げるその様は夜叉と称するに相応しい。
生きるために、或いは特段の理由もなく人の命を奪ってきた女の、それは奥底に吼え猛る獣であった。

「……正午までに、削り殺しますよ」

ぼそりと残して駆け出した葉子が、銀色の軌跡を描く。
鉈を振るえば巨大な少女からぼろぼろと垢のように夕霧の手足がもげて、大地に散らばった。
追うように、郁未が走る。



***


 
弾かれたように暴れだした、眼前の圧倒的な質量が巻き上げる土砂も、地震のように揺れ動く大地も、
咆哮と慟哭の入り混じったような轟音も、周囲を焼く熱波さえ無視するように、坂神蝉丸は目を閉じている。

 ―――何も望まず生まれた者に、意味を与えたい。

手前勝手な願望と、来栖川綾香は断じた。
愚考と切り捨てたのは光岡悟だった。
御堂は何も答えなかった。
そして久瀬少年は、それを矛盾と受け止めた。

そのすべてが、正しい。
坂神蝉丸の願いは歪んでいる。
何も望まぬ砧夕霧は、意味を与えられることすらも、望んではいない。
それを喜ぶことも、悲しむことも、そこに何らかの情動を見てとることすら、夕霧にはできない。
与えられる意味を、だから夕霧は唯の一つも、理解はしない。
義憤があり、同情があり、慷慨があり、そうしてそのすべてが、自己満足に帰結する。
それは誰一人として希求しない、決して幸福によってはもたらされることのない、未来だった。

だがそれでも、坂神蝉丸は立っている。
立っている限り進むのが、蝉丸という男の在り様であった。
常にぎしぎしと軋む大義に戦という油を注して動く己が身体の自己矛盾を蹂躙して立ち尽くす、
蝉丸の瞳が静かに開かれた。
静謐だけを湛えたその瞳に映るのは、意味を与えるべき、意味を望まぬ、
いまや恐るべき敵と化した少女たちの成れの果て。
片手に提げた愛刀が、熱線に照り光って赤々と燃えている。

深くついた、溜息一つ。
閃いた銀弧が、轟と風を巻いて迫っていた十尺を越える掌を、真っ二つに断ち割っていた。



***


 
朗と吼えれば、溢れるのは悦の響き。
爪と牙とを赤黒く染め上げて、白の巨獣の咆哮が荒涼とした岩場に谺する。
人に倍する巨躯を震わせたのは全力の殺戮に値する相手を見出した歓喜か。
かつて人であった獣はその心までを獣へと変じさせたが如く牙を剥き、吼える。
川澄舞の名を以てその巨獣を呼ぶ者は、既にない。

対するは少女、深山雪見。
身に纏う黄金の壮麗な鎧を泥に汚し、手の指をそれぞれ奇妙な方向に捻じ曲げ、
しかし何よりも異様だったのはその瞳である。
片目は醜く腫れ上がり、既に視界のすべてを埋め尽くしているように見えた。
青紫色の瞼はところどころ破れ、どろどろとした血膿が流れ出している。
残った右目だけがぎらぎらと光っていたが、小刻みに揺れる白く濁りかけた瞳孔が
その機能が長くは保たないことを如実に示していた。
ひう、と漏らした吐息は細く病的で、彼岸から彷徨い出た亡者のように巨獣と向き合う少女が、
折れ砕けた五指を無理矢理に握り込んで笑んだ。
血反吐に塗れた犬歯は、さながら餓狼の牙の如く。

憎に彩られた悦へと浸る獣と少女には、互いしか見えてはいない。
気付かぬはずもない、手を伸ばせば届きそうな距離に現出した巨大な脚には、目もくれない。
ただ一つの宝珠を賭けた、それは決戦だった。



***


 
ぱたりと倒れた人形は、もう起き上がることもない。

―――終わったのだ、というそれだけが、国崎往人の感慨であった。
彼が、彼の母が、彼の一族がずっと追い求めてきた、白い羽の少女。
邂逅は一瞬で、交わされる言葉もなく。
だが、何かが確かに終わったのだという、その実感だけがあった。

人形はひとりでに歩き出し、白い羽の少女がそれを見て、そうして飛んでいった。
倒れて動かない人形はならば、その役割を終えたのだろう。
国崎と、彼の一族の長い旅と共に。

これは果てのない旅だと、心のどこかで考えていた。
文字通り雲を掴むような、夢物語に突き動かされる旅。
いつか子を成し、その子に受け継がれる旅だと、そう思っていた。
それこそが夢想だと、気付かされた。

喜びはなく、悲しみもなく、ただ終わりだけがあった。
それを空虚と名付けることもできず、ひどく扱いかねて、国崎はぼんやりと座り込んでいる。
座り込んでぼんやりと空を眺め、眺めた蒼穹の向こうに白い羽を見た気がして、

「うわ国崎さん、生きてたっ」

能天気な声は場違いで、しかし、だから国崎は破顔して振り返る。
そこにあるのは見知った、行きずりの少年と少女の表情。
旅は終わり、未来には当てもなく、だがそれは昨日までと変わらない。
溜息を一つ。
古びた人形を拾い上げて、

「―――やかましいわっ!」

昨日までと同じように、怒鳴った。



***

 
日輪の天頂に至るまで―――残り、千八百秒。


***


【時間:2日目 AM11:30】
【場所:F−5 神塚山山頂】

究極融合体・長瀬源五郎
 【状態:シルファ・ミルファ・砧夕霧中枢(6278体相当)】

天沢郁未
 【所持品:薙刀】
 【状態:不可視の力】
鹿沼葉子
 【所持品:鉈】
 【状態:光学戰試挑躰・不可視の力】

坂神蝉丸
 【所持品:刀・銘鳳凰】
 【状態:右足裂傷(重傷・仙命樹により治癒中)】

川澄舞
 【所持品:ヘタレの尻子玉】
 【状態:ムティカパ・エルクゥ・魔犬ポテト融合体、軽傷(急速治癒中)】
深山雪見
 【所持品:牡牛座の黄金聖衣】
 【状態:出血毒(左目喪失、右目失明寸前)、激痛、意識混濁、頭部強打、
       肋骨数本及び両手粉砕骨折、ムティカパLv1】


【場所:G−6 鷹野神社】

国崎往人
 【所持品:人形、ラーメンセット(レトルト)、化粧品ポーチ】
 【状態:健康・法力喪失】
長岡志保
 【所持品:不明】
 【状態:異能・ドリー夢】
春原陽平
 【所持品:なし】
 【状態:妊娠・ズタボロ】
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