一難去ってまた一難




 「ここからだと……氷川村だな」

 地図に目を落としながら呟く芳野祐介(118)。
 相沢祐一(001)らと別れた後も、彼は依然として単独行動だった。
 未だに遭遇した参加者が彼等二人だけだという理由もあるが、実際は祐一にも同行の誘いを受けた。
 だが、彼はそれを断った。これからも断るつもりだ。
 芳野には探したい人がいた。それだけでも祐一達に助力を頼んでおけばいいものを、結局は曖昧にしたまま彼等とは別れた。
 芳野の探し人―――伊吹公子(007)は彼にとっては何事にも代え難い存在であり、婚約者でもある。
 高校時代での新任教師であった彼女には、多大な感謝と共に生涯の伴侶として支え合うと決めていた。
 そんな折にこんな狂ったゲームに巻き込まれたのでは、自身の不運を呪うしかない。
 だからといって、彼の目的は何ら変わりない。
 過去、自分が間違った過ちを犯した時、彼女はどうしてくれたか。
 他所から掌を返されたように否定されながらも、彼女だけは優しく間違いを正し、全てを受け入れてくれたのだ。
 ならば、今度は自分の役目だ。
 震えているのなら一緒に行動を共にし、間違ったことをしているのならば正して全てを受け入れる。

 彼女だけは、何を賭しても守り通さなければならない。
 それは、芳野がゲームを始めるまでもなく既に定められていた誓いだ。
 環境を言い訳にするつもりはない。
 公子を守れなければ、それは全て自分の責任だという強迫観念のような思いもある。
 だが、それが芳野祐介の生き様であり、最大にして尊ぶべき至高の愛の形だ。

 芳野にとって、殺し合いというゲームなど関係ない。
 公子を守るという一点においては、何処で何をしようが変わりがないのだから。

 そのためには、まずは公子との合流が先だ。
 人が集まりそうな場所を地図で確認した結果、近場だと氷川村になる。
 一先ず、そこで公子を探し、いなければ他の参加者に聞こうと思う。
 あの時は焦っていたとはいえ、祐一達にも言伝を頼んで置けばよかったと、今更ながらに悔やんだ。
 ともかく、目的地は決まったのだ。行き違いに合わぬよう急ぐに越したことはなかった。
 
「―――よし。夕刻には辿り着けそうだな」

 時刻を確認して、彼は走り出した。

(無事でいろよ。公子―――っ!)

 芳野は重い荷物を背負っているというのに、その走りには乱れがない。
 一定の呼吸に、ペース配分がなされた理想的な走行だ。
 電気工という、以外と体力のいる労働を楽にこなす彼に比べれば、学生ばかりの参加者達とは基礎体力のできが違う。
 速度は速く、それでいて余裕がある芳野は、思考する余地まであった。
 勿論、公子関連のことだ。

(―――名簿にある伊吹風子……。どういうことだ? 風子なんてそうそうある名前じゃないし、何よりも伊吹だ。
 十中八九、公子の妹だな。だが、彼女は今も病院で眠りについている筈では……)

 ありえない、と芳野は頭を悩ませる。
 伊吹風子は公子の実の妹であり、事故で意識を失って以来目を覚ましていない筈だ。
 彼も一度、病院で眠る風子を公子から紹介もしてもらっている。
 実際、この島に来る前も明らかに意識が戻っていなかったが、それは一週間も前の話だ。
 もしかすると、つい最近目が覚めたのかもしれない。
 しかし、そうだとすれば真っ先に自分に教えてくれるものではなかろうか、と芳野は思う。
 自惚れるわけではないが、公子もまずは一番初めに大切な人にその事実を打ち明けるのではないか。
 目が覚めたことを隠すより、打ち明けるほうが公子の行動原理としては正しいはず。
 ならば、こう考えるしかない。

(公子も知らないとしたら? 確かに島に来るまでは眠ったままであり、とても身体が動く状態ではなかったとしたら……)

 背筋がゾクリと震えた。
 寝たままの状態で連れて来たのか、もしくは主催者には何年も眠った少女を回復させる手段があるのか。
 前者だとまだいい。人道的ではないが、これだけの参加者達を強引に集めたのだ。
 病院にいる患者の一人や二人を攫ってくるのも訳がないだろう。
 だが、後者だとすればどうだ。
 現代医学では自然と意識が戻るまでは方法がないとさえ言われたのだ。
 仮に起きたとしても、数年間行使していなかった身体を元に戻すまで、どれほどのリハビリが必要であるか。
 それを考えてしまうと、主催者側には一瞬で全てを解決できる技術があるということにもなる。
 主催者側の全容が未だ見えてこないが、参加者を攫う手腕といい、武器の配給具合といい、かなり大規模な組織ということだ。
 しかし、その考えも現実の範囲に基づいてのことだ。
 主催者が言っていたではないか。人間とは思えぬ力と。
 そんな非常識な存在を収集できる主催者とて決して普通ではなく、それこそ人外な存在なのではないのか。
 認めたくはないが、今回の騒動は非現実的な力を元にして開催されたのかもしれない。
 そんな連中にどう対抗すればいいのか。
 あの兎が主催者かどうかは解らぬが、奴が言っていたように、これは単なるゲームだ。
 つまり、彼等にとってこの殺し合いは取るに足らないお遊びで、自分達参加者はいい様に踊らされている傀儡もいいとこなのではないか。 
 祐一が言っていた脱出の方法を探るというのも、実際かなり望みが薄そうだ。
 
