脱出




 水瀬秋子の物語は施設を出る前に始まった。
 自分がディパックを受け取るときかされていたその部屋。その部屋には先客が二人いた。ただでさえ、狭い室内がさらに圧迫感を増す。
「あ……」
その内の一人、髪の短いほうが声を上げる。
「ええと、あの、はじめまして」
髪の短いほうがそういうと、もう一人のおさげもこちらを向いた。
「はじめまして」
秋子も柔らかく微笑んで返事をする。
「あの、わたし澤倉って言います。ええと、こっちが」
「保科智子や。よろしゅう」
関西系のイントネーションでもう一人がそういう。
「水瀬秋子よ。よろしく」
そう言って、後ろ手にドアを閉めた。横の戸棚――最後の一つだ――が開いて、ディパックが飛び出す。それを受け取ってから、秋子は口を開いた
「それで、二人はこんなところでどうしたの? 危ないわよ。そろそろ爆発するらしいわ。私が最後みたいだし」
「ええ、それはわかってるんですけど」
と、唐突に二人の顔が暗くなる。
「?」
「出られないんです」
「え?」
「誰かに狙撃されてるんや」
苦々しげな顔で智子が呟く。

「ちょっといいかしら」
秋子がドアに近づくと、二人が慌てて部屋の右側に寄った。よくよく見ると部屋の左側に弾痕がある。ドアの構造から考えても、どうも右側から撃たれているらしい。
 少しだけドアを開く。それだけで針のような殺意が外の世界から伝わった。
「……本気……みたいね」
小さく呟く。
「え?」
「あ、ごめんなさい。なんでもないわ。それよりあなたたち、何を支給されたの?」
秋子は扉を閉めながら後ろの二人に聞き返す。
二人はしばらく、顔を見合わせた後、
「釘バットでした」
「ええと、多分硫酸やと思う。ビンに入ってるこれ」
と現物を見せながら答えた。使いようによってはなかなか恐ろしい武器だが、狙撃されてる現在ではあまり役に立ちそうにない。
「そういえば、私は何かしら」
そういいつつディパックをあける。自然、二人が期待した目で見つめる。そして、中から出てきたのは、
「……これは」
「……消火器ね」

 篠塚弥生は寝そべって照準を通して施設のドアを見つめながらじっとチャンスをうかがっていた。施設に立てこもられてしまったのは誤算だったが、問題はない。
 すぐにあの施設は爆発する。まさか、じっと待って死を待つわけではあるまい。必ず、その前に出てくる。そこを、しとめる。
 中に入っている人間が何人かはわからないが、自分あの施設を出発した時の状況と、この狙撃ポイントまでかかった時間を考えれば、おそらく3、4人程度。
 全員殺そうとは思わない。それができれば越したことはないが、この狙撃銃は一発撃つのに時間がかかる。慌てず、冷静に、一人づつ殺していく。
 扉が少しだけ開いた。身を硬くし、神経を集中させる。だが、扉はすぐに閉じられた。
(あせるな……)
 冷静に自分に言い聞かす。由綺を間違って殺したりしまってはしゃれにならない。まずは相手を確認する。それから、殺す。扉がちょっとぐらい開いたからどうだというのだ。
 いきなり駆け出されても人の走る速度などたかが知れてる。後ろから撃ち殺せばいい。息を吐き出し、頭を切り替える。
(まず、確実に一人。ほかの事はそれから考える)
そして、改めてスコープを通して施設のドアを見たその瞬間、

 がん!

 派手な音がしてドアが開けられた
「っ!」
反射的に引き金を押しそうなるが慌ててこらえる。まだだ。まだ、誰も現れていない。ドアが開い……
『ドアが開いただけ』。心の中で言おうとしてそこで再び、驚愕する。
「走って!」
声と同時にブワッ!と音がしてスコープ内の視界が真っ白になった。
「なに!?」
小さく声を上げる。なんだあれは、何かの煙がぶわっとスコープ内を埋め尽くす。そして、その前に聞こえた声、出てくるつもりだ。
「くっ!」
一度、スコープから目を離し、全体の状況を確認するため、顔をあげる。だが、煙はかなりの広範囲に広がり、それでも状況はよく見えない。だが、何かが走り出すように煙

の中を移動するのが見える。
「119分の1の確率だもの!」
そう言って自分を勇気付け、その影に向かって狙撃する。

 ガンッ!


狙撃は成功。その間にバタバタといくつかの影が走り去る。あらかじめ覚悟でもしていたのか、その走り方には迷いがなかった。
(まずは、一人)
とりあえずはこれでいい。後は自分が打ったのが由綺でないことを――その確率はほとんどないが――祈るだけだ。
やがて、煙が晴れていく。
「……やられたわ」
施設が爆発したのは丁度そのときだった。




「ど、どうにかうまくいきましたね」
「ええ」
「ギリギリの綱渡りやったけどな」
消火器の煙にまぎれてその隙に逃げることは瞬時に誰もが考え、主張した。が、秋子はそれだけでは不十分だと認識し、身代わりを作ることを考えついたのである。
消火器と釘バットを美咲のストッキングと智子の靴下で十字にむすび、釘バットの両端に秋子のセーターの両袖を通して放り投げたのだ。果たして敵はそれに見事に引っかかり、銃弾をそれに向かってぶちあてたのだ。
「それで、これからどうする?」
「うちは知り合いを探す。クラスメートがここにおるんや」
秋子の問いかけにまずははっきりした声で智子がそう宣言する。
「あの、私も友達を探そうと思うんですけど」
美咲も追従するわけではないだろうが、控えめにそう主張する。
「そうね、私も娘と甥を探したいし。とりあえず三人で行動しましょ」
二人はこくりと頷く。
「さて、それじゃあ、どっちに向かいましょうか」
支給品である地図を広げる。
「でもここがどこかすらわからんしな」
「それならとりあえず、あの施設から離れましょう。いつまた狙撃されるともわからないですし」
「そうね、そうしましょう。あなたもそれでいいわね」
「うん、かまへんよ」
特段大きな反対理由もなかったのだろう。智子は素直に頷いた。




澤倉美咲
【時間:12時ごろ】
【場所:H-07(ここから灯台方面へ移動予定)】
【持ち物:荷物一式のみ】
【状態:異常なし。ストッキングはいてない】

保科智子
【時間:12時ごろ】
【場所:H-07(ここから灯台方面へ移動予定)】
【持ち物:硫酸(500ミリリットル)】
【状態:異常なし。靴下はいてない】

水瀬秋子
【時間:12時ごろ】
【場所:H-07(ここから灯台方面へ移動予定)】
【持ち物:荷物一式のみ】
【状態:異常なし。セーター着てない】

篠塚弥生
【時間:12時ごろ】
【場所:H-06】
【持ち物:M24対人狙撃銃(装填残弾数2)。予備弾丸20本】
【状態:異常なし】
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