 これ以上の思考は、辺りの警戒と走行に問題が生じる場合があったため、強引に打ち切った。
 何をするにしても、何を考えるにしても、前提は公子との合流だ。
 情報が少ない今、あれこれ考えても仕方ないだろう。
 そう思い、走ることに集中しようとした矢先だ。

『―――きゃあ!』
「っ!?」

 近くから悲鳴が聞こえた。
 急いでいる今の現状、捨て置きたかったのだが、悲鳴の発生源があまりにも近すぎる。
 思わず芳野は舌打ちした。
 観鈴の時もそうだった。あまりにも近すぎるが故に公子の可能性を捨てきれず、飛び出してしまったのだ。
 そして、今度もまた同じだ。

「―――くそっ。悲鳴を上げるなら、もっと遠くにしてほしいもんだな……!」

 進行方向を一時的に変え、彼は再び横槍に飛び出した。




「―――わ、わたしを……どうするつもりですか……?」
「どうって……ねぇ?」
「貴女にはこれが見えませんか?」

 尻餅をついて後ずさる長森瑞佳(074)へ追い討ちをかけるように近づく天沢郁未(004)。
 その際に、呆れたように肩を竦めながらチラリと横目で鹿沼葉子(023)を流し見る。
 当の葉子は鉈を手で弄びながら、何を可笑しなことを、と言いたげに瑞佳を嘲笑う。

「こ、こんな馬鹿げたゲームに乗ったんですかっ? そんなことしないで―――」
「脱出の為に皆で力を合わせろって? はっ、全員殺して帰った方が遥かに楽じゃない」
「そ、そんな……。あなたもそうなの……?」

 郁未にいとも簡単に否定された瑞佳はショックに息を呑む。
 だが、それでも希望に縋ろうと葉子へと問い掛ける。
 ゲームを肯定した郁未と共にいるというのに、それさえも忘れたように。

「そうですけど……それが何か?」
「だ、だって! 生き残れるのは一人なんだよ!? なら何であなたは……」
「生き残れるのは一人……貴女も分かってるじゃないですか。だから、最後には郁未さんを殺して私が勝者となりますので」
「ふふ。あなたのそういうところ、好きよ」
「な、なにをいって……」

 瑞佳には二人の言っていることがまったく理解できなかった。
 二人で行動を共にしているというのに、最後になったらお互い殺し合うのか。
 脱出という目的の元に集まったのではないのか。 
 瑞佳には分かるはずもない。彼女達の行動原理も、生き方も。
 過酷な環境というルールで生活していた彼女達にとって、今の状況はさほど苦痛を伴うものでもない。
 確かに、初めは殺し合いに対して困惑し、躊躇したものだが、一度心を決めてしまえばどうってことはないのだ。
 普通に過ごしていた瑞佳からみて、彼女達は未知の生物に見えたのかもしれない。
 最初は説得する様子であった彼女も、今では顔を青褪めて震えていた。 

(―――や、やだっ。なにこの人たち……。怖いっ怖いよ浩平……っ)

 この島で今も何処かで生きている筈の幼馴染へと助けを縋ろうとするが、そんなものは逃避でしかない。
 震える彼女へと、二人は悠々と歩み寄る。

「出発して数時間……ようやく見つけた獲物だからね。楽に逝かせてあげるわ。いいわよね葉子さん?」
「どうぞ、お好きなように」

 これから人を殺そうとするとは思えない気楽な態度で飄々と言葉を紡ぐ郁未。
 それが逆に瑞佳の恐怖心を煽った。人扱いされていないような、既に死ぬことは前提のような話の進め方に、涙が瞼から溢れ出した。
 
「―――や、やめて。イヤ……いやぁ……」
「もう命乞いをする段階は終わってるのよ。さ、大人しくしていたら痛くさせないから」
 
 手に持つ薙刀を馴染ませる様に軽く振る。
 ブンッという風切り音に、ついにその時が来たのかと身を竦ませる瑞佳。
 
「それじゃ、そろそろお別れね」

 無表情になった郁未は上段に薙刀を構える。
 傍らで、静かに事の成り行きを静かに見守る葉子。
 その視線を背に受け、郁未は一思いにやってやろうと腕を力ませた瞬間―――

 ―――ズドンという轟音が辺りに鳴り響く。

 何事かと反射的に耳を手で押さえた葉子だが、郁未が薙刀を地へと落とした瞬間を目にした時は流石に戸惑った。 

「い、郁未さん……?」
「っぅあ……。だれっ!?」

 腕を押さえ、苦痛に顔を歪めた郁未が射殺さんばかりに瑞佳の背後にある茂みを睨みつけた。
 郁未の言葉に素直に出てきた芳野は、両手で拳銃を構えながら、二人を牽制する。

「ちっ。外したか……。おいお前ら、ここで頭をブチ抜かれたいか……それとも大人しく引き下がるか選ばせてやる」
「くっ! この男……っ」

 顔を苦悶に歪ませながらも、郁未は芳野へと殺意の視線を注がせる。
 実の所、郁未の傷は浅い。
 芳野は腕を頂くつもりで放ったが、その銃弾は二の腕を掠めるだけに終わった。
 だが、この大口径の拳銃ではそれだけでも痛みを伴わせる事が出来る。掠るというより、抉ったのだから。
 慣れぬ反動に腕の痺れを起こしながらも、それを決して表面上にはださない。
 激昂する郁未とは反対に、幾分か冷静であった葉子がいたことは芳野にとっても幸運だった。


「郁未さん。ここは引きましょう」
「はぁ!? ダメよ! こいつは今ここで―――」
「郁未さん! 不可視の力が使えない私たちが、拳銃を持つ彼に対抗するにしても無傷ではいられません。ですから、今は引きましょう」
「っ!」
 
 郁未は歯をギリっと噛み締めながら、渋々頷いた。
 確かに不可視の力も使えない、装備は近接系の武器で相手は飛び道具。これでは心許ない。
 そして、葉子が撤退を選んだ重要な理由としては、芳野の眼光だ。
 彼は恐らく、彼女達を撃つのにまったくの躊躇いを見せないだろう。
 二人で分散して襲い掛かれば、芳野を倒せる自信はあるが、かならず一方が犠牲になるのは目に見えている。
 葉子は郁未とはゲームの最後に決着をつけると約束した。
 ならば、こんなくだらないことで郁未を殺すわけにも行かないし、自分が死ぬことも納得できない。
 よって今は引くと決めた。当然、この男もいずれは片付ける算段で。
 だから、葉子は口を開いた。

「……私は鹿沼葉子、彼女が天沢郁未。貴方のお名前を伺ってもよろしいですか?」
「―――芳野祐介だ」
「芳野祐介……。アンタは絶対に殺す。覚えときなさい!」
「ふん。御託はいいから、さっさと行け」

 悔しそうに顔を顰めた郁未を連れ添って、葉子も早々とその場から離脱する。
 その背を警戒して見ていた芳野だが、姿が見えなくなるとホッと息をついて銃を下ろす。
 そして、近くで茫然と事の成り行きを見守っていた瑞佳へと近づいた。

「大丈夫か? ほら」

 座り込んだ瑞佳の眼前へと手を差し出すが、反応がない。
 よほどショックだったんだろうな、と思いながら掛ける言葉を探していたら芳野の手を唐突に両手で掴む。

「うおっ。だ、大丈夫か……?」
「うっ……ひぐっ。うぅ、うう……」

 嗚咽を徐々に零しながら溢れ出す涙を我慢していた瑞佳だが、決壊したかのように泣き出してしまった。 
 当然、その対処に困る芳野はあたふたとしながら掴まれた腕を眺めるしかなかった。
 本当にこんな調子で公子に会えるんだろうか、と漠然と思った芳野である。 




 『芳野祐介(118)』
 【時間:1日目午後4時頃】
 【場所:H−08】
 【所持品:Desart Eagle 50AE(銃弾数4/7)・サバイバルナイフ・支給品一式】
 【状態:普通。公子を探すため、一先ず氷川村へ】

 『長森瑞佳(074)』
 【時間:1日目午後4時頃】
 【場所:H−08】
 【所持品:不明・支給品一式】
 【状態:普通。浩平を探す】

 『天沢郁未(004)』
 【時間:1日目午後4時頃】
 【場所:H−08(既に移動)】
 【所持品:薙刀・支給品一式(水半分)】
 【状態:右腕軽症(痛みは伴うが、動かすのに支障はない)。ゲームに乗る。もっと強力な武器を探す】

 『鹿沼葉子(023)』
 【時間:1日目午後4時頃】
 【場所:H−08(既に移動)】
 【所持品:鉈・支給品一式】
 【状態:普通。ゲームに乗る。郁未と同行】
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